ケベック奪還へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/04 05:05 UTC 版)
「サントフォワの戦い」の記事における「ケベック奪還へ」の解説
エイブラハム平原の戦いでフランスは敗退し、モントリオールに退却したが、なおもイギリスに三方(セントローレンス川、シャンプラン湖、オンタリオ湖)から包囲されていた。ケベックの奪還のためにも、また、イギリス軍指揮官のジェームズ・マレー(英語版)の、新しい要塞の計画を止めるためにも、兵器を準備して行動に出る必要があった。しかも、雪が完全に溶ける前、セントローレンス川から氷が消える前に、マレイの、最新装備の駐屯部隊に一泡吹かせるつもりだった。イギリス軍指揮官のマレーには、フランス軍の半分の軍ほどしか兵がおらず、しかも長い冬の間に、壊血病で弱っていた。大砲を多く装備しているとは言え、フランスと一戦交えるのはかなり大胆なことだった。
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