イギリス軍の戦闘準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 15:24 UTC 版)
「バンカーヒルの戦い」の記事における「イギリス軍の戦闘準備」の解説
イギリス軍の将軍達が集まって対応策を検討した際、クリントン将軍は出来る限り速く攻撃することを勧めた。曰く、チャールズタウン・ネックから攻撃すれば大陸軍の退路を断ち、堡塁に残った者を飢えさせてから占領に行けば簡単になる、と。しかし他の3人の将軍はこれに反対した。ハウはこの中では上級将官であり攻撃を率いることになっていたが、あの丘は「開けていて上りやすく、直ぐに制圧できる」という意見だった。バーゴイン将軍も同意、「訓練されていない烏合の衆」に「訓練された軍隊」が負けるわけがないと主張した。そして、遠征隊準備の命令が発せられた。 海峡を隔てたボストンには、ゲイジ将軍とその参謀、および王党派のアビジャー・ウィラード(Abijah Willard)がいた。望遠鏡で覗くとウィラードの義兄弟であるプレスコット大佐が見つけられた。ゲイジが「彼も戦うのか?」と尋ねると、ウィラードが「彼の兵士については答えられないが、きっとプレスコット大佐は地獄の門に至るまで貴方と戦うでしょう」と答えた。プレスコットはウィラードの言葉どおりに動いたが、彼の部下達まで同じ覚悟ができているわけではなかった。ある若い兵士(アサ・ポラード(Asa Pollard)、ビレリカ出身)が砲撃で死ぬと、プレスコットはその死体を、即座にしかも静かに、埋めるよう命令した。しかし部下達は厳粛な葬儀を行い、そのすぐ後に何人かが脱走した。 イギリス軍は歩兵を集めて閲兵するまでに6時間を要した。ハウ将軍が攻撃部隊を率い大陸軍の左翼を回って後ろから攻撃することになった。イギリス軍左翼のロバート・ピゴット(英語版)准将が正面から堡塁を攻撃することとした。ジョン・ピトケアン少佐が予備隊を率いた。ハウの軍隊約1,500名を長艇で半島の東隅ムールトンズ・ポイント(Moulton's Point)に運ぶのに何度か往復し、また時間を要した。午後2時までにハウの選りすぐれた精兵が上陸した。しかし川を渡る間にハウはバンカーヒルの上に大勢の大陸軍兵士が居ることに気付いた。ハウはこれが大陸軍の援軍であると考え、即座にゲイジに宛ててさらに援軍を要請する伝言を送った。続いて軽歩兵の幾らかに半島の東側に沿って前進、陣地を取るように命じ、大陸軍にその意図を報せるようにした。兵士達は援軍を待つ間、座り込んで食事を摂った。
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