ケベック到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 03:35 UTC 版)
「ベネディクト・アーノルドのケベック遠征」の記事における「ケベック到着」の解説
10月30日、アーノルドは初めて地元の住民と接触した。彼らは遠征隊の窮状に同情的で、食物をくれたり、病人の面倒を見てくれたりした。協力に対して報酬を受け取る者もいたが、受け取らない者もいた 。アーノルドは、ワシントンが書いた手紙の写しを何部も配り、地元の人々とその財産、そして宗教に敬意を払うので、遠征隊の力になってほしいとアビタン(セントローレンス川流域のフランス系住民)に頼んだ。ポワント=レビに住むジャック・パランというフランス系カナダ人が、アーノルドに、副総督のクラマエが、遠征隊の手紙を横取りした後に、セントローレンス川の南岸のバトーを全部壊すように命令したと伝えた。 11月9日、遠征隊はついにセントローレンス川のポワント=レビに着き、ケベックから川を横切った。アーノルドは、出発時1,100人の兵を率いていたが、その数は600人に減っていた。また、歩いた距離は、当初ワシントンと予想していた180マイルではなく、350マイル(560キロ)だった。アーノルドは、ニュージャージー生まれで、ポワント=レビの近くで製粉所を経営しているジョン・ハルステッドから、伝令が逮捕されて手紙が何通か横取りされていたことを知った。ハルステッドは、セントローレンス川の運航も切り盛りしており、アーノルドの兵の何人かはアビタンや、地元のサンフランシスのインディアンからカヌーを購入し、ショーディエールから製粉所までそのカヌーを運んだ 。悪天候から3日経った11月13日から14日の夜、1マイル(1.6キロ)も幅のあるセントローレンス川に停泊中の、2隻の恐らくイギリス軍艦ハンター(英語版)とリザード(英語版)の間を進んでいた時、この2隻は、アーノルドの兵たちのような航行を取り締まるべく、警備を強化していた。
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