美濃国
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人物
国司
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美濃守
- 笠麻呂は慶雲3年(706年)7月から養老4年(720年)10月まで14年間にわたって美濃守を務め、美濃と信濃をつなぐ「岐蘇山道」(きそのやまみち)(「吉蘇路」)を開削した。
- 大伴兄麻呂:745年
- 藤原執棹(従五位下):天平宝字8年(764年)任官
- 藤原楓麻呂(従四位下):天平宝字8年(764年)任官
- 百済教俊(従五位下):延暦25年(806年)任官
- 藤原綱継(従五位上):大同2年(807年)任官
- 藤原縵麻呂(従四位下):大同3年(808年)任官
- 佐伯社屋(従五位下):大同3年(808年)任官
- 藤原今河(従四位下):大同3年(808年)任官
- 藤原縵麻呂(従四位下):大同3年(808年)任官
- 紀広浜(従四位下):大同3年(808年)任官
- 藤原緒嗣(従四位下):大同5年(810年)任官
- 小野岑守(従五位下):弘仁3年(812年)任官
- 安倍易笠(従四位下):弘仁9年(818年)任官(権守)
- 春原五百枝(従三位):天長3年(826年)任官
- 源弘(従四位下):承和5年(838年)任官
- 笠広庭(従四位下):承和7年(840年)任官
- 紀諸綱(従五位上):承和8年(841年)任官
- 紀名虎(従四位上):承和9年(842年)任官
- 藤原経永(従五位下):承和13年(846年)任官
- 藤原宮房(従五位上):承和15年(848年)任官
- 岑成王(従四位下):嘉祥2年(849年)任官
- 田口房富(従五位上):嘉祥2年(849年)任官
- 紀今守(従五位上):仁寿3年(853年)任官
- 藤原直道(従五位下):斉衡3年(856年)任官
- 笠数道(従五位下):天安元年(857年)任官
- 良岑清風(正五位下):貞観2年(860年)任官
- 坂上貞守(従五位上):貞観2年(860年)任官
- 滋野善根(従五位下):貞観4年(862年)任官
- 源穎(従五位上):貞観8年(866年)任官
- 大江音人(従四位下):貞観10年(868年)任官
- 文室巻雄(従五位上):貞観14年(872年)任官
- 源覚(従四位上):貞観18年(876年)任官
- 源直(正四位上):元慶6年(882年)任官
- 源貞恒(従四位上):元慶9年(885年)任官
- 源雄(従三位):仁和5年(889年)任官
- 源是恒:延喜5年(905年)任官
- 源是茂(従四位上):延喜10年(910年)任官
- 源正明(従四位下):延喜14年(914年)任官
- 源悦(従四位下):延喜14年(914年)任官
- 藤原玄上(従三位):承平2年(932年)任官
- 藤原伊衡(正四位下):承平4年(934年)任官
- 平随時(従五位上):承平4年(934年)任官(権守)
- 藤原師氏(従四位下):天慶3年(940年)任官
- 大江維時(正四位下):天慶10年(947年)任官
- 伴彦真:天暦6年(952年)任官
- 平真材:天徳4年(960年)任官
- 藤原時柄:康保5年(968年)任官
- 橘恒平(従五位上):天禄3年(972年)任官
- 源遠資:永延元年(987年)在任
- 藤原忠信(正四位上):正暦4年(993年)離任
- 藤原共政:正暦4年(993年)任官
- 源為憲:長徳3年(997年)任官
- 源頼光:長保3年(1001年)任官
- 源国擧:寛弘5年(1008年)任官
- 源済政:寛弘8年(1011年)在任
- 源頼光:長和4年(1015年)任官
- 藤原泰通:長和5年(1016年)任官
- 藤原頼任:治安元年(1021年)任官
- 藤原頼明(従四位下):万寿2年(1025年)任官
- 藤原庶政(従四位下):万寿4年(1027年)任官
- 源頼信(従四位下):長元5年(1032年)任官
- 橘義通:長元9年(1036年)任官
- 藤原国成:長暦4年(1040年)任官
- 藤原基貞:寛徳3年(1046年)任官
- 高階業敏:永承7年(1052年)在任
- 藤原定房:天喜5年(1057年)在任
- 源実基:康平4年(1061年)在任
- 藤原隆経(正四位下):延久3年(1071年)在任
美濃介
守護
鎌倉幕府
室町幕府
- 1336年~1339年 - 土岐頼貞
- 1339年~1342年 - 土岐頼遠
- 1342年~1387年 - 土岐頼康
- 1387年~1389年 - 土岐康行
- 1390年~1394年 - 土岐頼世
- 1395年~1414年 - 土岐頼益
- 1422年~1465年 - 土岐持益
- 1468年~1495年 - 土岐成頼
- 1495年~1519年 - 土岐政房
- 1519年~1542年 - 土岐頼芸
戦国時代
戦国大名
- 美濃土岐氏:美濃守護。1552年頃土岐頼芸が家臣の斎藤道三に追放され、没落
- 美濃斎藤氏:美濃守護代。長井規秀(斎藤道三)が名跡を継承、主家を乗っ取り美濃一国の大名となる。1567年、道三の孫の斎藤龍興が織田信長に稲葉山城を攻略され、実質滅亡
織豊政権の大名
- 西美濃三人衆:斎藤氏の家臣であったが、織田信長の美濃侵攻時に織田方に加担し、本領を安堵された
- 岐阜城主
- 大垣城主
- その他
- 森長可・忠政:岩村城4万石、1582年 - 1600年(信濃川中島に移封)
- 田丸直昌:岩村城4万石、 1600年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)
- 稲葉貞通:曽根城→郡上八幡城4万石、1579年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後臼杵藩5万石に移封)
- 加藤貞泰:黒野城4万石、1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、本領安堵黒野藩に)
- 徳永寿昌:美濃高松3万石、1583年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、美濃高須藩5万石に移封)
- 関一政:多良城3万石、1600年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、本領安堵多良藩に)
- 原長頼:美濃太田3万石、1598年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、自害・改易)
- 西尾光教:曽根城2万石、1585年頃 - 1600年(関ヶ原の戦い後、美濃揖斐藩3万石に移封)
- 丸毛兼利:福束城2万石、1589年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)
- 佐藤秀方・方政:上有知2万石、? - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)
- 氏家行広:三塚城1万5千石、1583年 - 1590年(伊勢桑名2万2千石に移封)
- 稲葉重通・通重:清水1万2千石、1588年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、本領安堵清水藩に)
- 市橋長利・長勝:今尾1万石、1563年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、2万石に加増、今尾藩に)
- 平塚為広:垂井城1万石、1600年 - 1600年(関ヶ原の戦い後で戦死、改易)
- 河尻秀長:苗木1万石、1599年 - 1600年(関ヶ原の戦いで戦死、改易)
- 木村由信:北方1万石、1595年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城で殺害、改易)
- 高木守之:高須1万石、1592年 - 1600年関ヶ原の戦い後、改易)
武家官位としての美濃守
江戸時代以前
- 美濃守護土岐氏
- その他
江戸時代
- 正成系稲葉家宗家
- 和泉岸和田藩岡部家
- 上野沼田藩土岐家
- 伊予小松藩一柳家
- 河内狭山藩北条家
- 大和郡山藩柳沢家
- その他
- 青木一新:摂津麻田藩第8代藩主
- 青木一興:麻田藩第12代藩主
- 板倉勝武:備中松山藩第2代藩主
- 植村家貴:大和高取藩第11代藩主
- 遠藤胤城:近江三上藩第6代藩主、和泉吉見藩主
- 大岡忠恒:三河西大平藩第3代藩主。大岡越前守忠相の孫
- 織田信就:上野小幡藩第4代藩主
- 織田信邦:小幡藩第7代藩主
- 木下利潔:備中足守藩第6代藩主
- 黒田長溥:筑前福岡藩第11代藩主
- 土井利見:下総古河藩第2代藩主
- 遠山友寿:美濃苗木藩第11代藩主
- 遠山友禄:苗木藩第12代藩主
- 内藤正弼:信濃岩村田藩第3代藩主
- 内藤正国:岩村田藩第5代藩主
- 南部利剛:陸奥盛岡藩14代藩主
- 堀親広:信濃飯田藩第12代藩主
- 本多忠政:伊勢桑名藩第2代藩主、播磨姫路藩初代藩主。本多平八郎忠勝の長男
- 本多忠民:三河岡崎藩第5第藩主・老中
- 松平勝房:下総多古藩第2代藩主
- 松平信興:常陸土浦藩主、大坂城代
- 毛利高誠:豊後佐伯藩第9代藩主
- 森忠賛:播磨赤穂藩第7代藩主
注釈
- ^ 「のうしゅう」と読むのは江戸時代後期以降(「濃」の漢音は「じょう」で、「のう」と読むのは慣用音とされる)。ジョアン・ロドリゲス『日本語小文典』では"Giôxû"(ヂョーシュー)と綴られ、城州・上州・常州の"Iôxû"(ジョーシュー)とは発音が区別されている。
- ^ 美作国と区別するためそれぞれ二文字目を採って「濃州」「作州」とするが、美濃国の場合は「美州」と呼ばれることもあった。現在も越美山地、越美南線など、越前国と組み合わせる呼称で「美」が採られているものもある。
- ^ 1887年(明治20年)に尾張国に移管。
- ^ いずれも1887年(明治20年)に尾張国に移管。
- ^ いずれも1883年(明治16年)に美濃国に編入。
- ^ 1887年(明治20年)に美濃国に編入。
出典
- ^ 舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、20頁。
- ^ 角川地名大辞典 21 岐阜県. 角川書店. (1980-09-20日)
- ^ 「船来山古墳群保存活用基本構想 概要版[1]ー
- ^ 筧敏生「古代国家の形成と美濃・飛騨」 松田之利・谷口和人・筧敏生・所史隆・上村恵宏・黒田隆志『岐阜の歴史』山川出版社 2000年 52-53ページ
- ^ 恵那郡史、1926年。すなわち古代には木曾は美濃国恵奈郡に属していたのである。そして元慶3年(879年)9月に懸坂上岑と鳥居峠を境界とし、岐蘇・小岐蘇の所属は美濃国恵奈郡絵上郷と定められた。
- ^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成 中巻』
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