まっ‐き【末期】
まつ‐ご【末期】
末期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/24 14:49 UTC 版)
末期(1860頃〜1912頃)
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「浮世絵師一覧」の記事における「末期(1860頃〜1912頃)」の解説
「Category:明治時代の画家」も参照 先行き不透明な社会不安に覆われた幕末の万延年間から維新をへて富国強兵の明治時代にかけて活躍した絵師。 歌川国孝 一寸子花里 梅素亭玄魚 梅素薫 照皇斎国広 松浦武四郎 竹葉堂 茶丸 雲僊 岡本常彦 藤岡隆章 蝸堂 東洋斎斐章 三代目 歌川国重 二代目 歌川国麿 三代目 勝川春亭 松光斎長栄 露木為一 橘雲峨 葛飾正久 葛飾直久 人見淇堂 西尾慶治 二代目 歌川信秀 歌川春中 歌川春富 中井芳滝 後藤芳景 歌川景虎 歌川景久 歌川芳信 歌川芳邨 歌川芳菊 落合芳幾 小林幾英 武田幾丸 木村幾年 泉幾勝 歌川芳近 歌川芳栄 歌川芳鷹 歌川芳基 歌川芳貞 玉池堂一豊 月岡芳年 水野年方 細木年一 富永年親 尾崎年種 山田年忠 中澤年章 中山年次 稲野年恒(武部年恒) 右田年英 金木年景 春斎年昌 大月年光 高斎年充 福島年光 辰斎年秀 武内桂舟 中江玉桂 片山春帆 山中古洞 筒井年峰 木藤年延 野坂年晴 柴田年人 尾崎年華 藤田年季 小林年参 布施年麿 山田年貞 福島年丸 斎藤年魚 服部年之 中村年邑 清水年芳 阪巻年玉 枝年祥 桂年挙 高橋年隆 享斎年保 中沢年甲 一鱗堂年一 花輪年香 北原年清 年長 年豊 年明 年重 年広 年久 篠田義正 河鍋暁斎 河鍋暁翠 河鍋暁雲 早川松山 松下久吉 長井一禾 真野暁柳 真野暁亭 斎藤暁文 辻暁夢 土屋暁春 滝村弘方 綾部暁月 吉田暁芳 山本龍洞 島田友春 荒木白雲 東洲勝月 望斎秀月 名和永年 中島千年 山邨誠祐 明林堂鶴寿女 豊原国周 歌川国歳 歌川国保 歌川重春 二代目 歌川広重(歌川重宣) 三代目 歌川広重(歌川重政) 四代目 歌川広重(菊池貴一郎) 歌川重清 歌川重歳 歌川重久 昇斎一景 四代目 歌川豊国(三代目 歌川国政、二代目 歌川国貞) 四代目 歌川国政(三代目 歌川国貞) 五代目 歌川国政 歌川政信 歌川国雪 歌川国麿 歌川国利 歌川国明 二代目 歌川国明 二代目 歌川国春 歌川貞秀(橋本貞秀) 歌川貞雅 歌川国照 歌川国綱 二代目 歌川国輝(二代目 歌川国綱) 三代目 歌川国輝 歌川国玉 芦原国直 長谷川竹葉 肉亭夏良 二代目 歌川国久 歌川豊宣 歌川国峰 歌川国鶴 二代目 歌川国鶴 歌川国松 二代目 歌川広近 尾竹越堂 歌川芳梅 一梅斎芳峰 岩井梅雪 笹木芳光 野村芳圀 森芳雪 藤井芳春 歌川芳景 歌川芳員 歌川芳玉 初代 歌川芳艶 二代目 歌川芳艶 一橋斎艶長 歌川一豊 二代目 歌川芳豊 歌川芳秀 歌川芳麿 歌川芳藤 一鵬斎藤よし 歌川芳丸 歌川芳虎 歌川虎香 永島春暁 歌川芳鶴 歌川芳満 初代 歌川芳宗 二代目 歌川芳宗 歌川芳盛 二代目 歌川芳盛 歌川小芳盛 二代目 歌川芳丸 歌川芳雪 歌川芳仙 歌川芳谷 歌川芳桐 小林永州 歌川洲勢 一樋斎芳琴 歌川芳久 梅の本鶯斎 鶯斎梅児 武部芳豊 梅乃家梅英 初代 長谷川貞信 二代目 長谷川貞信(初代 長谷川小信) 長谷川宗広 三代目 長谷川貞信 二代目 長谷川小信 菊水茂広 一川礼山 小林清親 井上安治(井上探景) 田口米作 武田広親 蒔田俊親 篠原清興 小倉柳村 松木東江 春親 楊洲周延(橋本周延) 楊斎延一 鍋田玉英 梶田半古 飯沼玉亀 玉波 守川周重(歌川周重) 湯川周麿 周幸 柳斎周秀 豊原周春 五橋楼周芳 豊原周里 豊原周義 歌川和哥 今泉一瓢 小林永濯 富岡永洗 宮川春汀 小林永興 富田秋香 一港斎永林 落合芳麿 尾形月耕 尾形月山 小川耕一 繁岡耕晴 坂田耕雪 田井耕耘 原田耕挙 大倉耕濤 千品耕暁 月岡耕漁 庄田耕峯 笹井耕窓 遠藤耕渓 黒崎修斎 熊耳耕年 柴田耕洋 金森南耕 井江耕宗 菊地素石 山本昇雲 山崎年信 藤原信一 二代目 山崎年信 稲垣年直 西井菫斎 笠井鳳斎 加藤年洲 三代目 鳥居清満 鳥居清貞 初代 鳥居清種 三代目 鳥居清重(鳥居豊月) 三代目 鳥居清忠 二代目 鳥居清秀 安達吟光 竹内田蝶(歌川芳兼) 恩田文舟 青柳堤村 鈴木年基 林基春 小林芳秀 五粽亭広貞 五葉亭広信 東林斎広信 川崎美政 川崎千虎 埴原月岬 絵金(弘瀬金蔵) 入江長八 松浦守美 鰭崎英朋 英斎 蓮池堂 紅英斎 菱川有信 久米原雪谷 小杉桜湖 龍田精三 市川甘斎 野村美邦 小田切春陵 喜多村豊景 端館紫川 鏡湖
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末期(1943年-1945年)
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「東亜経済調査局」の記事における「末期(1943年-1945年)」の解説
満鉄調査部事件をきっかけとする大調査部の再編・解体に伴って、東亜経調は日本・中国・満州を担当していた東京本社調査室と統合、第一調査課(農業・鉱工業・流通・物量の4班)・第二調査課(経済・法制・社会文化・統計の4班)・第三調査課(印度・西南亜細亜・欧米の3班)の3課に再編成された。しかしほとんど調査機能は失われ、戦災と疎開への対応に時間を追われるまま敗戦に至った。敗戦後、東亜経調は解散となり、その蔵書のほとんどは占領軍により接収された。
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末期(1982年あたり)
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「スーパーダイスQ」の記事における「末期(1982年あたり)」の解説
クイズ出題の前に、1 - 9の数字が書かれた9枚のパネルの中から両者が1枚ずつ「ノックアウトマーク」(ボクシンググローブをびっくり箱風にイラスト化したもの)を入れる(入力時に「ポッ」の音が入るが、区別をつけるため音程は高音と低音に分かれている)。クイズの形態は早押し形式。お手つき・誤答の場合は相手側に解答権が移る。 正解が出た場合、正解できなかった解答者がパネルを1枚選択する。開いたパネルにサイコロのマークが表示されていれば「セーフ」となり、再びクイズが出題される。「ノックアウトマーク」が表示された場合は正解数関係なくその時点で敗退となる。 両者不正解の場合は、両者の解答席の間にある「×マーク」が点灯する(この状態を「×マークがプールされる」と呼ぶ)。プールされている場合、その後の問題に正解できなかった解答者はパネルを1枚+プールされた×マークの数だけ選ばなければならない(×マークはパネルが開いた段階で消灯する)。 相手がどこにノックアウトマークを入れたかはわからないようになっているため、両者が同じパネルにマークを入れるケースもあり、その場合はノックアウトマークは1つだけとなる。どこにマークを入れたかは、土居にもわからないようになっていた。ただし、最初期と最末期ではノックアウトマークを入れた番号が視聴者向けにテロップ表示されていた。誤って自分がノックアウトマークを設定した番号を言ってしまって負ける解答者もいた。 解答者がパネルの番号を言った後、観客が手拍子をしながら「セーフ!!セーフ!!」あるいは「アウト!!アウト!!」のコールをかけるのがお約束だった。 勝ち抜き賞金は一律3万円。 問題は土居自らが読み上げるため、問題と正解の書かれたカードは舞台裏から機械で土居の下に送り込まれてくる。舞台中央の小さなボックスからカードが飛び出す仕組みとなっており、カードが出る際にサイコロ模様のランプが点灯し、土居がカードを取り出すと消灯する。
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末期 (1988年4月 - )
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「パソコンサンデー」の記事における「末期 (1988年4月 - )」の解説
番組のオープニングテーマがテレビ朝日系列で放送の「朝まで生テレビ!」で採用されている「Jeff Newman And His Orchestra」の『Positive Force』になる。最末期にはさらに別の曲に変更された。司会の小倉以外のレギュラー出演者は全て変更となり、番組最初期から出演していた宮永好道も降板。副音声によるプログラムの配信や視聴者プログラム投稿コーナーも終了し、一般ビジネスマン向けのコンピュータ情報レポート等のビジネスユースを対象した特集が増えるなど大幅にリニューアルされる。ただしパソコン紹介やゲーム特集などホビー寄りの特集ではその後も山下章や高橋雄一がゲストとして出演し、89年春以降の最末期には両名ともレギュラーに復帰している。 番組スポンサーであるシャープの意向により、1989年6月25日放送分をもって7年4か月間の歴史に幕を下ろした。放送期間7年4か月は、2019年に音楽番組『JAPAN COUNTDOWN』が更新するまで、日曜9時30分のテレビ大阪制作全国ネット番組としては最長記録だった。
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末期(ウルトラショップ5.1)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 16:55 UTC 版)
「ウルトラショップ」の記事における「末期(ウルトラショップ5.1)」の解説
番組開始当初の視聴者参加スタイルを止めると同時に、森も顔出しで堺と進行する形になった。 タイトル改題初期は、「記録」をテーマをしたクイズ番組に。 末期では「ハイ&ロークイズ」を主体に、いろいろなものについてハイかローで答えるクイズだった。移動は、正解の中で1番位が高い人→2番→3番…最下位→不正解の中で位が1番高い人→2番→3番…最下位となっていた(『なるほど!ザ・ワールド』のスタイルを採った)。また、上位の席は豪華で、フルーツなども食べることができたが、下位はゴザなど、『人気者でいこう!』の芸能人格付けチェックにシステムが若干似ている。問題を5問行い、1位とビリを決め、1位はルーレットによってご褒美(高級中華、高級懐石、高級フレンチ、ラーメン1杯)を決め、ビリの人が1位に奢らなければならなかった。 この、席移動システムの場合、1人だけ正解すれば一気に1位席に移動できるが、1人だけ間違えると一気に最下位に落ちるというハイリスクハイリターンなシステムである。 さらに、全員が同じ答えて間違えた場合は全員ビリの席に移ることになり、次の問題では再び席決めを行った。 末期の最後には、最末期に通じるようなびっくり人間なども登場した。
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末期(新)
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「シャープ・スターアクション!」の記事における「末期(新)」の解説
「しりとりアクション」のタイマーも兼ねるため、3桁の数字が出る電光掲示板となる。「しりとり」の時には「180」、「スピード」の時には「120」からそれぞれカウントダウンしていく。
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末期(2003年10月 - 2004年3月)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:35 UTC 版)
「ニュースステーション」の記事における「末期(2003年10月 - 2004年3月)」の解説
2003年9月29日、テレビ朝日の本社移転に伴い、放送スタジオがテレビ朝日アーク放送センター(アークヒルズ)からテレビ朝日六本木6丁目本社ビル(六本木ヒルズ)へ移りスタジオセットとテーマ曲をリニューアル。タイトルロゴはそのままで、色がオレンジ/黄色を基調としたものから青/水色を基調としたものに変更された。テーマ曲はU2が担当した。 2004年3月26日の最終回ではその日のニュースに加え、過去18年半のニュースの振り返り、現代の久米(と当時50歳の久米)が番組開始の1985年の本番組へタイムスリップ(という設定の演出)し、スタジオ見学をするなどの内容で放送され18年半の歴史に幕を下ろした(最終回の詳細は後述)。 後継番組は『報道STATION』である。なお、角澤と河野・スポーツコーナーのみ関わっている宮嶋泰子と栗山英樹は引き続き立ち上げ当初の『報ステ』にも出演することになった。 久米が会見で後継番組の初代メインキャスターを務める古舘伊知郎に関して記者に尋ねられた際、「いや、番組はなくなるって聞いていますから。存在しない番組に司会者が存在するわけないでしょ。」と発言した事に対し、雑誌のインタビューで古舘は「(久米を)冷たい男だなと思いましたけど。」「それから久米さん嫌いになったんですけど。」と述べた。その後には「半分は大先輩だと思って尊敬している。半分は嫌いっていうところに落ち着くんだけど。」と語った。ただし、その後久米は「いかにつらいか、大変さが手に取るように分かる。(最近は)見ていないけど、無意識のうちに避けているのかもしれない」「自分は家を土台から造った。自由に造って来た。でも、彼はその土台を壊す事をさせてもらえずに、建物を造る様にさせられている。その事に苦労していると思う」と古舘を気遣うコメントをしたことがある。 また、久米は「古舘君をはじめ、かなりの人が勘違いしている。僕が『ニュースステーション』でかなりしゃべったというイメージを持っている方が多いんですが、ほとんどのニュースに関して、リード原稿は僕が読んでいたんです。僕が原稿を読んでいる時間が結講あったのを、フリートークだと思い込んで見ていた人がかなり多かった。このぐらいの時間、しゃべらないといけないんじゃないかと、後任者が思い込んだ可能性はあるんです。僕が本当にフリートークで話した時間は、短い時は2秒ぐらいですからね」とも述べている。 本番組の後継番組『報ステ』降板後もテレビ朝日への直接の出演を行う古舘伊知郎とは違い、久米は本番組終了後、テレビ朝日への直接の出演を一切行っていない。 なお、『報ステ』の初回放送は2004年4月5日であり、2004年3月29日 - 4月2日の当該時間帯は『ANN NEWS&SPORTS』をつなぎ番組として放送した。
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末期
「 末期」の例文・使い方・用例・文例
- その末期患者はモルヒネを大量に与えられた
- 末期癌
- それが現在では末期癌患者の治療に一定の効果を上げています
- 私の叔父は末期がんで苦しんだ。
- 彼は末期ガンだ。
- 彼女は末期の癌で入院している。
- 私の叔父が末期がんだとわかりました。
- その物語の舞台は明治末期の日本である。
- 末期.
- 末期がん.
- 病気が末期的な患者.
- チューダー朝建築様式 《英国ゴシック式最後期の建築様式で, 特に垂直様式の最末期》.
- 彼の末期(ご)の苦しみを思うと涙が押え難い.
- 内閣は末期症状を呈している.
- 末期を安らかにする
- 末期及んで遺言をした
- 末期に及んで懴悔した
- 末期の言葉
- 末期の懴悔
末期と同じ種類の言葉
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