サイクロトロンの建設とは? わかりやすく解説

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サイクロトロンの建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:27 UTC 版)

仁科芳雄」の記事における「サイクロトロンの建設」の解説

1935年理化学研究所原子核放射線生物学研究するために三井報恩会東京電燈株式会社日本無線電信株式会社等の寄付原子核実験室設けられた。1937年仁科主導して日本最初26インチサイクロトロン完成した 。少し遅れて大阪帝国大学でも24インチサイクロトロンが完成した京都帝国大学でも建設計画されていた 。 理研理化学研究所)では小サイクロトロン使用した研究盛んに行われるようになり、数々成果得られた。具体的に研究者グループ手分けして周期律表上の元素を、軽および中重核種希土類核種、重核種分け中性子照射して放射性核種性質調べたウラン237存在発見した。またウラン235対称核分裂発見したまた、他のグループカイコ中性子ガンマ線混合放射線当てて生物への影響調べた仁科は小サイクロトロン完成するころから、より高エネルギー粒子ビーム得られる大サイクロトロンの建設を構想していた(この頃どれ位大きさにするかまだ決まっていなかったが、その後60インチ決まった)。そのころカリフォルニア大学アーネスト・ローレンスのもとに留学している嵯峨根遼吉から、ローレンス大型サイクロトロンの建設を計画している、という情報もたらされた。サイクロトロン主要部分である電磁石日本注文するよりアメリカ海軍工廠に2台まとめて注文する方が安くなることが判ったので、ローレンス依頼して理研の分を一緒に注文してもらうことになった当時60インチサイクロトロン世界最大であり、カリフォルニア大学理研の2台のみであった電磁石1938年中頃理研到着し1939年頃一応組み立て終了したが、予期したような性能が出なかった。ローレンスのところでは既に完成していたので、情報を得るため1940年理研から矢崎為一(やさきためいち)、渡辺扶生(わたなべすけお)、飯盛武夫飯盛里安長男)の3名がローレンスのもとに派遣された。当時は既に日米関係悪化始まっていたため、ローレンスには会えなかった。サイクロトロン見学許されたが設計図コピーをもらう約束取り消しになった。(当時ローレンスS-1ウラン委員会重要な役割担っていた。)ただし、助手通じてサイクロトロン概念設計図と加速機構論じた論文与えられた。 理研では3人が持ち帰った情報をもとに大改造を行うことになった性能が出なかった理由は、真空技術未熟なため、加速函の真空度良くなかった帰国際しキニーポンプを1台購入しデッドコピー がすぐに発売された)ことのほか最大理由は、小サイクロトロン同じよう半円形空洞電極形状が"D"に似ていることからDee呼ばれる)と発振機のグリッドトランスを介して電磁的結合したため、十分な電圧かけられなかったためである。小サイクロトロンでは、粒子陽子重陽子)の速度比較低かったので、相対論的な質量増加考慮に入れる必要が無かったが、大サイクロトロン場合は、粒子速度大きくなってくると、相対論的な質量増大無視できなくなり加速電圧に対して粒子位相遅れてくる。遅れがπ(パイ)に達するともはや加速できなくなる。これを回避するためにはDeeにより高い電圧をかけなければならないが、小サイクロトロンの時と同じ方法では困難なので、λ/4同軸共振管の先端Dee取りつける構造を取ることにした。この構造コロンビア大学ダニング(J.R. Dunning)とアンダーソン(H.L. Anderson)が考案したのである1943年11月頃から調整入り1944年2月15日空気中に引き出したプロトンビーム紫色に光るのを肉眼確認できるまでになった。それ以後調整続け7月頃から実際研究始めた。これらはニ号研究一部成していた。その頃行われた研究次のとおり。ただ、研究準備段階のためか、素粒子先端研究には程遠かった。この当時素粒子研究高エネルギー反応である宇宙線にまだ頼っていた時代である。 題目研究者放射性同位元素夜光塗料への応用 新間啓三 アルファ線源として人工ポロニウム研究 杉本朝雄 中性子による U-235存在比測定 山崎文男 熱中性子による U-235 分裂研究 新間啓三 U によるおそい中性子捕獲研究 田島英三 U による熱中性子吸収研究 杉本朝雄 1945年4月13日東京大空襲理研大部分施設被災した仁科氏の家も被災したため、被害免れた理研研究室に居を移した。大サイクロトロン被災免れ、運転を続けた8月15日終戦とともに停止した同年11月大小2台のサイクロトロンGHQによって東京湾投棄された。GHQによるサイクロトロン投棄いきさつ福井崇時詳述している。 米軍大型サイクロトロン軍事利用誤解して破壊した仁科がこれに落胆している写真残っている。

※この「サイクロトロンの建設」の解説は、「仁科芳雄」の解説の一部です。
「サイクロトロンの建設」を含む「仁科芳雄」の記事については、「仁科芳雄」の概要を参照ください。

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