小田切春陵とは? わかりやすく解説

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小田切春陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 05:15 UTC 版)

小田切 春陵(おだぎり しゅんりょう、安政4年(1857年)‐明治35年(1902年6月3日)とは明治時代の名古屋浮世絵師画家

来歴

小田切春江の長男。姓は小田切、名は忠和。俗称は多芸雄(たきお)といった。安政4年(1857年)に名古屋に生まれ、父の春江に絵の基礎を学んだ後、立松義寅(嘉陵)に師事、四条派を学んでいる。明治中期に作画しているが、絵画よりは図案、工芸意匠に関心が深く、父の遺稿を纏めて『奈留美加多』続編を現した。さらに地図の方面において銅版画で『尾張三河国全図』を制作出版している。春陵は主として七宝陶磁器漆器などの工芸方面に影響を残している。墓所は父と同じ名古屋市千種区の高岳院。法名は大量院雄誉春陵。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
熱田神宮并別宮境内図 紙本著色 1巻 78.5x384.9 熱田神宮 1891年(明治24年)6月 款記「明治廾四年六月 春陵 小田切多芸雄謹寫」/白文方印 熱田神宮は明治26年(1893年)に社講を尾張造から神明造に改めており、尾張造の境内がよくわかる点で貴重[1]
熱田神宮上棟式之図 絹本著色 1巻 51.0x72.9 熱田神宮(角田家旧蔵文書) 1892年(明治25年)3月以降 款記「春陵小田切多芸雄謹圖」/朱文方印 明治25年(1892年)3月に斎行された上棟祭を描いたもの。同じ構図の作品がしばしば見られることから、上棟祭参列者に記念品として制作・頒布されたものか[1]
明治天皇覧穫図 絹本著色 1幅 35.4x55.8 法人[2] 1897年(明治30年)

脚注

  1. ^ a b 熱田神宮文化課編集 『熱田神宮名宝図録』 熱田神宮宮庁、2015年12月31日、pp.28-29。
  2. ^ 熱田神宮 文化部文化課 横地利彦編集 『秋季企画展 明治の光輝~明治百五十年記念展~』 熱田神宮宮庁、2018年、第62図。

参考文献




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