郭秋生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 23:04 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動郭秋生 | |
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プロフィール | |
出生: | 1904年 |
死去: | 1980年 |
各種表記 | |
繁体字: | 郭秋生 |
簡体字: | 郭秋生 |
拼音: | Guō QīuShēng |
和名表記: | かく しゅうせい |
発音転記: | グオ チュウション |
郭秋生(かくしゅうせい、1904年 - 1980年)は台湾の作家。筆名は秋生、芥舟、街頭写真師、TP生、KSなどがある。台湾話文運動の推進者でもあった。
郭秋生は廈門市の集美中学を卒業後江山楼に就職した。職場での文人との出会いに啓発され文学に目覚め文人としての人生を始めている。1931年、郭秋生は『台湾新聞』に黄石輝の推進する台話文運動を支持する文章を発表し、更に長文の『建設台湾話文一提案』により漢字を主体とし、日本文学や白話文学の他、台湾語の文字化を推進し無産大衆への啓蒙活動以外に台湾人の民族意識を高揚する必要性を説いた。具体的には多音節の台湾語を漢字による表記ができない場合には、新たな文字の制定を唱え、また台湾語の改造として言文一致、標準発音の採用などの方法も提示している。
その後郭秋生は雑誌『南音』を創刊、その中で台湾歌謡を漢文で直訳した記事欄を設けるなど台湾語の文字化に努力した。しかし間もなく中国での戦火の拡大と、皇民化政策の推進による台湾語使用制限などにより台湾話文運動は停滞を余儀なくされた。戦後も国民政府下での政治情勢の中郭秋生はこの運動を再開することはなかった。
郭秋生は台湾語に関する文章以外に多くの作品を残している。随筆としては『社会写真』や『街頭写真』、短編小説としては『跳加冠』、『猫児』、『鬼』、『王都郷』等がある。
郭 秋生(グオ チウション / かく あきお)
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「鎮魂歌 (馳星周)」の記事における「郭 秋生(グオ チウション / かく あきお)」の解説
台湾海軍の元特殊部隊員で、現在は楊偉民の下で働く職業兇手。31歳だが、端正な顔立ちで20代に見られる。幼い頃に母に連れられて日本に住むが、そこで自分を虐待していた義理の父親と姉である真紀を殺害して以降、楊偉民に世話になっていた。殺しの技術に優れるが、裏社会を渡り歩く者としては自立していない一面がある。
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