アパラチア
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アパラチア(英語: Appalachia)は、ニューヨーク州からミシシッピ州まで伸びるアメリカ合衆国東部の地域(アパラチア山脈周辺地域の田舎と都会と産業化された地域)を表す用語。アパラチア山脈の一部はメイン州を通ってカナダまで伸びているが、ニューイングランドは通常アパラチアの定義から除外される。
1200万人以上の人々がアパラチアに住んでいる。イギリスと大体同じ大きさのエリアで、ほとんど山に覆われている。南はミシシッピ州とアラバマ州の境界から、北はペンシルベニア州とニューヨーク州の境界まで、しばしば孤立したエリアになっている。アパラチアはまた、ジョージア州、サウスカロライナ州、ノースカロライナ州、テネシー州、バージニア州、ケンタッキー州、オハイオ州、メリーランド州の一部と、ウェストバージニア州の全てを含んでいる。
文化
20世紀より前は、アパラチアの人々は地理的に他地域から孤立していた。その結果、18世紀中に地域を開発した彼らの祖先(多くはイングランド人、スコットランド人、スコッチ=アイリッシュ、アイルランド人)の文化が保存された。地域の文化には、強い口承の伝統(音楽や歌など)、自給自足の生活と、固い信仰が含まれている。19世紀後半には地域に石炭が掘り起こされ、アイルランドや中央ヨーロッパからの新たな移民の波を迎えた。そしてこの工業化により都市化が進んだ。
アパラチアは経済的に発展していない状態が長い間特徴であったが、ここ最近10年[いつ?]は 歴史家と人類学者[誰?]から同情的な扱いを受けている。Foxfireプロジェクト(1972年に始まった文章のアンソロジー)は、カウンターカルチャーの嗜好にうまく合い、学問的にこの地域を新しい視点で見る機会を与えた。また、ジョージア州からメイン州まで伸びるアパラチアン・トレイルが1936年に建設されたことにより、この地域は世界中のハイキングおよびアウトドア愛好者に知られることとなった。
名前と発音

1528年のパンフィロ・デ・ナルバエスによるフロリダ探検のメンバー(アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカを含む)は、今のフロリダ州タラハシー付近に先住民の村を発見し、その名をアパルチェン(Apalchen)またはアパラチェン(Apalachen)と転写した。スペイン人によってこの地名はアパラチェ(アパラチー)に変えられ、その地およびずっと北部の内陸にまで分布する部族名として使用された。ナルバエス探検隊は1528年6月15日にアパラチー族の地にはじめて到達し、この名前を採用した。現在「Appalachian」と綴られるこの地名はアメリカ合衆国でヨーロッパ人がつけた4番目に古い地名である[1]。
1540年のエルナンド・デ・ソトの探検以降、スペインの地図製作者がこの部族名をアパラチア山脈に適用するようになった。「Apalchen」が初めて出現する地図はディエゴ・グティエレスの1562年の地図であり、最初に山脈名として使われたのは1565年のジャック・ル・モワーヌの地図である[2]。ル・モワーヌはまた「Apalachen」の語を村や先住民の部族や北アメリカ南東部を指すのではなく山脈の名として使用した最初のヨーロッパ人だった[3]。
山脈全体を指すのにこの語を用いるのが普通になったのは19世紀末になってからである。競合する、より一般的な名称は「アレゲーニー山脈」、「アレゲーニーズ」、あるいは「アレガニア」であった[4]。
南部アメリカ英語で山脈名は[æpəˈlætʃənz]、文化的地域名としては[ˈæpəˈlætʃ(i)ə]と発音される(第3音節が「ラ」)[5][6]。この発音はアパラチア山脈の中央部・南部の「コア」地域で好まれる。アメリカ合衆国北部の方言では山脈名は[æpəˈleɪtʃənz]または[æpəˈleɪʃənz]、文化的地域名は[æpəˈleɪtʃ(i)ə]または[æpəˈleɪʃ(i)ə]のように発音される(第3音節が「レイ」)。南部の住民の一部にとって北部の発音は問題があるとされる[7]。北部方言で「ch」を「sh」のように発音することがあるのは、20世紀のはじめにニューイングランドのアパラチアン・トレイルによって広められた[8]:11–14。
脚注
- ^ フロリダ、ドライ・トートゥガス、ケープ・カナベラルに次ぐ。Stewart, George (1945). Names on the Land: A Historical Account of Place-Naming in the United States. New York: Random House. pp. 11–13, 17–18
- ^ Walls, David (1977), "On the Naming of Appalachia", in An Appalachian Symposium, pp. 56–76.
- ^ Blaustein, Richard (2003), The Thistle and the Brier: Historical Links and Cultural Parallels Between Scotland and Appalachia, p. 21.
- ^ Stewart, George R. (1967). Names on the Land. Boston: Houghton Mifflin Company.
- ^ Walls, David (2006). "Appalachia". The Encyclopedia of Appalachia (Knoxville: University of Tennessee Press), pp. 1006–07.
- ^ Webster's Third New International Dictionary of the English Language Unabridged (Springfield, Mass.: Merriam-Webster, 1993), p. 102.
- ^ Ivey, Mike (1986). “A rose by another name is a damned brier”. Appalachian Heritage (The University of North Carolina Press) 14 (3): 53–54. doi:10.1353/aph.1986.0112.
- ^ John Alexander Williams, Appalachia: A History (Chapel Hill: the University of North Carolina Press, 2002)
関連項目
外部リンク
アパラチア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/07 14:31 UTC 版)
アパラチア地方でリバイバルはキャンプ・ミーティング(野営天幕集会)を使用して促進され、前の世紀の第一次大覚醒と同様の特徴を持つ。キャンプ・ミーティングは複数の伝道者が数日間行う礼拝であった。人口の希薄な地域への移住者にとって伝道集会は、開拓地での孤独な生活からの避難所であった。リバイバルへの数百または数千の人々の参加の快活さは、これらのイベントに関連したダンス、叫び、歌を起こした。社会生活よりも重要なのは、罪の意識によって砕かれ、そののち個人的な救済の感覚によって回復された、個人の自尊心への深い衝撃であった。回心者の大部分は小さな地方の教会に加わり、その結果教会は急激に成長した。初期の野外礼拝のひとつは、1800年7月にケンタッキー州南西部のクリーデンス・クリアウォーター教会で行われた。1801年、ケンタッキー州ケーンリッジで開かれた大きな集会では、恐らく最大2万人が集まった。多くの長老派、バプティスト、メソジストの聖職者がこの礼拝に参加した。この出来事は、メソジストやバプティストといった教派に教会拡大の主な手段としてリバイバルを認識させた。この大きなリバイバル運動は、すぐにケンタッキー、テネシー、オハイオ南部に急速に広がった。
※この「アパラチア」の解説は、「第二次大覚醒」の解説の一部です。
「アパラチア」を含む「第二次大覚醒」の記事については、「第二次大覚醒」の概要を参照ください。
「アパラチア」の例文・使い方・用例・文例
- アパラチア山脈の山の原始的な生活状態
- 大陸の古代アパラチア山脈の永久の花崗岩
- アパラチアで、または、それに関して
- (ペンシルバニア州からノースカロライナ州までの)アパラチア山脈周辺の、荒廃した鉱山地域
- 海岸平野間の高原およびアパラチア山脈:ヴァージニア、カロライナの北部と南部の一部、ジョージアおよびアラバマ
- アパラチア山脈の西地域
- 南ペンシルバニアから北ジョージアまで及ぶ一連のアパラチア山脈
- 南東のニューヨークのハドソンの西へのさまざまなアパラチア地方人
- アパラチア山脈の南西部
- ノースカロライナとテネシーの間のアパラチア山脈の一部
- バーモント州を通じて南北に延びるアパラチア山脈
- アパラチア山脈の高い場所の窪地に小屋を彼は自ら建設した
- コネチカット、マサチューセッツおよびバーモントがあるニューヨークの東境界に沿った範囲のアパラチア山脈
- アパラチア山脈に住んでいたが現在は主にオクラホマ州に住むイロクォイ族
- アパラチアの出身者、または、居住者
- 米国東部(アパラチア山脈)産の、小型で、葉が2本ずつ束生する高地性のマツで、濃褐色の薄片状の樹皮と先端がとがった球果の鱗片を持つ
- アパラチア炭田という,アメリカ合衆国にある地域
- アパラチア山脈という北米東部の山脈
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