クルアーンの研究
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イスラームの聖典であるクルアーン(全114章)の、スーラ(章)を研究し、啓示順の推定を発表した。 マッカ啓示を計90章(「カイロ版欽定 クルアーン」では計86章としている)と考え、3つの時代に区分した。 計48 「初期」(01 - 48番目) from the 1st to the 5th year of Mohammed's mission 96 074 111 106 108 104 107 102 105 92 90 94 93 97 86 91 80 68 87 95 103 85 73 101 99 82 81 53 84 100 79 77 78 88 89 75 83 69 51 52 56 70 55 112 109 113 114 1 計21 「中期」(49 - 69番目) the 5th and 6th year of his mission 054 037 071 076 044 050 020 026 015 019 38 36 43 72 67 23 21 25 17 27 018 計21 「後期」(70 - 90番目) from the 7th year to ヒジュラ 032 041 045 016 030 011 014 012 040 028 39 29 31 42 10 34 35 7 46 6 013
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クルアーンの研究
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クルアーンはムスリムにとって信仰の根幹にあたるため、その読誦法や、章句の意味解釈はウラマー(学者)の修めるイスラム諸学のひとつとしてクルアーン学を発展させることになった。また、ヨーロッパのキリスト教徒の学者たちも、十字軍の遠征などによってイスラム世界との接触が深まると、敵であるムスリムの信仰を知るためにクルアーンの研究を始めるようになった。十字軍がはじまって50年後の1143年にはチェスターのロバートによってラテン語の注解がなされている。 クルアーンの研究においては、クルアーンにみられる、神の自称が「我ら」であったり「彼」であったりという統一感のなさや、宿命論と行為の自己責任の問題などでみられるしばしば矛盾する記述は大きな問題となり、議論の対象となった。ムスリムの学者たちはハディースを用いたりして、この問題を解決して解釈しようとしてきた。前近代においてムスリムがクルアーンの矛盾に対するときの根本的態度には、彼らの信仰の基礎であるクルアーンの啓示全てが神の言葉であるという確信にあった。 これに対して、非イスラーム教徒のキリスト教徒の学者たちは、特に古い時代において、聖書のみが神の言葉であるという宗教的信条からクルアーンが神に由来するとはみなさず、ムハンマドの著作物であるとみなした。しかし近代に入り、ヨーロッパで聖書の文献批判的研究が始まると、聖書がこれまでキリスト教徒が考えていたように神の言葉そのものではなく、複数の編者がまとめた教典が編集されてできたものであるという認識が共有されるようになった。 非イスラム教徒やリベラル・ムスリムの学者たちは、クルアーンの各章を年代的に分けて内容を分析した。例えば最初期の啓示は、意味的には内容が非イスラム教徒には支離滅裂とも感じられるものが多く、啓示を受け始めた直後のムハンマドの混乱した精神状態を反映しているという解釈がなされた。また、マッカ啓示とマディーナ啓示を比較すると前者は終末論的な色彩が強く、後者は法規定に関する言及が多いのは、イスラム教の信徒たちがヒジュラを境に、マッカにおける先鋭的な新興教団から、マディーナを支配する一種の国家に変化したためとみなされた。また、キリスト教やユダヤ教の扱いに関して、初期の啓示ではこれらに友好的な態度を見せているのに、マディーナにおける後期の啓示では強い敵対心を示しているのは、一神教の先輩であるユダヤ教がムハンマドのイスラム教団と直接に接触する中で、イスラムを異端視したり、イスラーム共同体と政治的に衝突したことが原因であるとした。そして、マディーナ啓示において旧約聖書に由来する預言者の物語が増えるのは、彼がマディーナに住むユダヤ教徒から旧約聖書の内容を学んだためだ、と考えられた。クルアーンの伝承がしばしば旧約聖書や新約聖書と食い違うのは、ムハンマドの得た情報が不完全だったとか、あるいは無学な彼が勘違いをおかしたためだと断定された。 このように非イスラム教徒やリベラル・ムスリムが行ってきた議論はクルアーンを合理的に解釈して説明したが、しかしこれはクルアーンを神に直接に由来する奇蹟だとする教条的・保守的イスラムの信仰との対立を生んでいる。また、売り上げ的には世界のベストセラーのひとつであるが作者が誰かという問題がある。歴史的にみればムハンマドであるが、イスラム教徒の間では現在でもアッラーフであるという意見が主流である。 クルアーンの編纂(書物としての成立)についての研究が対立を生む場合がある。1993年、カイロ大学アラビア語科助教授ナスル・アブゼイド(en:Nasr Abu Zayd)が発表した「口頭で伝承されたクルアーンのうち、何を含めるか、どの口語で書くべきなのかが正統カリフ時代に激しい論議を生んだ」という研究が「無神論的」であると批判された。その内容が問題視され、原理主義的な教授陣の反対によりナセルは教授就任を拒否された。ムスリム同胞団員の弁護士は彼をカーフィル(背教者)とし、よってムスリム女性と婚姻を続けることはできず、夫人と離婚しなければならないと訴え出た。1994年、裁判所は訴えた弁護士が婚姻関係については第三者であるという理由で一度は退けたものの、第二審で逆転。イスラム教徒なら誰にでも宗教を擁護し、訴え出る権利があるとした。ナセルは背教者であり離婚すべきとの判決が下された。その後、過激派の指導者がナセルへの制裁を認める発言をするなど危険な状況となり、彼はイブテハル・ユーニス夫人とともにオランダに亡命することになった。
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