「さまよえる湖」
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古来中国で西域と呼ばれる地域にあるロプノールは、「塩沢」あるいは「蒲昌海」などという名で知られ、紀元前1世紀頃の漢の時代には、「縦横ともに300里の鹹湖(かんこ)で、冬も夏も水量が変わらない」と『漢書西域伝序』に記された広大な湖であった。 西岸には都市国家・楼蘭が栄え、シルクロードの要衝となっていた。 しかし、3世紀頃からこの地域一帯の乾燥化が進んだと見られており、豊富な水を失った楼蘭は4世紀以降急速に衰退していった。 ケリヤ ニヤ ホータン(于闐) カルギリク 且末 ヤルカンド(莎車) イェンギサール 若羌 カシュガル 陽関 巴楚 ロプノール 敦煌 玉門関 楼蘭 アクス 烏什 亀茲 コルラ クチャ 輪台 焉耆 高昌 ハミ トルファン アルマトイ ウルムチ グルジャ 阿拉山口 カラマイ チョチェク アルタイ スイアブ 鎖陽城 アルタイ山脈 天山山脈 崑崙山脈 パミール高原 アルチン山脈 タクラマカン砂漠 クムタグ砂漠 グルバンテュンギュト砂漠 西域地図(東トルキスタン/新疆ウイグル自治区) このためシルクロードのいわゆる「オアシスの道」も、楼蘭を経由するルートは往来が困難になり、唐の時代までには敦煌または少し手前の安西から北上・西進してトルファンを通り、天山山脈南麓のコルラへ出るルートが中心となった。 こうして楼蘭とロプノールはいつしか流砂の中に消えてゆき、ついにはどこにあったのかもわからない伝説上の存在となった。13世紀に元の都を訪れたヴェネツィアの商人マルコ・ポーロは、カシュガルから西域南道を辿り、湖の南縁をかすめるルートで敦煌に達したとされているが、『東方見聞録』の中でロプノールには全く言及していない。 1876年から1877年にかけて内陸アジアの冒険旅行を敢行したロシア軍大佐ニコライ・プルジェヴァリスキーは、タリム川の下流が南東ないし南に向かって流れており、砂漠の南部にカラ・ブランとカラ・コシュンという2つの湖を形成しているのを発見した。これらの湖は、中国の古文書などから推定されるロプノールの位置より緯度にしておよそ1度南にあったが、プルジェヴァリスキーはこれがロプノールであると主張した。 この発見を賞賛する声がある一方、「シルクロード」という呼称を最初に提唱したドイツの地理学者リヒトホーフェンは、これらが淡水湖であることから、まだ生まれて間もない新しい湖に違いなく、塩湖であるとされるロプノールはタリム川の東へ向かう支流の先にあるはずだから、どこかで支流を見落としたのだろうと指摘した。 しかし、「川を渡るのはいつも苦労の種だったから、もしそのような支流があれば見逃すはずがない」とプルジェヴァリスキーは反論し、決着はつかなかった。 リヒトホーフェンの弟子で、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家であったスヴェン・ヘディンは、19世紀末から20世紀初頭にかけてこの一帯を踏査し、1900年にカラ・コシュンのはるか北方で楼蘭の遺跡を発見した。その北側にはクルク・ダリヤ(乾いた川)と呼ばれる東西方向に伸びる干上がった川床が存在することも知られていたことから、ヘディンはタリム川がかつてはこの川床を東に向かって流れており、楼蘭の東から南にかけて広がっている低地に注いでいたに違いないと考え、これこそがロプノールであると確信した。綿密な調査の結果、カラ・コシュンは流入する泥土や繁茂する植物の残骸などの沈積によって次第に浅くなっていき、一方干上がっているロプノールは強い東北東の風による風食で表土が削られて標高が下がり、やがて高低差が逆転すると、タリム川が再び流れを変えて、かつてのロプノールに戻るはずだとヘディンは考えた。 およそ1600年前にはその反対の現象が起こってロプノールは干上がり、砂漠の南に新たな湖が生まれたに違いない。 つまり、この一帯は標高差がわずかしかないため、末端湖や川床に対する堆積や侵食の作用によってタリム川の流路がある期間を経て大きく変化し、それに伴って湖の位置が移動するのだとする学説を打ち立て、ロプノールを「さまよえる湖」と呼んだのである。 1928年、トルファンに滞在していたヘディンは、この地の商人から1921年にタリム川が東に向かって流れを変えたという話を聞いた。当時の中国国内の複雑な事情で、すぐには現地に入れなかったが、1934年にヘディンは干上がってクルク・ダリヤと呼ばれていた川、水が戻ってきてからはクム・ダリヤ(砂の川)と呼ばれるようになった川をカヌーで下って満々と水をたたえたロプノールに到達し、予言が正しかったことを自らの目で確かめることができた。 こうした事実とヘディン自身の著書によって、「さまよえる湖」説は広く知られているが、これはあくまでもひとつの仮説である。ロプノールについてはヘディンの他にも多くの学者が研究成果を発表しており、それらの中には「湖の移動などは起きていない」とする説も存在する。
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