「1600年周期」という誤解
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「ロプノール」の記事における「「1600年周期」という誤解」の解説
ヘディンの唱えた「さまよえる湖」説というのは「1600年あるいは1500年など一定の周期で湖が渡り鳥のように南北に移動を繰り返すということ」であると解説されることが多い。井上靖も、1958年に発表した小説『楼蘭』の中で「千五百年の周期をもって、南北に移動する湖であるという推定が行なわれ、それが一つの動かすべからざる定説となった」と述べているし、1980年に放送された『NHK特集 シルクロード -絲綢之路-』の『第5集 楼蘭王国を掘る』でも同様の解説がなされていた。しかし、ヘディン自身がそのようなことを述べた形跡は全く存在しない。 確かに、1901年にヘディンが予言したのは、「タリム川の水は、いつかきっとロプノールに戻って来る。その時がくれば湖が移動する周期の長さもわかるだろう」ということであるから、この時点では周期はまだわからないものの、移動がほぼ一定の間隔で繰り返されると考えていたことは間違いない。 しかし、ヘディンが想定していた堆積や侵食といった原動力によってそのような大きな変化が起きるまでには「何千年はおろか何万年もかかる」と見ていたことが、『さまよえる湖』の中にも記されており、遠い将来ほんとうに予言の通りになったとしても、「その時はもう予言した当人もその著作もとっくに忘れられている」とまで書いている。 それなのに、その予言からわずか20年、ロプノールが干上がってからたった1600年ほどで湖がもとの場所に戻って来たことを知ってからは、今回はたまたまおよそ1600年で起きたが、過去のことはわからないし、未来も必ず同じ周期とは限らない、この次にどこへ移動するかも確たることは言えないというように考えが変わっていったことが、同書の中にはっきりと書かれている。 本文中に「1600年周期」などということばは一度として出てこない。つまり、自身が想定した原動力だけでは説明が困難なほど短い期間で大きな変化が起きたことを知ったヘディンが、同書の執筆時点で最終的に到達した「さまよえる湖」説は、ロプノールは必ずしも渡り鳥のように一定の周期で移動を繰り返すわけではなく、文字通り "さまよえる湖" なのだということであり、「今始まった周期の長さについては、一切の予断をひかえるのが最良である。紀元330年に川と湖がその川床を捨てる前に、何百年の間楼蘭の近くにあったのか、私たちには分らない。次の大きい周期もやはり1600年つづくのであろうか。(中略)この疑問に答えられるのは未来だけである」と述べている。 こうした主張が本文中に極めて率直かつ明瞭に述べられているにもかかわらず、「1600年周期で移動を繰り返す」というような誤解が蔓延した原因は、ヘディンの著書が広く紹介される過程で、いつの間にか予言の中の「周期」ということばと、今回はたまたま「1600年」だったという事実とがつなぎ合わされて「1600年周期」ということばが作られ、これが一人歩きしてしまったことによるのである。 実際、岩波文庫版『さまよえる湖』を見ると、翻訳者の福田宏年が「訳者あとがき」において、本文中には存在しない「1600年周期」ということばを使って、ヘディンの学説に対する誤った内容の解説をしている上、本のカバーのキャッチコピーにまで「1600年周期」と印刷されている。 こうしたことが多くの読者に重大な誤解を与え、誤った説が流布される結果につながったのである。 しかしながら、岩波文庫版が上梓されたのは1990年である。井上靖の『楼蘭』は1958年であるから、1950年代には既に「1600年周期」説が "動かすべからざる定説" となっていたわけで、岩波文庫版よりはるかに前のことになる。 いつどこで最初にこのような誤解が発生したのか、これまでのところ確かなことはわかっていない。因みに『さまよえる湖』は岩波文庫版に先立って、筑摩書房版、白水社版、角川文庫版、中公文庫版などが出版されているが、ここに挙げた4書の中では白水社版のみ、監修者のひとりである深田久弥が巻末の解説の中で「ロプ・ノールは千六百年を周期として、その位置を変えることが立証された」と述べている。 しかし、これも1964年の発行なので、いわゆる "震源地" ではないことになる。他の3書には誤った内容の解説は見られない。ヘディンの紀行文には他にもよく知られているものがあり(など)、それらの中にもロプノールに言及している部分はあるが、少なくとも左に挙げた3書と1叢書の本文中に「1600年周期で移動を繰り返す」といったような記述は一切存在しない。ヘディンの伝記や自伝にも誤解を招くような表現は見当たらない。
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