福井崇時とは? わかりやすく解説

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福井崇時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/24 07:35 UTC 版)

福井崇時(物理学者)

福井 崇時(ふくい しゅうじ、1923年大正12年)8月19日 - 2018年平成30年)5月4日)は、日本の物理学者名古屋大学名誉教授。1957年、高エネルギー荷電粒子の飛跡を観測する「放電箱」(ディスチャージチェンバー、後のスパークチェンバー)を開発、1961年仁科記念賞、1962年朝日賞(文化賞部門)を、いずれも宮本重徳とともに受賞。1985年紫綬褒章、1993年勲三等旭日中綬章、2001年イタリア共和国功労賞コメンダトーレ三等騎士勲章。著書に『身近な物理の世界』(1991年)、『粒子物理計測学入門』(1992年)がある。

また1966年のノーベル物理学賞の候補に挙がっていたことが判明している [1]

略歴

  • 1923年8月19日 - 大阪市で生まれる
  • 1931年4月 - 大阪市立精華小学校入学(現在は大阪市立南小学校に統合)
  • 1936年3月 - 大阪市立精華小学校卒業
  • 1941年3月 - 大阪府立住吉中学校卒業(現在の大阪府立住吉高等学校
  • 1941年4月 - 鹿児島の第七高等学校造士館理科甲類入学
  • 1943年9月 - 第七高等学校造士館理科甲類卒業(1942年東条政府の下で高校の就学期間を6ヶ月短縮する法律が施行された)
  • 1943年10月 - 大阪帝国大学理学部物理学科入学
  • 1946年9月 - 大阪帝国大学理学部物理学科卒業
  • 1946年9月 - 大阪帝国大学理学部副手
  • 1949年6月 - 大阪大学理学部助手
  • 1958年11月 - 大阪大学理学部講師
  • 1959年4月 - 名古屋大学理学部助教授
  • 1962年5月 - 名古屋大学理学部教授(1980年10月〜1984年9月、学生部長)
  • 1987年3月 - 名古屋大学を定年退官
  • 1987年4月 - 椙山女学園大学人間関係学部教授
  • 1994年3月 - 椙山女学園大学を定年退職

脚注

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参考文献




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