李登輝 日本との関係

李登輝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 23:16 UTC 版)

日本との関係

言動

親日の政治家・言論人として知られる。産経新聞連載「李登輝秘録」の取材で、同紙記者が台北郊外の李登輝宅を訪れたとき、李登輝は右手を首まで水平に持ち上げ、「僕はここまで、22歳まで日本人だったんだ」と発言している[89]。 日本の親台派からは、その親日ぶりが高く評価されている。先述(文学・思想)のように、日本の漫画の登場人物江田島平八コスプレをするなど、日本のエンターテインメントにも関心を寄せている。

李登輝は、日本統治時代に台湾人が学んで純粋培養されたのは、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった「日本精神」であり、国共内戦後に中国大陸から来た国民党は、自分たちが持ち合わせていない価値観だったので、「日本精神」を台湾人の持ち合わせている気質だと定義して、これらの言葉が広まり、台湾に浸透した「日本精神」があったからこそ、台湾は中国文化に吞み込まれずに近代社会を確立できたのであり、台湾人の親日の背景にはこうした歴史的経緯があると述べている[90]。また李登輝は、日台は現在のところ正式な外交関係がないため、経済文化交流を強化すれば良いという意見が多く、経済・文化交流を促進して、日本人と台湾人の心の絆を深めることは重要であるが、日本人が中華意識に囚われて台湾を軽視した場合、日本は地政学的危機に陥ってしまい、まさしく日台は生命運命共同体なのであり、このことを日本人は常に意識して欲しいとしている[56]

台湾における教育改革にも心を砕き、「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、1996年には新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、また日本統治時代は一律に否定していたが、李登輝は戦前に普及した教育の制度やインフラ建設など日本の功績を認める記述を取り入れ、その結果、若い世代が日本に親しみを感じる傾向が強まったという[89]

靖国神社問題では2007年5月末から6月初旬にかけて訪日した際、日本外国特派員協会で開かれた記者会見で「“靖国問題”とは中国とコリアがつくったおとぎ話」と発言した。

台湾も領有権を主張する尖閣諸島を「沖縄県に属する日本固有の領土」であるとし[91]、2008年9月24日には訪問先の沖縄で再び日本領土だと発言した[92]。また、「おネエちゃんがきれいだからといって、私の妻だと言う人間がどこにいるのだ」「尖閣諸島周辺はよい漁場で、沖縄の漁民はかつて、同漁場でとった魚を台北に売りにきた。沖縄県当局は、日本が統治していた台湾の台北州に尖閣諸島周辺の管理を委託していただけ」「第二次世界大戦後、沖縄の行政権はアメリカが掌握し、その後、日本に返還された」「日本の自衛隊が、この海域の防衛に責任を持つことになったが、台湾の漁民は(尖閣諸島周辺で)操業することが習慣になっていたことから問題が発生した」「1972年になってから『尖閣諸島は中華民国領』と主張したことで、問題が発生した」「台湾が他人の場所に行って、魚がとれただけでも上出来だった。それを自分の『戸籍』に入れようとは、あまりにも幼稚」と、台湾が尖閣諸島の領有権を主張していることを皮肉ったという。李登輝の発言に対して中国のインターネットユーザーは、李登輝の発言の記事を掲載したサイト「環球網」にて、李登輝を「日本の犬」「売国奴」「まだ死んでいないのか」「特殊工作員を送り、一族皆殺しにして、子孫を根絶やしにしろ」などといった、李登輝に対する罵詈雑言が飛び交っているという[93]。『文藝春秋』のインタビューで李登輝は「前にも言ったように、尖閣諸島は日本の領土だ。日本は道理に合わないことを言う中国に譲歩する必要はない」と語ったことについて、李登輝の発言に対して台湾当局関係者が即座に反駁し、台湾総統府の羅智強中国語版報道官は「李登輝氏の尖閣諸島は日本領という発言は歴史事実に反し、しかも国家主権を侵害している」、国民党の邱毅は「李登輝氏の政権はとっくの昔に終わったのだ。いつまでも発言するな!」と強く批判した。2013年5月日本政府による尖閣諸島国有化について、「(中国は)周辺国への内政や領土干渉を繰り返すことによって、自分たちの力を誇示しているのである。こうした中国の動きを説明するのに、私は『成金』という言葉をよく使う。経済力を背景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島フィリピンが領有していた地域に手を出し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい『成金』の姿そのものである。(中略)野田前首相の時代に尖閣諸島は国有化されたが、あのような手続きを行ったところで、どれほどの効果があるのか。国が買わないなら都で買う、と表明した石原慎太郎前都知事にしても、彼の個人的な意気を示すだけの話であったように思う。もともと尖閣諸島は日本国民の領土なのだから、日本政府は手続き論に終始せず、中国が手を出してくるなら戦う、ぐらいの覚悟を示す必要がある」と述べている[94]。また李登輝は、中国人民解放軍は、陸軍には覇権を拡張する道がないため、海軍の強化に努めており、尖閣諸島周辺の領海・領空侵犯を繰り返して日本に揺さぶりをかけるが、軍事侵攻する可能性は低く、それは日本の同盟国であるアメリカ軍を恐れているからであり、従って中国は尖閣諸島の「共同管理」を突破口にして、太平洋に進出することを狙っており、中国による尖閣諸島の「共同管理」の申し出は断固拒絶すべきであると述べている[94]

2010年、下野していた自民党の一代議士だった菅義偉と浪人中の坂井学を台湾に招待し会談を行った際に「自民が政権に復帰した暁には日本と米国の安定した関係を保ちながらアジアの平和外交に貢献してほしい」と促したとされる。自民党幹部は当時を振り返り「野党とはいえそこそこの数の議員はいた。その中で菅さんを選び、浪人中の坂井さんまで招待者に含めた慧眼(けいがん)は驚きだ」としたたかな外交を評価した[95]

2010年10月に訪台した安倍晋三の訪問を受け、当時在野であった安倍に対し「もう一度、首相になりなさい。いま、あなたのほかにリーダーはいない」と助言したとされる[96]。李登輝は安倍晋三を高く評価しており、安倍が2013年3月13日Facebook東日本大震災における台湾の支援に言及して、「大切な日本の友人」と表現したことを「多くの台湾人が感動した」「歴代の日本の政治指導者がみせた『中国さまさま』の意識にとらわれることなく、激変する国際社会への対応を学んでいるようにみえる」と評している[97]

2013年4月10日に日本が調印した日台漁業協定について、「過去に日本は台湾に対して行き過ぎていたが、東日本大震災後に台湾は多くのお金を寄付したので、日本側は後に反省した。過去に日本はずっと台湾と漁業協議を署名しようとしなかったが、現在は作法を改善した。例えば、ワールド・ベースボール・クラシックの時に台湾代表チームは日本に試合に行ったが、日本の民衆も台湾チームのために応援した」[98] と語った。

李登輝は、921大地震に際して真っ先に駆けつけたのは日本の救助隊であり、また曽野綾子が会長を務めていた日本財団が3億円を寄付し、その授与式で李登輝は曽野綾子に対して、将来日本で何か起これば、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した[90]。その後、東日本大震災が発生し、日本台湾交流協会を通じて救助隊の派遣を申し出たが、話がまとまらず、山梨県甲府市NPOと話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせたが、中国韓国の救助隊は到着しており、到着後も「台湾からの救助隊を迎え入れる準備ができない」と外務省に言われる始末であり、「なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。『台湾は中国の一部』とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である」と吐露している[90]

2014年、小学館発行の『サピオ』2014年2月号で、「中国という国は南京大虐殺のようなホラ話を世界に広め」、「韓国や中国は、自国の宣伝工作の一環として捏造した「歴史」を利用する。その最たる例が『慰安婦』だ」と主張[99]。2015年、『Voice』で「台湾の慰安婦の問題は決着済み」と述べ、総統府スポークスマン陳以信中国語版に「無知ではなく冷血」、「もし李登輝が本当に慰安婦問題がすでに決着済であると考えているならば、自ら映画館に行って映画『蘆葦の歌中国語版』を見ていただきたい」と痛烈に批判された[100]

2015年8月には『Voice』2015年9月号へ寄稿した中で「70年前まで日本と台湾は『同じ国』だった…台湾が日本と戦った(抗日)という事実もない」、「当時われわれ兄弟は、紛れもなく『日本人』として、祖国のために戦った」と発言し[101]日本統治時代の台湾を指す)、国民党の憤激を買った。その一方で、同年9月13日に台湾の学生団体主催の講演会に出席した時は、日本統治時代を「(当時の)日本は外来政権」、「(台湾の人が)日本人の奴隷になったのは悲しい」などと語っている[102][103]

西田幾多郎の哲学に心酔しており、政治家として出処進退が問われる場面で西田哲学を拠り所にしていたと語っている。また、新渡戸稲造の『武士道』や夏目漱石の「則天去私」の思想にも大きな影響を受けていた[104]

2020年7月に登輝の死を報じた中国共産党系のタブロイド紙環球時報は、「日本は台湾の経済発展の基礎を築くのに多大な貢献をしたが、今では私の日本の友人の多くが、台湾に貢献した日本人のことを知らないのではないかと心配している」などの一連の発言に触れて、「日本人自身でさえ信じられないほどの、上記のような馬鹿げた、卑劣な、そしてどこか哀れな言葉は、ゴキブリが暖を取るために抱き合っているに過ぎない」などと誹謗した[105]

登輝は「ところで台湾をのぞいて、日本には真の友人がいるのかね」と言っており、「日本の真の友人は台湾だけ」であり、アメリカでも中国でもない、台湾を見ろと、アメリカと中国に頭が上がらない日本をシニカルに見ていたという評価もある[47]

訪日

一つの中国」を国是とする中華人民共和国は、李登輝を「台湾独立勢力の象徴的人物」として危険視し、李登輝の訪日希望には査証を発給しないよう要求していた。ただし、李登輝は政界入り直後に日本の政治家と会談し、副総統時代にも査証発給の問題なしに訪日を実現した。2000年の総統退任以は、計9回にわたり来日。

2001年
2001年4月、持病の心臓病治療の目的で岡山県倉敷市を訪問した。日本政府は人道的な措置として査証発給。この騒動を主な契機として同年12月に日本李登輝友の会が設立される。李登輝もインターネットを通じて講演を行った。李登輝が心臓病の治療のために訪日しようとした際、中国を怒らせることを恐れた河野洋平外相や外務省の反対により、なかなかビザが下りなかった[106]。これについて、「義を見てせざるは勇なきなり」という武士道の精神を表す言葉があり、武士道は日本人にとって最高の道徳のはずであるが、このとき日本という国はほんとうにおかしくなっていると感じたと吐露している[106]。その一方で、東日本大震災で日本国民がみせた節度ある行動や献身的な自己犠牲は、まさに武士道の精神そのものであり、武士道という言葉自体はいまの日本ではあまり使われなくなっていたとしても、その精神はけっして失われておらず、それを世界の人々が称賛したと述べている[106]
2002年(中止)
2002年10月、慶應義塾大学の学術サークル「経済新人会」が同大学の学園祭「三田祭」において講演を依頼したため、その依頼を受けて訪日する意向が伝えられた。当初、講演は問題なく実現するかにみられたが、11月7日に学園祭の実行委員会が講演を却下した。その後、会場を別にして講演が行われる予定だったが、日本政府が李登輝への査証の発給を拒否。訪日と講演は実現しなかった[107]。講演予定だった内容は、11月19日付け産経新聞朝刊で「日本人の精神」と題して全文が掲載された。
2004年
2004年12月から翌年1月にかけて、家族ら(妻・文恵、長男の妻、孫娘・坤儀)を伴い、観光旅行として訪日した。その際「私人に対する査証を断る理由はない」として、査証が発給された。ただし、政治的行動をしないなどの条件を日本政府は求めたとされる。李登輝は、名古屋市、八田與一や西田幾多郎の出身地である金沢市京都市を訪れた。京都では、京都帝国大学時代の恩師である柏祐賢と再会を果たしたほか、京都大学農学部を訪問したが、本部キャンパスの敷地へ入ることは認められず、入口から眺めるに終わった。これは、京都大学側が大学の自治を盾に警察官の入構を拒否したため、李登輝が警備上の理由から訪問を断念したという[108]
2007年
  • 2007年5月から6月にかけて、かねて念願だった奥の細道を訪ねる目的で訪日し、東京仙台山形盛岡秋田などを訪問した。6月7日には、日本兵として戦死した兄や、3万人余りの台湾人日本兵戦死者のうち26,000人が奉られている靖国神社を参拝した[109]。その際に登輝は同神社に対し「兄の霊を守ってくれることに感謝している」と述べた[109]。日本三景の一つである松島では「松島や 光と影の 眩しかり」と自作の句を詠み、後に句碑が建立された。この時、芭蕉が松島で句作をしていないことにふれ、「私は詠んだ」と発言した。
  • 日本政府は2005年3月以降、観光目的の台湾居住者の日本入国査証の免除を行っているため、今回の訪問では査証発給問題は発生しなかった。また訪日や靖国参拝などに対する中国側の反応も、日中関係に配慮してか今回は比較的抑制的であった。産経新聞の報道によれば、ハイリゲンダム・サミット で当初、中国側は登輝の訪日に激しく反発したものの、日本側が強い態度に出たところ矛を収め、何事もなかったかのように予定通り日中首脳会談が行われた。朝日新聞がこれについて「李登輝の影響力が低下」という旨の記事を載せたが、登輝と敵対する国民党幹部のインタビューのみを根拠としていたことで批判を浴びた。
  • 6月9日、成田空港から離日の際に台湾独立反対派の在日中国人の男に、中身が入ったペットボトルを2本投げつけられた。男は空港警察官に現行犯で取り押さえられ、夫妻にけがはなかった。
2008年
2008年9月22日、沖縄で講演を行う目的で訪日した。翌9月23日には「学問のすゝめと日本文化の特徴」について講演した。講演では、日本は物質的な面での豊かさばかり重視するのではなく、日本文化の伝統の精神的側面である高い道徳心を重視し、福沢諭吉が『学問のすゝめ』の中で説いた道徳観を再構築すべきだと主張した[110][111]。その中で「今の日本と台湾はともに指導者のいない状況だ」と発言し、暗に馬英九政権を批判した[112]
2009年
2009年9月、東京青年会議所と、塩川正十郎が理事長、江口克彦が副理事長を務める武士道協会の共催による講演のため訪日。会場の日比谷公会堂には、中條高徳櫻井よしこ、江口克彦、小林よしのりなどの著名人が多数訪れた。このほか高知県なども訪れ、坂本龍馬ゆかりの場所(坂本龍馬記念館・坂本龍馬像など)を見学した[113]
2014年
大阪府、東京都、北海道
2015年
中華民国総統経験者として初めて国会施設で講演。福島県と宮城県も訪問。
2016年
石垣島
2018年
沖縄

訪台した日本の学生との交流

2009年12月18日に、台北市内で、訪台中の日本の高校生約100人を相手に『日本と台湾の歴史と今後の関係』をテーマに講演した。李は講演で「あなたたちの偉大な祖先の功績を知り、誇りに思ってほしい」「公に尽くし、忠誠を尽くした偉大な祖先が作り上げてきた『日本精神』を学び、あなたたちも大切にしてほしい」と述べた[114]

2010年3月24日、「第7回日台文化交流 青少年スカラシップ」の日本側研修団の表敬訪問を受けた。李は学生に対し「日本人は教育と政治の影響で否定的な価値観を持たされ、心理的な鎖国に陥っている。日本の気高い形而上学的・道徳的価値観と品格を大切にし、自らの歴史を肯定しなさい」と述べた。また、日本の台湾統治にも触れ「日本は植民地の形ではあったが台湾近代化に大きな貢献をした」と述べた[115]

弔問

日本政府特使として訪台し、蔡英文総統と会談した森喜朗元首相(左側。2020年8月9日)

李登輝元総統の死去を受けて、日本では、2020年8月3日に東京都港区白金台台北駐日経済文化代表処に弔問記帳台が設けられた[116]。記帳台は東京のほか、大阪の弁事処や那覇分処・横浜分処・札幌分処にも設置された。

主な弔問者

2020年8月9日、安倍晋三首相の意向にて弔問団の団長となった森喜朗らが追悼場が設置された迎賓館台北賓館」を訪れ、弔意を表明。この台湾への弔問団は日本台湾交流協会と超党派議員連盟である日華議員懇談会が派遣。李登輝の死去後、海外から派遣された最初の弔問団となった[117][118]

主な弔問団メンバー

注釈

  1. ^ 農業経済学を専攻する学生は、農学部所属ではあったが、文系として扱われた。
  2. ^ 登輝は、陸軍士官課程と高射砲課程を修了し、配属先が決まっていた為、この申し出は事実上不可能であった。
  3. ^ 憲文は、新聞記者として活動する傍ら、日本への旅行で見つけた原田鋼の『権力複合態の理論 : 少数者支配と多数者支配』を翻訳するなど、かなり日本語を身につけていた。当時、闘病中の息子のそばに少しでもいてやりたいながらも省主席としての任務も全うしなければならない李登輝に対し、一部の議員が嫌がらせのためにいつまでも質問をやめないこともあったとされる。李登輝は、息子の亡骸をストレッチャーに乗せると「冷たいだろうから」と、自ら抱いて運んだという[31]

出典

  1. ^ “李登輝元総統が死去 97歳 台湾の「ミスター・デモクラシー」”. フォーカス台湾. (2020年7月30日). http://japan.cna.com.tw/news/apol/202007300008.aspx 2020年7月31日閲覧。 
  2. ^ 台湾元総統・李登輝氏が死去 「民主化の父」”. 日本経済新聞 電子版. 2020年8月5日閲覧。
  3. ^ 李登輝・元台湾総統が死去 97歳「台湾民主化の父」:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2020年8月5日閲覧。
  4. ^ 李登輝・元台湾総統死去 97歳 民主化に尽力、親日家”. 毎日新聞. 2020年8月5日閲覧。
  5. ^ “平成3年 年次世界経済報告 資料編 II”. 内閣府. https://www5.cao.go.jp/keizai3/sekaikeizaiwp/wp-we91-2/wp-we91-02a03.html 2019年9月17日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g h 本田 2004, pp. 136–137.
  7. ^ a b c d 本田 2004, p. 138.
  8. ^ 【李登輝氏死去】戦後台湾の象徴 「22歳までは日本人だった」”. 産経ニュース (2020年7月30日). 2021年1月6日閲覧。
  9. ^ 司馬遼太郎 『街道をゆく(40)』 朝日新聞社<朝日文芸文庫>、1997年、82頁
  10. ^ 李登輝 『台湾の主張』 PHP研究所、1999年、28頁。
  11. ^ 伊藤潔 『李登輝伝』 文藝春秋、1996年、42頁。
  12. ^ a b 河崎眞澄『李登輝秘録』産経新聞出版、2020年
  13. ^ 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』 小学館、2000年、26頁。
  14. ^ a b 本田 2004, p. 139.
  15. ^ 上原冬子 『虎口の総統―李登輝とその妻』 講談社、2001年、61頁。
  16. ^ 本田 2004, pp. 140–142.
  17. ^ China Warehouse- More Than Crockery Message Board[リンク切れ]
  18. ^ 伊藤潔 『李登輝伝』 文藝春秋、1996年、50頁。
  19. ^ "Lee admits to fling with communism", Taipei Times, November 8, 2002.
  20. ^ “我為什麼加入又退出中國共產黨?回首恐怖動盪的年代”. 李登輝口述 張憲炎訪問. オリジナルの2017年4月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170406110816/http://bestroc.org/archiver/tid-4519.html 2017年11月20日閲覧。 
  21. ^ a b c 本田 2004, pp. 143–144.
  22. ^ “李登輝榮獲,博士論文獎” (中国語). 民聲日報 (國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網). (1969年8月21日). https://das.nlpi.edu.tw/cgi-bin/gs32/gsweb.cgi?o=dmysearchdb&s=id=%22PR000001863859%22. 2022年2月2日閲覧。 
  23. ^ 本田 2004, pp. 144–145.
  24. ^ 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』 小学館、2000年、29頁。
  25. ^ a b 【李登輝秘録】第6部 薄氷踏む新任総統(9)特務機関廃止、白色テロに終止符”. 産経ニュース (2019年11月2日). 2021年1月10日閲覧。(要購読契約)
  26. ^ a b c d 本田 2004, pp. 144–146.
  27. ^ 伊藤潔 『李登輝伝』 文藝春秋、1996年、66頁。
  28. ^ 鄒景雯 『台湾よ―李登輝闘争実録』 産経新聞社、2002年、39頁。
  29. ^ a b c d 本田 2004, pp. 146–148.
  30. ^ 李登輝 『最高指導者の条件』 PHP研究所、2008年、40頁。
  31. ^ a b c 李登輝はなぜ、娘たちに日本語を学ばせなかったのか”. WEDGE Infinity(ウェッジ) (2019年6月20日). 2021年1月21日閲覧。
  32. ^ 本田 2004, pp. 112–117.
  33. ^ 若林(1997)p.177、本田(2004)p.121
  34. ^ 中華民国憲法第四章 総統 第四十九条”. 台北駐日経済文化代表処. 2022年1月15日閲覧。
  35. ^ a b 本田 2004, pp. 148–150.
  36. ^ a b c d e f g h 本田 2004, pp. 150–153.
  37. ^ a b 【李登輝秘録】第6部 薄氷踏む新任総統(3)寸前に潰した「暁のクーデター」”. 産経ニュース (2019年10月27日). 2021年1月8日閲覧。(要購読契約)
  38. ^ a b 【李登輝秘録】第6部 薄氷踏む新任総統(4) 票固め「勝算あった」国民大会”. 産経ニュース (2019年10月28日). 2021年1月8日閲覧。(要購読契約)
  39. ^ a b 本田 2004, pp. 153–155.
  40. ^ a b 本田 2004, pp. 155–157.
  41. ^ 【李登輝秘録】第6部 薄氷踏む新任総統(6)民主国家への道 歩むときがきた”. 産経ニュース (2019年10月30日). 2021年1月9日閲覧。(要購読契約)
  42. ^ 本田 2004, pp. 157–161.
  43. ^ 【李登輝秘録】第6部 薄氷踏む新任総統(8)万年代表を退任させ憲法改正”. 産経ニュース (2019年11月1日). 2021年1月9日閲覧。(要購読契約)
  44. ^ a b 【李登輝秘録】第6部 薄氷踏む新任総統(5)軍を国のものに 権謀術数の人事”. 産経ニュース (2019年10月29日). 2021年1月9日閲覧。(要購読契約)
  45. ^ 李登輝・元台湾総統死去 97歳 民主化に尽力、親日家 - 毎日新聞
  46. ^ さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男 | 野嶋 剛 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
  47. ^ a b c “李登輝さん「中共の行為は強盗と同じだ」と強い言葉で…戦略家の一面も”. 週刊朝日. (2020年12月21日). オリジナルの2021年8月14日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/Ixjl5 
  48. ^ 【李登輝秘録】第6部 薄氷踏む新任総統(12)直接選「台湾人が選んだ総統」に”. 産経ニュース (2019年11月5日). 2021年1月10日閲覧。(要購読契約)
  49. ^ a b c d 本田 2004, pp. 168–176.
  50. ^ a b 本田 2004, p. 186-191.
  51. ^ a b 弾性外交とは”. コトバンク. 2021年1月10日閲覧。
  52. ^ a b 【李登輝秘録】第7部 静かなる民主革命(2)シンガポール首相と蜜月、対中観で決別”. 産経ニュース (2019年12月12日). 2021年1月10日閲覧。(要購読契約)
  53. ^ “備考”. ジェトロ. (2017年7月12日). https://www.jetro.go.jp/world/asia/tw/invest_11.html 2018年1月3日閲覧。 
  54. ^ a b 【李登輝秘録】第7部 静かなる民主革命(1) 中台は「特殊な国と国の関係」”. 産経ニュース (2019年12月11日). 2021年1月10日閲覧。(要購読契約)
  55. ^ “台湾はいつまで現状を保てるか——習近平ですら描けない統一への道筋”. ビジネスインサイダー. (2017年10月25日). https://www.businessinsider.jp/post-106318 2018年1月27日閲覧。 
  56. ^ a b 李登輝 (2013年5月). “台湾が感動した安倍総理の友人発言”. Voice (PHP研究所): p. 42. https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT42#v=onepage&q&f=false 
  57. ^ 李登輝 (2013年5月). “台湾が感動した安倍総理の友人発言”. Voice (PHP研究所): p. 36. https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT36#v=onepage&q&f=false 
  58. ^ 李登輝・前台湾総統の信念は不変 台湾の声2007年2月8日。
  59. ^ 謝氏支持を表明―李登輝前総統 産経新聞2008年3月20日。
  60. ^ 「中台統一」加速はない―李登輝前総統 産経新聞2008年3月27日。
  61. ^ a b 李登輝元総統を起訴=公金横領罪で検察-台湾 時事通信2011年6月30日
  62. ^ a b 吉村剛史 (2011年6月30日). “李登輝氏らを公金横領で起訴 台湾当局”. 産経新聞. https://web.archive.org/web/20110703085659/http://sankei.jp.msn.com/world/news/110630/chn11063012320001-n1.htm 2011年7月17日閲覧。 
  63. ^ a b “【NewsBrief】李登輝・元総統を公金横領で起訴─台湾検察”. ウォールストリート・ジャーナル. (2011年6月30日). http://jp.wsj.com/World/Europe/node_256302 2011年7月17日閲覧。 
  64. ^ 李登輝元総統に無罪判決 台湾の機密費裁判 産経新聞 2013年11月15日
  65. ^ 李登輝:不要核電,台灣何去何從 聯合報2013年4月12日]
  66. ^ 台灣同性婚姻爭議升溫 李登輝依據聖經反對 基督日報 2013年12月03日02時11分
  67. ^ 虔誠基督徒 李登輝反對同性婚姻 民視 2016年12月10日19:51
  68. ^ 前總統李登輝訪石垣島 參觀台灣農民紀念碑 - 2017年10月28日閲覧。
  69. ^ 李登輝総統が月刊「Voice」10月号に石垣島来島記念論考を特別寄稿 - 2017年10月28日閲覧。
  70. ^ 李登輝93歲養牛發豪語:3年內讓台灣和牛上市 - 2017年10月28日閲覧。
  71. ^ 擎天崗牛隻買主就是他 李登輝培育台灣版和牛 - 2017年10月28日閲覧。
  72. ^ 李登輝培育台灣和牛成功 取名「源興牛」 - 2017年10月28日閲覧。
  73. ^ “李登輝元総統の容体が悪化、蔡英文氏らが見舞い 台湾”. 朝日新聞. (2020年7月30日). https://www.asahi.com/articles/ASN7Z4PQJN7YUHBI02W.html 2020年7月30日閲覧。 
  74. ^ "告別李登輝/前總統李登輝過世 享壽98歲". Focus Taiwan. 中央通訊社. 30 July 2020. 2020年7月30日閲覧
  75. ^ “李登輝元総統が死去 97歳 台湾の「ミスター・デモクラシー」”. 中央通訊社. (2020年7月30日). http://japan.cna.com.tw/news/apol/202007300008.aspx 2020年7月30日閲覧。 
  76. ^ 李登輝元総統の遺骨、五指山軍人墓地に埋葬”. 中央社フォーカス台湾 (2020年10月7日). 2021年1月8日閲覧。
  77. ^ 李登輝 「カリスマは人民の幻想。指導者は対話こそ必要だ」 『週刊東洋経済』 2007年12月1日号、東洋経済新報社
  78. ^ 李登輝 『台湾の主張』 PHP研究所、1999年、23頁-24頁。
  79. ^ 曹長青:李登輝的基督信仰
  80. ^ 李登輝・深田祐介 「2008年台湾総選挙と「海洋国家」日本の運命」 『諸君!』 2008年4月号 39頁、文藝春秋。
  81. ^ JUMP ULTIMATE STARS”. www.nintendo.co.jp. 2023年9月24日閲覧。
  82. ^ Admin, 投稿者:. “李登輝前総統が袴姿に”. 日本李登輝友の会 │ 新しい日台交流にあなたの力を!. 2023年9月24日閲覧。
  83. ^ “李登輝氏死去”. 中日新聞. (2020年7月31日) 
  84. ^ 本田 2004, p. 164-165.
  85. ^ a b 本田 2004, p. 176-179.
  86. ^ 台湾の黒金問題と陳水扁政権”. 東京外国語大学. 2020年8月27日閲覧。
  87. ^ a b 超高学歴版「田中角栄」? 謀略・金権・中国とのコネ…日本人が知らない“親日家”以外の李登輝”. 週刊文春 (2020年8月15日). 2020年8月27日閲覧。
  88. ^ 解剖李登輝的內心世界∼ 李登輝為什麼想參拜靖國神社”. 立法院. 2022年7月19日閲覧。
  89. ^ a b 【李登輝氏死去】評伝 「公に奉ずる日本精神」説き続けた旧制高校生 河崎真澄”. 産経ニュース (2020年7月30日). 2020年8月5日閲覧。(要購読契約)
  90. ^ a b c 李登輝 (2013年5月). “台湾が感動した安倍総理の友人発言”. Voice (PHP研究所): p. 40. https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT40#v=onepage&q&f=false 
  91. ^ 沖縄の海図(64)・メッセージ復帰30年 特別編 李登輝(上) 台湾 「尖閣諸島は日本領土」 Archived 2007年9月11日, at the Wayback Machine. 沖縄タイムス2002年9月24日
  92. ^ “尖閣諸島は「日本の領土」 李登輝氏、中台の反発も”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月24日). http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092401000679.html 2013年5月6日閲覧。 
  93. ^ “李登輝氏「尖閣は他人の妻」発言に中国では罵詈雑言の嵐”. サーチナ. (2010年10月20日). http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1020&f=politics_1020_019.shtml 2010年10月20日閲覧。 
  94. ^ a b 李登輝 (2013年5月). “台湾が感動した安倍総理の友人発言”. Voice (PHP研究所): p. 37. https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT37#v=onepage&q&f=false 
  95. ^ したたかな台湾外交 11年前に菅氏招待、交流拡大を要請”. カナロコ by 神奈川新聞. 2021年10月12日閲覧。
  96. ^ 李登輝氏が10年前、安倍首相に助言した「改憲」 河崎真澄”. 産経ニュース (2020年9月15日). 2021年3月22日閲覧。
  97. ^ 李登輝 (2013年5月). “台湾が感動した安倍総理の友人発言”. Voice (PHP研究所): p. 43. https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT43#v=onepage&q&f=false 
  98. ^ 李登輝:日本不讓步不行 2013-04-12 01:35 中國時報【徐子晴/新竹報導】
  99. ^ 李登輝氏 ホラ話を広め軋轢を生む中国はリーダーになれない NEWS ポストセブン 2014.01.27 07:00
  100. ^ 自由時報電子報 (2015年8月20日). “慰安婦問題已解決? 總統府批李登輝無知、冷血 - 政治” (中国語). 自由時報電子報. 2021年3月22日閲覧。
  101. ^ 李登輝氏「日本人として戦った」 寄稿に台湾与党怒る 朝日新聞2015年8月23日
  102. ^ 李登輝元総統、「日本人の奴隷になったのは悲しい」/台湾 フォーカス台湾 2015-09-13 18:25
  103. ^ 李登輝:日本是外來政權 當日本人奴隸很悲哀 ETtoday 東森新聞雲 2015年09月13日 16:26
  104. ^ “中日春秋”. (2020年8月3日) 
  105. ^ 李登辉终于死了,但还有个很大的遗憾!” (中国語). baijiahao.baidu.com (2020年7月30日). 2021年3月22日閲覧。 “以上所有这些荒诞不经,连日本人自己恐怕也不相信的话语,可笑、可鄙,又有点可怜,不过是蟑螂抱在一块取暖罢了。”
  106. ^ a b c 李登輝 (2013年5月). “台湾が感動した安倍総理の友人発言”. Voice (PHP研究所): p. 41. https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT41#v=onepage&q&f=false 
  107. ^ 中国を気にして自粛促す―独立自尊の建学精神どこへ 台湾の声メールマガジン(原文は産経新聞)
  108. ^ 「日台の絆を強めた思索と感謝の旅 日の丸と台湾旗が出迎え見送った六泊七日の全行程」 (PDF) 『日台共栄』平成17年2月
  109. ^ a b “李登輝氏、靖国参拝 中国、一段と反発も”. 共同通信社. 47NEWS. (2007年6月7日). https://web.archive.org/web/20070609172758/http://www.47news.jp/CN/200706/CN2007060701000162.html 2012年9月17日閲覧。 
  110. ^ 李登輝元総統が「学問のすゝめと日本文化の特徴」をテーマに講演 産経新聞2008年9月24日
  111. ^ 道徳観再構築 李登輝氏訴え 沖縄・宜野湾で講演」 『西日本新聞』、2008年9月24日付朝刊。
  112. ^ 李登輝氏:「今の日本、台湾は指導者なき状態」 毎日新聞2008年9月24日
  113. ^ 李登輝・台湾元総統:来県 龍馬ファン…記念館や像を見学、講演も/高知 毎日新聞高知版2009年9月7日
  114. ^ 今泉有美子 (2009年12月18日). “「日本人の誇りを持って」 李登輝氏が高校生に講演 台北”. 産経新聞. https://web.archive.org/web/20091221181608/http://sankei.jp.msn.com/life/education/091218/edc0912181925004-n1.htm 2010年3月19日閲覧。 
  115. ^ 山本勲 (2010年3月24日). “日台スカラシップ研修団、李登輝元総統表敬”. 産経新聞. http://sankei.jp.msn.com/world/china/100324/chn1003242114004-n1.htm 2010年3月25日閲覧。 
  116. ^ 李登輝氏の弔問記帳台設置”. 西日本新聞ニュース (2020年8月4日). 2021年1月6日閲覧。
  117. ^ 森元首相、蔡総統と会談 李登輝氏弔問は安倍首相の意向/台湾 | 政治 | 中央社フォーカス台湾
  118. ^ 森元首相、李登輝氏を弔問 台湾総統が会談し謝意 (写真=共同) :日本経済新聞
  119. ^ 台湾の李元総統、一審で無罪 在任中の公金横領事件 朝日新聞 2013-11-15付
  120. ^ “李登輝氏、新党「時代力量」党員と面会 若者の参政を支持/台湾”. フォーカス台湾. (2015年10月28日). http://japan.cna.com.tw/news/apol/201510280002.aspx 2015年10月28日閲覧。 






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李登輝」の関連用語

李登輝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李登輝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李登輝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS