北朝鮮による日本人拉致問題 政府認定拉致被害者

北朝鮮による日本人拉致問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 06:56 UTC 版)

政府認定拉致被害者

日本政府が認定した拉致被害者は久米裕横田めぐみ田口八重子濱本富貴惠地村保志蓮池薫奥土祐木子市川修一増元るみ子曽我ひとみ曽我ミヨシ松木薫石岡亨有本恵子原敕晁田中実松本京子(肩書・年齢は当時、敬称略、被害者家族の決断により実名報道されている)の17人 。この内濱本、地村、蓮池、奥土、曽我ひとみの5名は日本に帰国。

2007年(平成19年)4月12日警察庁はこれに加え北朝鮮工作員と結婚した日本人女性の子供2人(当時長女が6歳と長男が3歳)が1974年(昭和49年)6月中旬に行方不明になった事案について、複数人の工作員関係者からの証言などから「北朝鮮による拉致被害者と断定した」と正式発表した(2児拉致事件)。よって同事案は政府認定拉致被害者にかかる拉致事件と同様に政府認定の拉致事件であるが、被害者たる子供2人が朝鮮籍であり、日本国民であることを要件とする拉致被害者支援法の認定基準には該当しないため、子供2人は拉致被害者としては認定されていない[8][14][15](2020年12月現在)。

宇出津(うしつ)事件

1977年(昭和52年)9月19日拉致
東京都三鷹市役所勤務警備員男性、久米裕1925年(大正14年)2月17日 - 当時52歳)
石川県宇出津海岸付近にて失踪
北朝鮮側は久米の入国を完全否認しているが、北朝鮮工作員に包摂され土台人にされた在日朝鮮人の李秋吉が「45歳から50歳位の日本人独身男性を探せ」との指示を受け、かねてから知り合いであった久米を海岸に連れ出し、工作船で迎えに来た別の北朝鮮工作員に同人を引き渡した事実が判明している[16]。この1件だけでも「拉致したのは13人だけ」との北朝鮮側の主張は嘘であることが分かると指摘されている。警視庁公安部石川県警は主犯格のキム・セホ国際手配し、北朝鮮に対し所在確認と身柄の引き渡しを要求している。なお、この事件で石川県警警備部は押収した乱数表から暗号解読に成功した[16] ことが評価され、1979年警察庁長官賞を受賞している。この事実は長年秘匿事項とされ、単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいたという小さな話題として報道された。このことが、日本海沿岸部に居住する国民の防犯意識を弛緩させ、後述の拉致事件を招いたとする論調も一部にある。ただし、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺や、新たな情報の収集困難を招き、ひいては事件解決が困難になるリスクも伴い、警察庁の立場からは安易に公開に踏み切るわけにはいかない事情があったことも考慮する必要がある。なお、李は起訴猶予処分となり日本への帰化を許され、日本国民・大山秋吉として現在も東京都内で自営業を営んでいる。

少女拉致事案

1977年(昭和52年)11月15日拉致
新潟の女子中学生、横田めぐみ1964年(昭和39年)10月5日(59歳) - 当時13歳)
新潟県新潟市において新潟市立寄居中学校からの下校途中に自宅付近(現中央区西大畑町、新潟大学付属新潟小学校前)にて失踪

新潟県警は、失踪直後から誘拐事件として捜査を行ったが、何の手がかりも得られなかった。失踪から約18年後、1995年6月に韓国の情報機関高官が朝日放送記者である石高健次に、脱北した北朝鮮工作員から聞いた話として拉致された女子中学生の話を述べ、石高はその話を「現代コリア」1996年10月号に載せた。1996年12月、現代コリア研究所所長の佐藤勝巳が新潟市の公務員宿舎での講演後に懇親会でこの記事に言及した際、同席していた新潟県警の警察官から、その少女は1977年に失踪した横田めぐみのことではないかとの声が挙がり、その後同定された。1997年1月、めぐみの両親である横田滋早紀江夫妻にこのことが伝えられ、メディアでも報道されるようになった。

北朝鮮側の説明によれば、横田めぐみは1986年に結婚し、1987年に一児(キム・ウンギョン)を出産するも、1994年4月(2002年10月の報告では「1993年3月」としていたが後に訂正)に入院先の病院自殺、1997年に火葬したとしている。2004年11月の日朝実務者協議を通じ、横田めぐみ本人の「遺骨」として提供された骨の一部からは、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出された(「ニセ遺骨問題」も参照)。遺体は未確認。2006年6月29日に行なわれた会見で、横田めぐみの夫とされる金英男は、「めぐみは1994年に自殺した」と述べた。この発言について、彼女の両親である横田滋早紀江夫妻は「予想通りの証言。こういうことを平気で言わせる国(北朝鮮)にはらわたが煮えくり返るばかりだ」とした。また、官房長官安倍晋三(当時)も「発言内容は信憑性がない」とした。
帰国した拉致被害者たちの証言によると、1978年(昭和53年)8月18日から1980年(昭和55年)頃まで平壌市内で曽我ひとみと同居し、1984年(昭和59年)頃には平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で同じく拉致被害者の田口八重子および工作員女性1名と同居していたとされている[17]1986年(昭和61年)に平壌へ転居した後、1994年(平成6年)頃までは地村夫妻や蓮池夫妻と同じ地区で暮らしていたとされている[17]
1997年には、朝鮮労働党書記の一人が朝鮮総連を通さずに直接当時の橋本政権に対し非公式に横田めぐみの生存を伝えたという報道[18] がなされたことがあり(通知が事実であれば当然のことながら1994年死亡という自らの説明と矛盾する)、横田めぐみの火葬をしたとされる「オボンサン火葬場」も、火葬をした1997年当時には無く1999年に建設されたものだと複数人の脱北者が証言している[19]。また、帰国した地村富貴恵が「(自殺より後の)1994年6月にめぐみさんが隣に引っ越してきた」と証言している[20]。また2011年には、韓国自由先進党議員の朴宣映が脱北者から得た北朝鮮高官の話として「横田めぐみは生存しており、知ってはいけないことを知りすぎたため日本に帰すことができず、他人の遺骨を日本側に渡した」とする証言を日本政府に伝えている[21][22]。さらに週刊朝鮮の報道によって2005年に作成された平壌市民名簿に横田めぐみとみられる記載があったことも確認されている[23]。なお、失踪直後に自宅近くの日本海の方から暴走族の爆音に似た音を近隣住民の多くが聞いていることがわかっており、ジャーナリストの石高健次は、1971年加賀市沖不審船事件同様に不審船から発せられた船舶用ディーゼルエンジンの音ではないかと推測している。横田めぐみに関して中国では、彼女は病死したのでもなく事故死でもなく自殺でもなく、処刑され、骨は他の処刑者と一緒に火葬したため行方が知れず、故に偽物の骨を提出したという見方もある[24]
横田めぐみは北朝鮮で金賢姫の同僚工作員である金淑姫に日本語の指導を行っていたとされる[25]。また、金正恩の母が早くに亡くなったため、彼を育て上げたのは横田めぐみとの説がある[26]

李恩恵(リ・ウネ)拉致事案

1978年(昭和53年)6月29日頃拉致
東京の飲食店員、田口八重子1955年(昭和30年)8月10日 - 当時22歳)
帰国した拉致被害者たちの証言によると、1984年(昭和59年)頃には平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で横田めぐみおよび工作員女性1名と同居していた[17]

1986年(昭和61年)に平壌へ転居し、10月には地村富貴恵と平壌市内の百貨店で会っている。蓮池薫の証言によると、その後田口八重子は敵工地と呼ばれるところに行ったとされている[17]

1987年11月の大韓航空機爆破事件で有罪判決を受けた北朝鮮工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)は、「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の立ち居振る舞いを学んだと主張している。この李恩恵については金賢姫の供述を基に似顔絵が作られ、1988年(昭和63年)頃全国各地に「昭和55年以前に行方不明になったこの女性を知りませんか」というポスターが貼られている。その後埼玉県警警備部の調べで1991年(平成3年)に、「李恩恵」が行方不明となった田口八重子と同一人物であると推定されている。しかし彼女の家庭が複雑な事情を抱えており、まだ幼い子供のことを考慮して、家族より実名報道を控えてほしいとの要請があり、特定には時間を要した。
日本の警察庁から2人の担当官がソウルへ行き、ソウル大使館政治部の警察庁出身の者を同行させ金賢姫と面会した。教育に当たった李恩恵という女性は拉致された田口八重子ではないかということで、同年輩の女性の顔写真10枚ほどが準備された。田口八重子の写真をこの中に混入し、「このなかに教育に当たった女性がいるか」と金賢姫に示した。1枚1枚写真を見ていた彼女は田口八重子の顔写真を見て、「この人です」と言ったという。李恩恵は拉致された田口八重子であることが確認された。2009年3月、金賢姫は田口八重子の親族と釜山で面会した[27]
地村富貴恵の証言によると、北朝鮮に上陸した際、子供が日本にいるから帰してほしいと訴えたとされている[17]。また、工作員となって海外に渡り、日本大使館に駆け込もうと計画していたが、北朝鮮側に工作員になれないと言われ断念したとされている[17]
北朝鮮側の説明によれば、田口八重子は1984年に日本人拉致被害者(原敕晁 下記9参照)と結婚、1986年(昭和61年)の同男性の病死後、1986年(昭和61年)7月に自動車事故で死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はされていない。また、李恩恵なる人物の存在を否定している。

アベック拉致事案(福井県)

1978年(昭和53年)7月7 - 8日拉致
小浜の大工見習い、地村保志(1955年(昭和30年)6月4日 - 当時23歳)、被服店(ブティック)店員、濱本富貴惠(1955年(昭和30年)6月8日 - 当時23歳)
福井県小浜市で拉致。実行犯は北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)である[28]
2人は1979年(昭和54年)に結婚。1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で暮らした後、平壌市内に転居している[17]。2002年(平成14年)10月に日本に「一時帰国」として返されたが、本人の意思を確認した上で、日本政府が強く保護し北朝鮮に返さなかった。2004年(平成16年)5月22日、日朝首脳会談の結果を受け、娘1人と息子2人も日本に帰国を果たした。

アベック拉致事案(新潟県)

1978年(昭和53年)7月31日拉致
中央大学法学部生、蓮池薫1957年(昭和32年)9月29日 - 当時20歳)、化粧品会社社員、奥土祐木子(1956年(昭和31年)4月15日 - 当時22歳)
新潟県柏崎市で拉致。「ちょっと出かける。すぐ帰る。」と言って外出したまま消息を絶つ。同様に奥土も外出したまま両名が拉致される。実行犯は北朝鮮工作員のチェ・スンチョルハン・クムニョンキム・ナムジンである[28][29]
2人は1980年(昭和55年)5月に結婚、1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)まで平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で暮らした後、平壌市内に転居している[17]。2002年(平成14年)10月に地村らと共に日本に帰国。2004年(平成16年)5月、残された子供(1男1女)も日本に帰国を果たした。

アベック拉致事案(鹿児島県)

1978年(昭和53年)8月12日拉致
電電公社職員、市川修一(1954年(昭和29年)10月27日 - 当時23歳)、鹿児島の事務員、増元るみ子(1953年(昭和28年)11月1日 - 失踪時24歳)
鹿児島県日置郡吹上町(現在の日置市)、吹上浜キャンプ場で拉致。吹上浜拉致事件とも呼ばれる[30]
北朝鮮側の説明によれば、2人は1979年7月(2002年10月の報告では「1979年4月」としていたが後に訂正)に結婚したが、市川は1979年9月に海水浴場で心臓麻痺により死亡。増元も1981年に心臓麻痺のため死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は、両人とも遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はなされていない。一方、元北朝鮮工作員の安明進は、北朝鮮が死亡したとした日時の後、1988年から1991年にかけて「何回も二人を見た」と証言している。

母娘拉致事案(新潟県)(娘)

1978年(昭和53年)8月12日拉致
佐渡准看護婦曽我ひとみ1959年(昭和34年)5月17日 - 当時19歳)
新潟県真野町(現:佐渡市)において母親と2人で買い物に出かけた帰り道、佐渡で拉致。1978年(昭和53年)8月18日から1980年(昭和55年)頃まで平壌市内で横田めぐみと同居した[17] 後、1980年(昭和55年)8月に元アメリカ兵のチャールズ・ジェンキンス結婚1983年(昭和58年)6月に長女出産、1985年(昭和60年)7月に次女出産。2002年(平成14年)10月に日本に帰国。夫および2人の娘については、2004年(平成16年)5月の日朝首脳会談の結果を踏まえ、夫と子ども(2女)は北朝鮮当局の与えた虚偽情報に基づき日本行きを拒否していたが、同年7月9日、インドネシアジャカルタにて再会し、7月18日一家4人で日本に帰国。北朝鮮は、曽我ミヨシ(46歳)については、「日本国内の請負業者が拉致し曽我ひとみ一人を受け取った」と主張しているが、日本政府は、曽我ミヨシを拉致認定している。

母娘拉致事案(新潟県)(母)

1978年(昭和53年)8月12日拉致
佐渡の准看護師の母、曽我ミヨシ(1931年(昭和6年)12月28日 - 当時46歳)
曽我ミヨシは佐渡で上記の准看護婦と買い物帰りに同時に失踪。北朝鮮拉致認定。北朝鮮側は、佐渡の准看護婦の母(失踪時46歳)は北朝鮮に入国していない旨を主張し関与を否定。曽我ミヨシの消息は全く不明。

欧州における日本人男性拉致容疑事案

1980年(昭和55年)拉致
京都外国語大学大学院生、松木薫1953年(昭和28年)6月13日 - 当時26歳)
1980年(昭和55年)5月頃、欧州にて失踪。北朝鮮側の情報では、本人が北朝鮮行きの勧めに応じたとしている。同年6月にスペインマドリードにて拉致。松木は、石岡亨と共に「よど号ハイジャック事件」の犯人グループの妻2人(森順子若林佐喜子)により拉致されたことが警察の調べで判明している。北朝鮮側の情報では、1996年8月23日に自動車事故で死亡したとしている。
2002年(平成14年)9月に派遣された日本政府調査チームは、北朝鮮側より「松木のもの」とする遺骨の提供を受けたが、法医学的鑑定の結果、別人のものであることが確認されている。また、2004年(平成16年)11月の日朝実務者協議の際に先方から提供された松木の「遺骨」である可能性があるとされた骨の一部からも、DNA鑑定の結果、別人のDNAが検出された。
②1980年(昭和55年)5月頃拉致
日本大学学生、石岡亨1957年(昭和32年)6月29日 - 当時22歳)
1980年5月頃、欧州にて失踪。北朝鮮側の情報では、本人が北朝鮮行きの勧めに応じたとされ1980年6月スペインにて拉致。1980年4月にスペインの動物園でよど号メンバーの妻2人(森順子・若林佐喜子)と一緒に撮影された写真が存在する。
また、石岡亨のパスポートが北朝鮮によって偽造パスポートの原本に利用され、発効日が同じで旅券番号が異なる偽造パスポートが北朝鮮工作員やよど号グループ柴田泰弘日本赤軍戸平和夫が使用していたことが確認されている。
北朝鮮側によれば、1985年12月に拉致被害者(下記8-3.有本恵子)と結婚、1986年に長女が誕生するが、1988年11月4日ガス中毒で一家全員死亡したとしている。1995年8月に北朝鮮側は遺体が洪水で流失したと説明しており、遺体の確認はされていない。

※ 警視庁公安部は「よど号」犯人の妻の森順子・若林佐喜子を国際手配し、北朝鮮に対し所在確認と身柄の引き渡しを求めている

欧州における日本人女性拉致容疑事案

1983年(昭和58年)7月頃拉致
神戸市外国語大学学生、有本恵子1960年(昭和35年)1月12日 - 当時23歳)
欧州にて失踪[注釈 4]。有本の拉致については、「よど号」ハイジャック犯の柴田泰弘の妻となった八尾恵が、2002年3月12日、「私が有本恵子さんを騙して北朝鮮に連れていきました」と東京地裁で証言している。警視庁公安部は「よど号」犯人の魚本公博を国際手配し、北朝鮮に対し所在確認と身柄の引き渡しを要求している。
北朝鮮側の説明によれば、有本は1985年に石岡と結婚、一児をもうけるも、1988年にガス中毒で一家3人全員が死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はされていない。

辛光洙(シン・グァンス)事件

  • 1980年(昭和55年)6月頃拉致
  • 大阪府鶴橋中華料理店「宝海楼」勤務の調理師、原敕晁1936年(昭和11年)8月2日 - 当時43歳)
  • 宮崎県青島海岸から拉致された本件については北朝鮮工作員、辛光洙が韓国の警察当局に対し中華料理店勤務、調理師男性の拉致を認める証言をしている。本件に関連し、警視庁公安部は辛光洙を国際手配した。辛光洙は1999年12月31日恩赦により釈放。キム・デジュン政権の「非転向長期囚送還」により翌2000年9月2日北朝鮮に送還された。北朝鮮当局は、拉致実行犯は処罰したと説明しているが、一方で辛光洙は拉致実行後に金正日から大きな功績があったとして「国旗勲章1級」を授与され[31]、英雄として北朝鮮の記念切手にもなっている。
  • 北朝鮮側の説明によれば、原敕晁は李恩恵(リ・ウネ)拉致事案の田口八重子と1984年に結婚するも1986年に肝硬変で死亡したとしている。しかし、北朝鮮側は1995年7月遺体が洪水で流失したとしており、遺体の確認はされていない。北朝鮮側の情報では、本人の金儲けと歯科治療の意向を受け、1980年(昭和55年)6月17日 宮崎市青島海岸から連れ去った[注釈 5]。警視庁公安部は「宝海楼」の家宅捜索を実施後、工作員の辛光洙、共犯者の金吉旭、指示役で工作機関副部長の姜海龍を国際手配し、北朝鮮に対し所在確認と身柄の引き渡しを要求している。
  • 原には地元長崎市に兄がおり、家族会にも参加していたが、事件がドラマのように取り上げられることを嫌い、メディアに登場することは無かった。そして、帰国を見ることなく、2010年に亡くなっている。
在日韓国人政治犯の釈放に関する要望書に関して
1989年(平成元年)、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯釈放を求める在日韓国人政治犯の釈放に関する要望書が、当時の公明党社会党社会民主連合らの議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出された。その際、釈放要望対象者の中に辛光洙らの拉致実行犯・共犯者が含まれていた。
その後、2002年(平成14年)9月に金正日が拉致実行を認めたあとで同年10月19日に当時官房副長官安倍晋三土井たか子菅直人を名指しで「極めてマヌケな議員」と批判する[32] など、署名した国会議員自民党共産党から非難された。菅直人は「釈放を要望した人物の中に辛光洙がいるとは知りませんでした。そんな嘆願書に署名したのは私の不注意ですので、今は率直にお詫びしたい」 と謝罪した[33][34]。公明党は、釈放要求の対象は学園浸透スパイ団事件の首謀者とされた徐勝・徐俊植兄弟で、当時の日本国内における拉致問題の認識は「北朝鮮工作員による拉致の疑い」という程度のもので、実行犯の氏名や犯行内容は全く認知されておらず[35]、辛光洙の関与も明らかではなかったと抗弁し[36]、また社民党も、1984年4月25日衆議院外務委員会において、社会党の土井たか子が釈放について政府の尽力を求めたことに対し、政府は「内政干渉にわたらない範囲内で人道的配慮を韓国政府に絶えず求めていきたい」と答弁したことにつけ込み[37] ことを非難し、同罪であるなどと転嫁するに至った。一方、共産党は、要望書が提出される1年前の1988年昭和63年)3月26日参議院予算委員会において、共産党議員が辛光洙事件について質問しており[38]、署名議員も予算委員として出席しており[注釈 6]、当時、公明党が主張するように、署名した国会議員らがそうした事実や疑惑を知らなかったこと自体おかしな話であると批判している[39][40]。また、共産党は自民党に対しては、自公連立友党の公明党議員の署名について言及しないのは二重基準として批判している[41]

元飲食店店員拉致容疑事案

1978年(昭和53年)6月頃
元ラーメン店店員、田中実(1949年(昭和24年)7月28日 - 28歳)
兵庫県神戸市灘区出身。1978年(昭和53年)6月、北朝鮮からの指示を受けた同店の店主である在日朝鮮人土台人によって、成田空港から日本国外に連れ出された後、ヨーロッパ経由で北朝鮮に送り込まれた[16]。1994年(平成6年)6月、在日朝鮮人男性が平壌で田中という拉致被害者と会ったと兵庫県警に証言した[16] ほか、1996年(平成8年)、別の北朝鮮の元工作員が「北朝鮮工作員と『土台人』のラーメン店店主に誘い出され、ウィーンモスクワ経由で連れて行かれた」と告白している。この工作員の手記は『文芸春秋』1997年1月号に掲載され、広く知れ渡ることとなった[42]。なお、北朝鮮側は田中が北朝鮮内に入国したことは確認できなかったと主張している。
2018年3月16日に、北朝鮮側が「入国していた」と2014年の日本側との接触の際に伝えられていた事が日本政府関係者から明らかになる[43]。また同時に、田中と同じ児童養護施設出身で神戸市の元ラーメン店店員の金田龍光(被害者未認定。韓国籍[44])の入国も認めていた[45]。また2019年2月には田中が妻子とともに平壌市内で生活していることや金田にも妻子がいることが北朝鮮から日本側に伝えられていたことが報じられている[46]。内閣総理大臣の安倍晋三(当時)は、この報道の真偽について国会で質問を受け、肯定も否定もせず、「今後の捜査・調査に支障を及ぼすおそれや関係者のプライバシーを侵害するおそれを考慮する必要があることから、お答えを差し控えたい」と答弁している[47]。これについては、田中と金田が児童養護施設出身で身寄りがないため、安倍政権が優先順位をつけてしまっている可能性もある、と批判的な見解も述べられていた[48]
以上のように、政府見解としては田中・金田両名の生存情報については肯定も否定もせずコメントしないという態度であるが、2021年8月、当時の古屋圭司拉致担当大臣が両名の生存情報と日本政府がそれを受け取らなかったことを認めた[49]。さらに2022年9月、当時の齋木昭隆外務事務次官もその事実を認めた[50]
その後、2022年9月17日、複数の交渉関係者からの情報として、日本政府が2014~15年頃北朝鮮からこの2名について「一時帰国」の提案を受けていたものの、当時の安倍首相が提案に応じれば拉致問題の幕引きを狙う北朝鮮のペースにはまりかねないと主張し、拒否していたことが報じられている[51]
拉致被害者認定(2名中、田中実のみ):2005年(平成17年)4月27日

女性拉致容疑事案(鳥取県)

1977年(昭和52年)10月頃
会社員、松本京子1948年(昭和23年)9月7日 - 当時29歳)
1977年(昭和52年)10月29日午後8時頃、自宅近くの編み物教室に向かうため外出。近所の住人が同日夜に男と見られる2人と話している松本を目撃。話しかけたところ2人のうちの1人から殴りかかられた。その直後に、サンダルの片方を残して失踪。北朝鮮側は、入国を確認できなかったと主張している。日本国内の会社関係者が北朝鮮の貿易会社に電話した際、「キョウコ」と名乗る女性が対応したとの証言がある。また脱北者により北朝鮮では清津市に居住していたとの情報がもたらされているほか、失踪直前に沖合いにて不審船が目撃されていたとの情報もある。2013年(平成25年)5月、ラオスで拘束され北朝鮮に強制送還された脱北者9名の中に松本の子息が含まれている可能性がある、と韓国の一部マスコミが報じたが、脱北を手配した人物に接触した韓国政府がこれを否定した。韓国の拉致被害者家族が組織する「拉北者家族会」は、松本は北朝鮮で結婚したが子供はおらず[52]2011年(平成23年)頃清津から平壌に移されたとの情報を得ていることを公表、韓国の国家情報院も同様の見方をとっている[53]。しかしこれらの情報について日本政府は「捜査中」であるとの理由から見解を公表していない。
拉致被害者認定:2006年(平成18年)11月20日

注釈

  1. ^ ○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 「金子議員にお答えいたします。激励を込めた御質問に感謝申し上げます。拉致問題についてでございます。北朝鮮による拉致は、国民の生命と安全に大きな脅威をもたらすことから、普通には、テロと言えると思います」[3]
  2. ^ 詳細は朝鮮統一問題を参照。
  3. ^ 青瓦台襲撃未遂事件文世光事件ラングーン事件大韓航空機爆破事件など。
  4. ^ 有本は同年6月頃に日本へ帰国する予定の電報を実家に送っている。その後コペンハーゲンで仕事が見つかったので帰国が8月になるという電報が入った。ところが帰国予定日になっても有本は帰国せず、心配した家族が航空会社に搭乗者リストについて問い合わせたところ、有本の名前はなく、キャンセルしたのも有本本人ではないという返答だった。
  5. ^ 辛は事前に中華料理店店主と貿易会社の社長を協力者として犯行グループに入れている。まず店主から原に「いつまでもこの仕事ではきついだろう。知り合いに事務職を募集している会社があるから、そちらに行ってみてはどうか」と原に持ちかけた。元々長崎県の商業高校出身だった原はその話に乗り、採用面接が行われることになった。場所は梅田にある朝鮮総連系の焼肉店で、辛・店主・貿易会社社長の3人によって面接(辛と店主は貿易会社の常務、専務という役であった。面接も口実で簡単な会話のやり取りにすぎなかった)で採用が決まる。その夜したたかに酔わされた原は辛らと夜行列車宮崎市に向かった。途中拉致が気付かれぬように万全を期して大分県別府市で一泊している。
  6. ^ 社会党5名、公明党2名、無所属1名
  7. ^ 新拉致議連呼びかけ人は以下の通り。
    石破茂(会長)、近藤基彦高市早苗(副幹事長)、中川昭一中川義雄、平沢勝栄(事務局長)、米田建三(副会長)(以上自民党)、上田清司(副会長)、佐藤道夫原口一博(副幹事長)、松沢成文(副幹事長)、松原仁(事務局次長)、吉田公一(会長代行)(以上民主党)、塩田晋(副会長)、田村秀昭、西村眞悟(幹事長)、森ゆうこ(以上自由党)、小池百合子(副会長)(以上保守党
  8. ^ 小泉訪朝、日朝首脳会談の結果を受け、社民党阿部知子が拉致議連への参加を申請したが、事務局長の平沢勝栄より拉致被害者家族会には社民党に対して疑念と不信があることを言い渡され、参加を拒否されている。
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  164. ^ 【書評】東京基督教大学教授・西岡力が読む『エクリプス』エリック・ファーユ著、松田浩則訳 - 拉致被害者の心に迫る小説”. 産経ニュース (2017年1月8日). 2019年7月22日閲覧。
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