らい予防法についての日本らい学会の見解とは? わかりやすく解説

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らい予防法についての日本らい学会の見解

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 15:56 UTC 版)

日本ハンセン病学会」の記事における「らい予防法についての日本らい学会の見解」の解説

らい予防法についての日本らい学会の見解 わが国のらい対策には第1回国際らい会議(1897年)が大きく影響しているとされる。この会議での結論は、らいの予防には隔離最善ということであったが、無差別な強制すすめてはいなかった。法律第11号癩予防ニ関スル件」(1907年)を議会提出した内務省も、予防よりは救済先決であり、在宅患者には省令訓令でもって対応し患者の子弟は養育院預けるなどと答弁している。しかし、実際に予算的に多数隔離が困難であったための口実過ぎず全国5か所の公立療養所に1050床を整備したとどまった。しかもその後増床遅々として進まず当事者にとっては予期反していたであろうが、この僅かな入所患者の中からでさえ逃亡者が後を絶たず、所内風紀を乱す患者もいたから、所長懲戒検察付与し権力をもって所内秩序統制図った。かくて、3回にわたる改正経て絶対隔離目指す法律58号、癩予防法改まった。(1931年絶対隔離強行したのは、らいの伝染性いたって弱いが、濃密な接触繰り返す家族においてはどのような患者伝染源となる可能性があり、しかも発病すれば生涯不治という認識からであった。これは当時の社会背景例えばらいを国辱病と考え国粋主義や、隔離正当化する社会防衛論などにも支持され患者救済よりも、伝染源の社会からの完全な排除目的とした対策が、強力に推しすすめられることになった。しかし、最も確かな統計とされる徴兵検査の際に発見された、いわゆる<壮丁らい>の年次推移は、1897年から1937年にいたるまでに、急速な減少向けて明らかな漸近線示している。また1919年から1935年までの間の4回の全国調査でも、患者年齢構成は、青壮年者の減少に対して老年者増加しており、疫学的にみたわが国のらいは、隔離とは関係なく終焉むかっていたと言える。つまりこのような減少実態は、社会生活水準の向上に負うところが大きく伝染源の隔離目的制定された「旧法」も、推計的な結果論とはいえ敢えて立法化する必要はなかった。それにもかかわらず、「旧法」の基本的原理変えずに「現行法」は制定された(1953年)。当時すでに、プロミン効果は明らかであったし、国際的に患者隔離否定されていた。その後DDS経て1971年からはリファンピシンハンセン病治療用いられ1982年にはわずか数回与薬によって、らい菌感染性消失することも動物実験明らかにされた。最近は新たにニューキノロン系薬剤加わり、これらを組み合わせた多剤併用療法著効奏してママ〕いる。ハンセン病治療は、当初から外来治療が可能であり、ときには対応が困難とされたらい性結節性紅斑やらい性神経炎も、現在では十分管理できるようになった。さらに、過去のスルフォン剤単剤による再発率比べると、多剤併用療法のそれは極端に低い。また、ハンセン病医学現状をみると、ハンセン病感染経路感染性発症力との関係、宿主易感染性遺伝的素因など、不明瞭な部分多くあるが、最近の知見から推して一般細菌感染症の概念から逸脱する研究報告皆無であり、特別の感染症として扱うべき根はまった存在しない。 以上述たように、「現行法」はその立法根拠をまったく失っているから、医学的には当然廃止されなくてはならない。ところでわが国は、1955年には全体91%余り隔離終わり、かってのような隔離強制はなく、外来治療定着する中で、新発患者激減したために、療養所中心ハンセン病対策続けてきた。必然的に社会との共存訴えるWHOとは相容れず、いきおい世界から孤立してしまった。一方国内においても、療養所中心という閉鎖性わざわいして、医療機関研究機関ハンセン病対す関心薄めてきたのは否定できない日本らい学会が、これまでに「現行法」の廃止積極的に主導せず、ハンセン病対策誤り是正できなかったのは、学会中枢療養所の関係会員占めて学会動向左右していたからでもあり、長期わたって現行法」の存在黙認したことを深く反省する。(中略終わりに、救癩旗印掲げて隔離最善信じ、そこに生涯賭けた人の思いまでを、私たち踏みにじる権利がない。しかし、無謀な強制隔離によって、肉親引き離された人の悲痛な叫びに、今改め耳を傾けながら、これほど無残さを黙視したことに対し日本らい学会には厳し反省求められるであろう。それに、らい対策医療対策以外の何ものでもないから、隔離強制容認する世論高まり意図して、らいの恐怖心あおりたてるのを先行してしまったのは、まさに取り返しつかない重大な誤りであった。この誤りは、日本らい学会もちろんのこと日本医学会全体再認識しなくてはならない。(後略日本らい学会らい予防法検討委員会 尾崎元昭後藤正道、長尾榮治、成田稔委員長)、牧野正

※この「らい予防法についての日本らい学会の見解」の解説は、「日本ハンセン病学会」の解説の一部です。
「らい予防法についての日本らい学会の見解」を含む「日本ハンセン病学会」の記事については、「日本ハンセン病学会」の概要を参照ください。

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