暁斎画塾での修行時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 16:48 UTC 版)
幼少時から絵を好み、明治17年(1884年)3月、10歳で父に連れられ暁斎に入門。暁斎に入門して暫く後、暁亭は暁斎の内弟子となり、河鍋家に寝泊りしていたといわれる。『河鍋暁斎絵日記』の明治17年8月14日の絵に、河鍋暁翠らとともに枕を並べている様子も描かれている。狩野派の技法を修め、山水画、人物画を能くした。明治20年(1887年)から明治22年(1889年)頃には、暁亭15歳ほどにして、辻暁夢や浪野東助や鹿嶋清兵衛、和田維四郎の書画会に暁斎、暁翠と一緒に出席、一回あたり「20銭」という画料を得るほどになっていた。明治22年4月、暁亭15歳の時に師暁斎が亡くなった後も、河鍋暁雲・暁翠・土屋暁春ら先輩が内国勧業博覧会や日本美術展覧会で活躍するのとは対照的に、絵画修行に励む。明治26年(1893年)には京阪方面へ旅行し、西方寺(茨木市)や九品寺、月照寺などに参拝、スケッチを残している。暁亭は終業熱心で、鹿嶋清兵衛は「暁亭は勉強家なり」と評している。
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