アパラチアとは? わかりやすく解説

アパラチア

作者永倉万治

収載図書おけら
出版社文芸春秋
刊行年月1996.4


アパラチア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/18 15:50 UTC 版)

アパラチアの範囲

アパラチア英語: Appalachia)は、ニューヨーク州からミシシッピ州まで伸びるアメリカ合衆国東部の地域(アパラチア山脈周辺地域の田舎と都会と産業化された地域)を表す用語。アパラチア山脈の一部はメイン州を通ってカナダまで伸びているが、ニューイングランドは通常アパラチアの定義から除外される。

1200万人以上の人々がアパラチアに住んでいる。イギリスと大体同じ大きさのエリアで、ほとんど山に覆われている。南はミシシッピ州アラバマ州の境界から、北はペンシルベニア州ニューヨーク州の境界まで、しばしば孤立したエリアになっている。アパラチアはまた、ジョージア州サウスカロライナ州ノースカロライナ州テネシー州バージニア州ケンタッキー州オハイオ州メリーランド州の一部と、ウェストバージニア州の全てを含んでいる。

文化

20世紀より前は、アパラチアの人々は地理的に他地域から孤立していた。その結果、18世紀中に地域を開発した彼らの祖先(多くはイングランド人スコットランド人、スコッチ=アイリッシュ、アイルランド人)の文化が保存された。地域の文化には、強い口承の伝統(音楽や歌など)、自給自足の生活と、固い信仰が含まれている。19世紀後半には地域に石炭が掘り起こされ、アイルランドや中央ヨーロッパからの新たな移民の波を迎えた。そしてこの工業化により都市化が進んだ。

アパラチアは経済的に発展していない状態が長い間特徴であったが、ここ最近10年[いつ?]歴史家と人類学者[誰?]から同情的な扱いを受けている。Foxfireプロジェクト(1972年に始まった文章のアンソロジー)は、カウンターカルチャーの嗜好にうまく合い、学問的にこの地域を新しい視点で見る機会を与えた。また、ジョージア州からメイン州まで伸びるアパラチアン・トレイルが1936年に建設されたことにより、この地域は世界中のハイキングおよびアウトドア愛好者に知られることとなった。

名前と発音

最初に「アパラチア」系の地名が登場する地図であるグティエレスの1562年の地図

1528年のパンフィロ・デ・ナルバエスによるフロリダ探検のメンバー(アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカを含む)は、今のフロリダ州タラハシー付近に先住民の村を発見し、その名をアパルチェン(Apalchen)またはアパラチェン(Apalachen)と転写した。スペイン人によってこの地名はアパラチェ(アパラチー)に変えられ、その地およびずっと北部の内陸にまで分布する部族名として使用された。ナルバエス探検隊は1528年6月15日にアパラチー族の地にはじめて到達し、この名前を採用した。現在「Appalachian」と綴られるこの地名はアメリカ合衆国でヨーロッパ人がつけた4番目に古い地名である[1]

1540年のエルナンド・デ・ソトの探検以降、スペインの地図製作者がこの部族名をアパラチア山脈に適用するようになった。「Apalchen」が初めて出現する地図はディエゴ・グティエレスの1562年の地図であり、最初に山脈名として使われたのは1565年のジャック・ル・モワーヌの地図である[2]。ル・モワーヌはまた「Apalachen」の語を村や先住民の部族や北アメリカ南東部を指すのではなく山脈の名として使用した最初のヨーロッパ人だった[3]

山脈全体を指すのにこの語を用いるのが普通になったのは19世紀末になってからである。競合する、より一般的な名称は「アレゲーニー山脈」、「アレゲーニーズ」、あるいは「アレガニア」であった[4]

南部アメリカ英語で山脈名は[æpəˈlæənz]、文化的地域名としては[ˈæpəˈlætʃ(i)ə]と発音される(第3音節が「ラ」)[5][6]。この発音はアパラチア山脈の中央部・南部の「コア」地域で好まれる。アメリカ合衆国北部の方言では山脈名は[æpəˈlənz]または[æpəˈlʃənz]、文化的地域名は[æpəˈleɪtʃ(i)ə]または[æpəˈleɪʃ(i)ə]のように発音される(第3音節が「レイ」)。南部の住民の一部にとって北部の発音は問題があるとされる[7]。北部方言で「ch」を「sh」のように発音することがあるのは、20世紀のはじめにニューイングランドアパラチアン・トレイルによって広められた[8]:11–14

脚注

  1. ^ フロリダ、ドライ・トートゥガスケープ・カナベラルに次ぐ。Stewart, George (1945). Names on the Land: A Historical Account of Place-Naming in the United States. New York: Random House. pp. 11–13, 17–18 
  2. ^ Walls, David (1977), "On the Naming of Appalachia", in An Appalachian Symposium, pp. 56–76.
  3. ^ Blaustein, Richard (2003), The Thistle and the Brier: Historical Links and Cultural Parallels Between Scotland and Appalachia, p. 21.
  4. ^ Stewart, George R. (1967). Names on the Land. Boston: Houghton Mifflin Company.
  5. ^ Walls, David (2006). "Appalachia". The Encyclopedia of Appalachia (Knoxville: University of Tennessee Press), pp. 1006–07.
  6. ^ Webster's Third New International Dictionary of the English Language Unabridged (Springfield, Mass.: Merriam-Webster, 1993), p. 102.
  7. ^ Ivey, Mike (1986). “A rose by another name is a damned brier”. Appalachian Heritage (The University of North Carolina Press) 14 (3): 53–54. doi:10.1353/aph.1986.0112. 
  8. ^ John Alexander Williams, Appalachia: A History (Chapel Hill: the University of North Carolina Press, 2002)

関連項目

外部リンク


アパラチア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/07 14:31 UTC 版)

第二次大覚醒」の記事における「アパラチア」の解説

アパラチア地方リバイバルキャンプ・ミーティング野営天幕集会)を使用して促進され前の世紀の第一次大覚醒同様の特徴を持つ。キャンプ・ミーティング複数伝道者数日間行う礼拝であった人口希薄な地域への移住者にとって伝道集会は、開拓地で孤独な生活からの避難所であったリバイバルへの数百または数千人々参加快活さは、これらのイベント関連したダンス叫び、歌を起こした社会生活よりも重要なのは、罪の意識によって砕かれそののち個人的な救済感覚によって回復された、個人自尊心への深い衝撃であった回心者の大部分小さな地方教会加わりその結果教会急激に成長した初期野外礼拝のひとつは、1800年7月ケンタッキー州南西部のクリーデンス・クリアウォーター教会行われた1801年ケンタッキー州ケーンリッジで開かれた大きな集会では、恐らく最大2万人が集まった多く長老派バプティストメソジスト聖職者がこの礼拝参加した。この出来事は、メソジストバプティストといった教派教会拡大主な手段としてリバイバル認識させた。この大きなリバイバル運動は、すぐにケンタッキーテネシーオハイオ南部急速に広がった

※この「アパラチア」の解説は、「第二次大覚醒」の解説の一部です。
「アパラチア」を含む「第二次大覚醒」の記事については、「第二次大覚醒」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アパラチア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「アパラチア」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アパラチア」の関連用語

アパラチアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アパラチアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアパラチア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第二次大覚醒 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS