藤原信一とは? わかりやすく解説

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藤原信一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 00:00 UTC 版)

藤原 信一(ふじはら しんいち、弘化3年〈1846年〉 ‐ 昭和5年〈1930年〉)とは、明治時代浮世絵師、挿絵画家。

来歴

山崎年信の門人、本名伊之助。大坂の生れで、もとは二代目尾上多見蔵門下の多見尾という女形役者であった。後に高知に巡業のため多見蔵とともに来る。明治15年(1882年)、山崎年信の門人となる。『土陽新聞』で小説の挿絵を描いた年信が土佐を去るとその後任に選ばれ、明治22年(1889年)2月頃まで『土陽新聞』で挿絵を描いた。その後、大阪に出て『東雲新聞』の挿絵を手掛ける。さらに黒岩涙香が『萬朝報』の経営に苦しんでいた時、無報酬で同紙の挿絵を描いたことで涙香の知遇を得、東京浅草に住いを移し『萬朝報』の挿絵を描く。涙香の小説の口絵を担当し、挿絵のほか錦絵も残している。晩年は奈良信貴山に住み同地にて没す。享年85。門人に沖野一秋がいる。

作品

  • 『鉄仮面』() ※ボアゴベイ原作、黒岩涙香著。信一口絵。明治26年(1893年)刊行
  • 『白髪鬼』後編 ※マリー・コレリ原作、涙香著。信一口絵。明治27年刊行
  • 「坂本龍馬 市川鶴吾郎」 中判錦絵 中城正堯(高知市)コレクション ※明治20年6月、前田齢太郎版。画面左下部には「御届明治廿年六月十五日 画工藤原伊之助 要法寺町八十八番ヤシキ 出版人前田齢太郎 種崎町百七番ヤシキ」の届書がある。
  • 「朝鮮電報記 我兵勇進図」 大判錦絵3枚続 プラハ国立美術館所蔵 ※明治27年8月
  • 「日本高名伝 大井子」 大判錦絵 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 ※明治29年4月
  • 「日本高名伝 木内宗五郎」 大判錦絵 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 ※同上
  • 「幽霊図」 1幅 縦85.3×横17.4cm 徳島市立徳島城博物館所蔵 ※款記「信一」[1]

脚注

  1. ^ 徳島市立徳島城博物館編集・発行 『特別展 幽霊―美と醜の物語』 2017年10月21日、図98。

参考文献

  • 国際日本文化研究センター編 『海外日本美術調査プロジェクト報告4 プラハ国立美術館所蔵日本美術品図録』 国際日本文化研究センター、1994年
  • 国際日本文化研究センター編 『海外日本美術調査プロジェクト報告5 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵日本美術品図録』 国際日本文化研究センター、1995年
  • 『高知県人名事典 新版』 高知新聞社、1999年
  • 中城正堯 作品解説 新発見「竜馬役者絵」血染めの下緒が語るもの 『浮世絵芸術』第155号 国際浮世絵学会、2008年[1]
  • 山田奈々子 『増補改訂 木版口絵総覧』 文生書院、2016年



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