河鍋暁雲とは? わかりやすく解説

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河鍋暁雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/09 06:59 UTC 版)

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河鍋 暁雲(かわなべ きょううん、万延元年(1860年[1]) - 明治41年(1908年8月4日[2])とは、明治時代の浮世絵師

来歴

河鍋暁斎の門人で、次男。姓は河鍋、名は周三郎。母は暁斎の二番目の妻で、榊原鍵吉の娘とせ。江戸に生まれる。作画期は明治中期から後期で、父暁斎の画風を継承し肉筆浮世絵を描いたが、現存作品は極めて少ない。明治18年(1885年)以降、本郷大根畠の父の旧居に住んだ。享年49。翌19年(1886年)から3年ほど、絵の修行のため千葉愛知秋田など13県を遊学したという。明治23年(1890年)の第三回内国勧業博覧会では「雷神」を出品し、一等褒状を得ている。法名は麗光院暁雲日容信士。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 款記・印章 備考
白衣観音 絹本着色 1幅 114.4x53.4 河鍋暁斎記念美術館 制作年不詳
太田道灌山吹の里 絹本着色 双幅 113.8x40.3(各) 河鍋暁斎記念美術館 制作年不詳 暁斎の同名作品に倣った作
雷の家族 絹本着色 1幅 103.1x40.8 河鍋暁斎記念美術館 制作年不詳
蜻蛉の図 絹本着色 1幅 111.2x42.2 河鍋暁斎記念美術館 制作年不詳
百布袋図 絹本着色 1幅 216.0x141.7 三の丸尚蔵館 1894年(明治27年) 明治天皇の御下命で描かれた作品。暁斎が描いた百福図を見た明治天皇が同じ物を欲したが、暁斎は既に亡く、他の画家に描かせたものの御意に叶わなかったため、息子暁雲に描かせたという[3]
勿来関図 板絵著色 絵馬1面 烏帽子山八幡宮(山形県南陽市[4]
能狂言 2曲屏風
能狂言鶴亀之絵 絹本着色

脚注

  1. ^ 文久3年(1863年)説もある。
  2. ^ 『開館30周年記念 河鍋暁斎記念美術館収蔵品目録』p.7。
  3. ^ 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『明治美術再見2 〔日本画〕の黎明 明治十年代~二十年代 三の丸尚蔵館展覧会図録No.9』 宮内庁、1995年9月23日、pp.7,29,70。
  4. ^ 菅利夫 「河鍋暁雲筆「勿来関図」について」『暁斎』第72号、河鍋暁斎記念美術館、2001年1月31日、p.9。

参考文献

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典 第2巻』大修館書店、1982年
  • 『開館30周年記念 河鍋暁斎記念美術館収蔵品目録』 財団法人 河鍋暁斎記念美術館、2008年5月6日

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