歌川芳満とは? わかりやすく解説

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歌川芳満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/20 00:15 UTC 版)

歌川 芳満(うたがわ よしみつ、天保8年4月20日1837年5月24日〉 - 明治43年〈1910年2月18日)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師職人

来歴

歌川国芳の門人。本姓は犬飼、幼名健吉。通称平兵衛。歌川の画姓を称し一敬斎、一教斎、 円阿弥、孤山堂卓郎と号す。俳名は唯紋。江戸の生れで呉服上絵職の松屋平兵衛の三男。12歳で国芳に入門人するが、父の跡を継いで上絵職となった。明治16年(1883年)、五代目尾上菊五郎の用いる不動明王の肉襦袢を描き評判を得、明治19年(1886年)には九代目市川團十郎のために肉襦袢を描いた。俳句もよくした。享年74。墓所は文京区本駒込の養昌寺、法名は鶴翁平林居士。

作品

  • 「仮名手本忠臣蔵十一段一覧」 大判錦絵3枚続 ※安政3年(1856年)[1][2][3]

参考文献





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