北原年清とは? わかりやすく解説

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北原年清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 13:52 UTC 版)

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北原 年清(きたはら としきよ、安政5年(1858年[1])-没年不詳)は明治時代浮世絵師画家

来歴

北遊斎一鵞及び月岡芳年の門人[2]。父は北原一郎といい、安政5年にその長男として信濃国飯田の伝馬町1丁目(現・長野県飯田市)に生まれる。幼名は秀次郎、後に秀司と称す。幼児期に一鵞の門人となり、一秀と号す。その後、壮年時に大蘇芳年の門下となり、心斎、年清と号して専ら肖像画を研究した。明治23年(1890年)頃の縮緬本の挿絵がみられる。明治31年(1898年)に建立された月岡芳年翁之碑には芳年門人の一人として「年清」の名がある。明治32年(1899年)、イギリス東洋艦隊の招聘に応じて清国に渡航、各地を漫遊して三年後、日本に帰国する。明治42年(1909年)10月1日には墓参のため故郷飯田に滞在、上郷(かみさと)村の親戚北原貞一郎宅に二週間滞在、有志らの揮毫に応じていた。また同年10月10日には木下清吉の家を所有していた。

作品

  • 『大日本昔話内 一号 カチカチ山』 縮緬本(22頁) ※「北原年清画図」の落款、フランス語版、龍意寿萬、羅波意土美書、太平版、明治23年頃
  • 『大日本昔話内 貳号 頼光鬼退治(大江山)』 縮緬本(22頁) ※「北原年清画図」の落款、フランス語版、龍意寿萬、羅波意土美書、太平版

出典・脚注

  1. ^ 『「南信」新聞美術記事年表(明治・大正編)』、269頁。
  2. ^ 『南信』新聞の明治42年10月10日の記事には「幼時北斎一鵞の門に入り、云々」とあるが、年清が生まれた安政5年より以前の嘉永2年(1849年)には北斎は没している。

参考文献

  • 桑原羊次郎 『浮世絵師人名辞書』 教文館、1923年
  • 小倉芳彦編 『学習院大学人文科学論集3』 学習院大学大学院人文科学研究所、1994年 ※30頁
  • 飯田市美術博物館編 『「南信」新聞美術記事年表(明治・大正編))』 飯田市美術博物館、2011年 ※59、269頁

関連項目

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