イギリス音楽の「十字軍」としてとは? わかりやすく解説

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イギリス音楽の「十字軍」として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 16:47 UTC 版)

三浦淳史」の記事における「イギリス音楽の「十字軍」として」の解説

彼は「評論家十字軍説」という文章の中で「批評家というものは、何かをひじょうに支持するか、あるいは何かにひじょうに反対するかしなくてはならない」というアメリカ音楽評論家の説を引用しているが、三浦が非常に支持したのはイギリスの音楽であった音楽之友社編集した名曲案内』(1956年)でイギリスアメリカ作曲家についての項目をほぼすべて執筆していることからも察せられるように、1950年代には既に英米音楽に強い評論家として地位築いていた。アンドレ・プレヴィンネヴィル・マリナーといった親交のある音楽家の姿を日本伝え、またジャクリーヌ・デュ・プレ熱烈なファンを以て自認する一方ジョージ・バターワース初めとして、ロジャー・キルター、アーネスト・ジョン・モーランといった知られざるイギリス作曲家紹介することも忘れなかった。 しかし何と言っても飽きることなく彼が描き続けたのはディーリアスの姿ではなかったか。以下は、三浦還暦過ぎてようやく刊行した初めての評論集、『レコードのある部屋』の巻頭収められた「夏の歌 グレッズのデリアス」からの引用である。 「デリアスディーリアスがもっと原音に近いかと思う。デリウスと呼ぶのはドイツ語読みである)は、後半生を、パリフォンテンブローから南へ40キロ奥まったグレシュールロワンという寒村隠遁して、TV映画のように同地亡くなった彼の生涯は、その美し交響詩のように一篇の詩であったが、晩年不遇にもめげず、ヨークシァー人らしく、(頑固で知られている)、雄々しく生き抜いたのであるいまだに版を重ねているフェンビーさんの名著読みロンドンフェンビーさんにお目にかかることができたにもかかわらず、それは伏せられていたのであるデリアス音楽ひそかに愛してきたわたしは、デリアス生涯終末を、崇高な悲愴美にたかまってゆくフィナーレとして見ていたのである。(中略多少とも規模大きな作品となると変奏形式以外を使おうとしなかったデリアス音楽楽想の展開を失ってしまう。合唱のはいる「アパラチア」なども、チェロ群による動機名状しがたい期待サスペンスを、ぞくぞくするほど、呼びさますのだが、(この曲の録音死の直前行ったサー・ジョン・バルビローリのリハーサル風景では、必死になってこの動機をリハースさせている)、あとは何もおきないのである。この動機をきくつど、わたしは期待胸がつまるのだが、もちろん、何も起きはしないのだ。ついに、わたしは、われわれの人生このようなのであるかも知れない少なくとも自分はそうだと思って聴くようになった」 ここに、三浦評論世界のほぼすべてがある唯一欠けているのは、「人の心を暖めるエピソードである)。彼はしばしば、原音に近いカタカナ表記模索から文章書き起こした人物を描く前提として民族性配慮するのも彼のいつものやり方であるし、洋書情報源としているのは自他共に認める海外屋」の真骨頂である。そして何よりも、彼は「何も起きはしない音楽好んだそれ故イギリス音楽を、中でもディーリアス愛したであろうこうした軽妙な或いは平穏無事な音楽への愛情は、イギリス音楽とどまらず他の国音楽にも及んでいる。例えば、彼はクラウディオ・アバドの「リリカルマーラー」に共感していた。以下の引用文も、海外評論参照し英単語込められた意味を丹念に探っているあたりなど、典型的な三浦文章と言えるまた、単に海外での評価追随するのでなく、それと自らの感覚とを対比させているところに注意されたい。「海外屋」は、ただヨコ書かれたものをタテ直すような仕事をしていたのではなかった。 「『タイムズ』紙では、『ニュー・グローヴ』の主幹でモーツァルティアンとして知られるスタンリー・サディーが演奏評を書いている。ミダシは<リリカル・マーラー>とある/──マーラーの≪第五交響曲≫が、嬰ハ短調荒々しく厳しいものから、嬰ニ長調輝かしく明るいものへの経過表しているとするならば、水曜日の夜のプロムス公演における唯一の欠点は、その旅がその距離を充分にカヴァーしていなかったということであったなぜならばクラウディオ・アバドは、あの冷酷な冒頭楽章緩く沈鬱な重い足どりで演奏したとしても、音楽のあの暗い底にまで完全に届いたとはいいがたかった。彼がふったすべてに純粋にリリカル温かみ浸透していたからである/──おそらく、もっと進んで醜さ認めようとする指揮者のみが、マーラー精神的な旅に、そのマクシマム叙事詩的性格与えることができるというものだろう。(中略、以下三浦見解マーラー音楽には“醜いもの”が、そこかしこにあるということはむこうの音楽評論家の書くものの中に、かなりひんぱんに見うけられる。“アグリー”という言葉には、いろんな意味が含まれているらしく、「醜い」の訳語だけで代表させるわけにはいかないらしい。「ぶざまなぶかっこうないまわしいたちの悪いやっかいな等々の意味がこの一つ単語中に棲息しているらしいのであるマーラー子供のころしょっちゅう耳にしたという兵営ラッパ音のエコーが、彼の交響曲なかでもきこえてくるが、むこうの人の感覚によれば「あれもアグリーなんだ」そうだ。われわれ、少なくともぼくは、あのラッパエコーそれほどアグリーには感じないんだよな、困ったことに/(中略)ぼくはアバドマーラー聴くと、当惑しないマーラー聴くことができる。アバドが、≪第五交響曲≫で“もっと進んで醜さ(アグリネス)を認めようとしなかったことに感謝したい気持ちだし、アバドの「リリカルマーラー」により多く共感覚えのであるリリカル軽妙平穏無事な音楽対極位置する重厚長大音楽として三浦想定していたのは、恐らくベートーヴェンであったろう。三浦は言う。「わたしにいわせると、年の暮れベートーヴェンの「第九」を年間行事のように聴きにくる人の気持ちわからないあのようにフルフィルされた作品聴くことは、とりわけ年の暮れには堪えがたいことではあるまいか?」 上に挙げた音楽家の他にも三浦多く音楽家愛したが、中でも筆頭挙げられるのはトマス・ビーチャムデニス・ブレインであろう。「いかに莫大な名声巨億の富を手に入れようとも、同時代作曲家との創造活動参加しなかった指揮者生涯空しいといわねばなるまい」と述べ三浦にとって、ディーリアス擁護者であったビーチャムはその条件満たしており、また彼は、三浦愛すウィット溢れたエピソード極めて豊富な人物であって三浦にとって理想音楽家であったようにも思われる。そのビーチャムが自ら創設したロイヤル・フィル首席ホルン奏者抜擢したのがブレインであった交通事故早世してしまったブレインの「豊麗メロウな音」を三浦愛し繰り返し取り上げて文章にしている。 三浦支持した音楽家その音楽続いては、彼が「ひじょうに反対」した音楽求める段となるべきところだが、彼が何かに非常に反対することはほとんどなかったようにうけられるデュ・プレ熱愛する余り、その悲劇嘆いて豆タンクのような男の性急な求婚退けていたら、彼女のチェロ今なお輝かしく鳴っていただろうに!」と憤慨しているが、これはご愛敬というものであろう。あえて「非常な反対」を求めるなら、スイス・ロマンド管弦楽団(OSR)について書いたアンセルメ後継者育成しなかったので、その没後サヴァリッシュシュタインらのドイツ系指揮者が、アンセルメが OSR に築いた伝統壊滅するのに貢献した」という一文挙げられようか。同様の文章は『レコード聴くひととき ぱあと2』や『アフター・アワーズ』にも見られアンセルメ作り上げた響き失われたことを三浦強く惜しんだイギリス音楽のみならず、彼がフランス音楽をも愛したことがここに表れている。

※この「イギリス音楽の「十字軍」として」の解説は、「三浦淳史」の解説の一部です。
「イギリス音楽の「十字軍」として」を含む「三浦淳史」の記事については、「三浦淳史」の概要を参照ください。

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