豊川市 概要

豊川市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 05:12 UTC 版)

概要

東三河地域においては豊橋市に次ぐ人口。中京圏および豊橋都市圏に属している[1][2]

豊川稲荷(豊川市豊川町1番地)の門前町から発展し、曹洞宗専門僧堂を有する。市名の豊川(とよわ)の由来は、律令制宝飯郡豊川郷である。愛知県内には「豊」の付いた自治体名が多いが最古はこの豊川市で、8世紀木簡から確認できる。

2006年(平成18年)2月1日に宝飯郡一宮町を、2008年(平成20年)1月15日に同郡音羽町御津町を、2010年(平成22年)2月1日に同郡小坂井町を編入合併した。合併の際、新市名候補として「穂の国市」や「東三河市」、「宝飯市」などの候補があったが「豊川市」の踏襲に落ち着いた[3]

東名高速道路国道1号国道23号国道151号国道362号などが通っていて、東三河の道路交通の要衝となっている。豊川稲荷や御油の松並木は全国的に有名で、歴史的建造物なども数多くある。

地理

豊川市中心部周辺の空中写真。画像中央付近の緑地は豊川稲荷。
2020年6月16日撮影の21枚を合成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

愛知県の東部に位置する。市の東部には豊川(とよがわ)、西部には音羽川、中心部には佐奈川などが流れていて、市南西部にある三河湾に注いでいる。市の北部は主に山地で、ゴルフ場が多数存在する。

市では中心市街地の区域を、公共機関や商業施設などが所在する「諏訪地区」、豊川稲荷の門前町として発展した「豊川地区」、両地区をつなぐ「中央通地区」の3地区122.4haとし、「中心市街地商業等活性化基本計画」を策定して中心市街地の開発促進に取り組んでいる[4]
ただ、元々が個々に中心地を形成していた4町村による合併で誕生した市であるために、戦後もそれら旧町村が形成していた市街地の間を埋める形で市街地が形成されていったことに加え、市名を冠している豊川駅が市の中心駅として機能しておらず、その機能は各地区に所在するいくつかの駅に分散されているのが特徴であるために、市街地が広範に連続して広がっているものの、市としての中心市街地の形成が思うに任せず、都市の規模の割に大規模な商業施設などの進出も遅れ、長らく購買人口が近隣都市に流出している状況であった。平成に入り、中規模の商業施設が「諏訪地区」やその近隣にオープンするも、同時にロードサイド店舗豊川IC周辺や豊橋市との市境に近い南大通に集中するなど、分散傾向に変化は見られないままである。

国道1号が市の西部を、国道23号が市の南西部、国道151号が市の東部から南部を通る。また、姫街道本坂通)と呼ばれる通りが市内を東西に貫いている。鉄道路線は4路線あり、前述の幹線道路とほぼ並行している。

春になると佐奈川や音羽川、桜トンネル(市役所の近くにある桜並木)の桜が咲き、街を彩る。夏には市内各地で祭りが開かれ、大変賑わう。比較的温暖な気候であるため、冬でもはほとんど降らない。

地形

山地

主な山
赤塚山
宮路山
五井山
  • 本宮山(ほんぐうさん)
  • 西山(にしやま)
  • 観音山(かんのんやま)
  • 赤塚山(あかつかやま)
  • 飯盛山(いいもりやま)
  • 京ヶ峰(きょうがみね)
  • 五井山(ごいさん)
  • 宮路山(みやじさん)
  • 御堂山(みどうやま)
  • 遠見山(とおみやま)
  • 弘法山(こうぼうやま)
  • 新宮山(しんぐうさん)
  • 御津山(みとやま)
  • 権現山(ごんげんやま)

河川

豊川
佐奈川
音羽川
一級水系
二級水系

海岸

湾岸

湖沼

主な池
  • 豊川用水駒場調整池
  • 西明寺池
  • (八幡)大池
  • 野口池
  • 割池
  • 宮池
  • 中池
  • 東池
  • 宝地池

気候

太平洋側気候に属していて、比較的温暖な気候である。ただし、冬場(12月 - 3月頃)の最低気温に関しては、摂氏0度を下回るのが一般的である。

豊川市の月別降水量(mm)[5]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年合計
2013年 45.5 64.0 83.5 218.0 107.0 137.0 83.0 107.0 216.0 313.5 72.5 41.5 1488.5
2014年 39.0 125.5 157.5 115.0 148.0 47.0 110.0 186.5 173.0 308.0 7.5 49.5 1466.5
2015年 104.5 54.5 136.0 147.0 91.5 120.0 296.5 280.0 351.0 63.0 94.0 95.5 1803.5
豊川市の月別平均気温(℃)[6]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年平均
2012年 4.7 4.9 9.1 14.2 19.0 22.1 26.6 28.1 25.4 19.2 12.1 6.3 16.0
2013年 4.7 5.3 11.1 14.2 19.1 23.0 27.7 29.0 25.1 20.5 12.1 7.0 16.6
2014年 5.3 5.9 9.8 14.4 19.2 23.4 26.9 27.0 23.4 19.0 13.9 6.2 16.2
2015年 5.8 6.2 9.9 15.4 20.8 22.1 26.1 27.8 23.3 18.6 15.0 10.0 16.8

市内の町・字

土地利用

市内の土地の利用状況(2016年現在)をみると、農用地が3,300haで、森林が5,860ha、水面・河川・水路が699ha、道路が1,365ha、宅地が2,886ha、その他が2,004haとなっている。より詳しくは、以下の通り[7]

豊川市の土地利用面積(単位:ha)
行政区域 農用地 森林 水面・河川・水路 道路 宅地 その他
国有林 民有林 水面 河川 水路 国道 県道 市道 農道 林道 住宅地 工業
用地
その他
の宅地
16,114 1,420 1,880 96 5,764 32 455 213 205 222 885 7 45 1,767 414 705 2,004

人口

2020年現在、豊川市は東三河地区で唯一人口が増加傾向である。

豊川市と全国の年齢別人口分布(2005年) 豊川市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 豊川市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

豊川市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

隣接する自治体

愛知県

歴史

律令制宝飯郡豊川郷にあたる。市域には古くから人が住んでおり、天間遺跡等の旧石器時代の遺跡も見つかっている。多数の甕棺墓が発掘された麻生田大橋遺跡は、縄文時代から弥生時代にかけての複合遺跡である。

5世紀後半に音羽川西古瀬川の間の白鳥台地に築かれた三河最大級の前方後円墳船山第1号墳は、行者塚古墳兵庫県加古川市)等畿内周辺の古墳及び昼飯大塚古墳岐阜県大垣市)、宝塚古墳第1号墳(三重県松阪市)、高塚山古墳三重県桑名市)に副葬されているものと共通の食物供献儀礼用笊形土器及び土製品が発掘された東限となっており、伊勢湾三河湾などの水上交通で覇権を得た畿内豪族との繋がりがうかがえる。小坂井町には大和奈良県)の豪族葛城氏穂国造を祭神とするとされる菟足神社が鎮座する。6世紀後半から7世紀後半にかけては炭焼平古墳群が作られた。

律令時代には船山古墳付近に三河国国府三河国分寺三河国分尼寺が置かれていた[8][9][10][11][12][13][14]。大宝2年(702年)の持統天皇三河行幸の際には、伊勢から航路で御津に上陸し、宮路山を訪ねたとされる[15][16]。赤坂の杉森八幡社は、その際持統天皇により勧請されたと伝わる。財賀寺は奈良時代、神亀元年(724年)の創建と伝えるが、現存する仏像や考古遺物からは平安後期以降、山寺として発展したと見られる。

平安時代、藤原氏による摂関政治が行われていた頃、三河守としてこの地域に赴任した大江定基は、懇意の女性と死別したことをきっかけに比叡山延暦寺寂心のもとで出家して寂照と名乗り、入して帰国することなく没した。このことは『今昔物語集』『源平盛衰記』『三国伝記』などに説話として収録されて広く知られたようであり、豊川市内を中心に三河の寺社には、財賀寺、長福寺、西明寺関川神社三明寺、花井寺など定基と所縁のあることを伝える所が多い。

鎌倉時代になって、鎌倉街道が整備されると、豊川宿として機能した。鎌倉時代の史書では、『海道記』に「豊河の宿」、『東関紀行』に「豊川といふ宿」と記載される。

室町時代永享10年(1438年)の永享の乱で敗れた一色時家が、同族の三河守護一色義貫を頼り三河国に逃げ落ち、翌11年(1439年)、牛久保町付近に長山一色城を築城し根拠地とした。しかし翌年、時家を匿ったとして、将軍足利義教により義貫が討たれ、代わりに討伐に功のあった細川持常が三河守護となると、三河は他地域に先駆けて内戦状態に入った。この頃、豊川稲荷が創建された。

長禄2年(1458年)、長沢にあった、駿河守護今川氏の分家関口氏の岩略寺城を、岩津城(愛知県岡崎市岩津町)の松平氏宗家第三代松平信光が攻め落とし、子を長沢松平氏として分立して置いた。文明9年(1477年)松平氏宗家第四代松平親忠により、御津大恩寺が建立された。同年、長山一色城一色時家が、被官の大沢城御津町)城主波多野全慶に謀反を起こされ討たれるが、のちに同じく被官の牧野古白が灰塚野合戦で波多野全慶を討ち取り、長山一色城主となり、その後牛窪城と改名した。

三河牧野氏は、駿河守護今川氏に臣従し、今川氏親家臣の北条早雲率いる軍勢との今橋合戦で牧野古白が自害したのちも、三河牧野氏が牛窪城主を務めた。なお、古白を攻めたのは松平長親であるとの説もある。享禄2年(1529年牧野保成が、牛窪城付近に新城・牛久保城を築城する。しかし、同年に岡崎城の松平氏第七代松平清康東三河に侵攻すると、牛久保城の牧野成勝は清康に従属した。松平氏が駿河の戦国大名今川義元の傘下になると、牛久保城の三河牧野氏も今川氏に従属した。今川義元は天文年間、豊川稲荷に寄進を行い発展させた。なお、永禄3年(1560年)に今川氏真が財賀寺に寺領と権限を安堵した文書では、八幡宮・三河国分寺・一宮(砥鹿神社)・総社などの供僧が財賀寺の所属とされている。

徳川家康が岡崎城に入り、松平氏が今川氏から自立すると、砥鹿神社里宮付近に一宮砦が築かれ家康家臣の本多信俊が置かれた。永禄6年(1564年)に一宮砦を襲撃した今川氏真の軍を家康らが撤退させたとされる「神君一宮砦後詰め」の逸話が知られる。また、家康は牛久保城を攻めるなどし、先に家康方に移っていた三河稲垣氏牛久保六騎の仲立ちを経て、城主の牧野成定を従属させた。この他、元亀4年(1573年)に野田城(愛知県新城市)を落とした武田信玄により、足山田城が築かれたが、これも家康により滅ぼされた。安土桃山時代になり家康の関東移封がなされると、牛久保城は豊臣家臣の吉田城(愛知県豊橋市)城主池田輝政の支城となった。

江戸時代には、三河吉田藩西大平藩新城藩の領地の他、寺社領、旗本領が置かれ、三河の天領を管理する代官所赤坂陣屋も設置された。また、東海道宿場である赤坂宿御油宿は、近隣の大規模な岡崎宿等に対抗して飯盛女と称する売女旅籠に多数雇用され、歓楽街として栄えた。今も残る市指定建造物の旅籠大橋屋や、国の天然記念物になっている御油の松並木で往時が偲ばれる。豊川稲荷などに向かう脇街道である姫街道本坂道)も利用され、御油宿は追分宿として機能し、4軒の本陣があった。

明治時代三河裁判所(豊橋市関屋町)の廃止に伴い、慶応4年(1868年)から明治2年(1869年)まで東海道赤坂宿代官所を用いて三河県県庁(豊川市赤坂町)が置かれ、郡制施行で宝飯郡役所が御油村、次いで国府町に置かれた。明治政府殖産興業政策の下蚕種検査所が作られるなどし、養蚕業製糸業が栄えた。第二次世界大戦中は、市内に豊川海軍工廠があったことにより豊川空襲で大きな被害を受けたが、終戦後、工廠跡周辺に多くの工場や商店ができ、工業商業地域となった。

高度経済成長期には市外からの流入人口も増え、戦争によって激減した人口も市制施行時と同じ水準にまで回復した。

年表

市町村域の変遷

明治22年以前 明治22年10月1日 明治22年 - 明治45年 大正元年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在


豊川村 豊川村 明治26年3月13日
町制 豊川町
明治39年7月1日
合併 豊川町
豊川町 昭和18年6月1日
合併 豊川市
豊川市 豊川市
大崎村
北金屋村
三蔵子村
古宿村
長草村
馬場村
本野村
樽井村
六角村
麻生田村 麻生田村 麻生田村
谷川村
楠木村 二葉村
楽筒村
向河原村
三橋村 三谷原村 睦美村 睦美村
雨谷村
石原村
牧野村
当古村
土筒村
瀬木村 明治39年7月1日
合併 牛久保町
牛久保町
牛久保村 牛久保村 明治24年10月6日
町制 牛久保町
長山村 下長山村
正岡村
西島村
鍛冶村 中條村
南金屋村
行明村 明子村 明子村
柑子村
国府村 国府村 明治27年6月23日
町制 国府町
明治39年9月10日
合併 国府町
国府町
為当村
森村
白鳥村 白鳥村 白鳥村
小田渕村
久保村
八幡村 平幡村 平幡村 明治39年6月25日
合併 八幡村
八幡村
平尾村
財賀村
市田村 穂原村 穂原村
野口村
上千両村 千両村
下千両村


三渡野村 三上村 三上村 三上村 三上村 三上村 昭和30年4月12日
豊川市に編入
堹ノ上村
古川新田


御油村 御油村 明治25年1月29日
町制 御油町
御油町 御油町 昭和34年4月1日
豊川市に編入
一ノ宮村 桑富村 桑富村 明治39年7月1日
合併 一宮村
一宮村 一宮村 昭和36年4月1日
町制 一宮町
平成18年2月1日
豊川市に編入
大木村
篠田村
西原村
足山田村
東上村 東上村 本茂村 本茂村
北岡新田
江村 江島村
鵜飼島村
長山村 上長山村
松原村


日下部村 豊津村 豊津村 豊津村 豊津村 大正9年8月1日
合併 大和村
昭和29年4月1日
宝飯郡一宮村に編入
中島村
井之島村
橋尾村 橋尾村 橋尾村 橋尾村
金沢村 金沢村 金沢村 金沢村 昭和26年4月1日
合併 双和村(一部)
昭和30年4月1日
宝飯郡一宮村
に編入


森下村 豊沢村 御津村 御津村 明治39年7月1日
合併 御津村
御津村 昭和5年2月11日
合併 御津町
御津町 平成20年1月15日
豊川市に編入
茂松村
広石村
泙野村
西方村
金割村 金野村
灰野村
御馬村 御馬村 御馬村
上佐脇村 佐脇村 佐脇村
下佐脇村
下佐脇新田
赤根村 大塚村(一部) 大塚村(一部) 大塚村(一部) 大塚村(一部) 昭和30年10月1日
御津町に編入
大草村
赤坂村 赤坂村 明治27年6月23日
町制 赤坂町
赤坂町 赤坂町 昭和30年4月1日
合併 音羽町
上萩村 萩村 萩村 萩村 萩村 萩村
下萩村
長沢村 長沢村 長沢村 長沢村 長沢村
小坂井村 豊秋村 豊秋村 明治39年9月12日
合併 小坂井村
大正15年9月12日
町制 小坂井町
小坂井町 平成22年2月1日
豊川市に編入
篠束村
宿村
平井村 平井村
藤井新田
伊奈村 伊奈村 伊奈村

  1. ^ 国勢調査 平成27年国勢調査 大都市圏・都市圏 | ファイル | 統計データを探す”. 政府統計の総合窓口. 2020年2月13日閲覧。
  2. ^ 都市雇用圏-Urban Employment Area-”. www.csis.u-tokyo.ac.jp. 2020年2月13日閲覧。
  3. ^ 豊川市・音羽町・一宮町・小坂井町・御津町 合併協議会 at the Wayback Machine (archived 2005年2月8日)
  4. ^ [1](豊川市HP内)
  5. ^ 『豊川市の統計 平成28年版』
  6. ^ 『豊川市の統計 平成25年版』『豊川市の統計 平成28年版』
  7. ^ 愛知県地域振興部土地水資源課 『土地に関する統計年報 平成28年版』、4頁。
  8. ^ 「古代から中世」 豊橋市美術博物館
  9. ^ 正法寺古墳現地説明板
  10. ^ 岡崎市美術博物館 副館長 荒井信貴 「「岡崎」のなかった頃の岡崎学 -古墳時代〜古代の西三河―」
  11. ^ 「ファイルダウンロード 新規ウインドウで開きます。船山第1号墳発掘調査現地説明会資料」 豊川市
  12. ^ 「国府」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
  13. ^ 「船山第1号墳の発掘調査について」 豊川市
  14. ^ 古墳の調査・研究の動向と昼飯大塚古墳 大垣市
  15. ^ 『日本歴史地名大全23巻 愛知県の地名(オンデマンド版)』1015頁、1017頁
  16. ^ 『愛知県の歴史散歩 下 三河』213頁
  17. ^ 「市制施行」(昭和18年5月26日内務省告示第374号)。
  18. ^ 「市町村の廃置分合」 (昭和30年4月12日総理府告示第1144号)。
  19. ^ 「市町村の廃置分合」(昭和34年3月31日総理府告示第140号)。
  20. ^ 「市町村の廃置分合」(平成17年8月24日総務省告示第988号)『官報』第4163号、2頁。
  21. ^ 「市町村の廃置分合」 平成19年11月9日総務省告示第625号)『官報』第4706号、3頁。
  22. ^ 「市町村の廃置分合」(平成21年11月10日総務省告示第514号)『官報』第5191号、2頁。
  23. ^ 広範囲が冠水「放置車が山ほど」 大雨から一夜明け、愛知で被害”. 毎日新聞 (2023年6月3日). 2023年6月3日閲覧。
  24. ^ 平成31年度施政方針並びに予算案大綱説明” (PDF). 豊川市役所 (2019年2月20日). 2019年4月7日閲覧。
  25. ^ 平成27年4月12日執行 愛知県議会議員一般選挙 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2015年4月12日). 2019年4月7日閲覧。
  26. ^ 第49回衆議院議員総選挙(小選挙区) 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2021年10月31日). 2021年11月1日閲覧。
  27. ^ 「通信指令課の仕事」(豊川市HP内)。
  28. ^ 「消防本部(総務課・予防課)が移転しました。」(豊川市HP内)。[リンク切れ]
  29. ^ 「火災・救急・救助統計」(豊川市消防本部HP内)。
  30. ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
  31. ^ 宮沢崇志 (2017年12月6日). “歳末点描 出番待ち、Xマスの人気者 シクラメン、出荷作業最盛期”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 名古屋版 
  32. ^ 「豊川市の指定・登録文化財一覧(平成28年7月26日現在)」(豊川市HP内)
  33. ^ 『広報おとわ 2006年10月号』 5頁
  34. ^ 名誉市町村民(愛知県)(リンク道.com内)
  35. ^ 豊川市青年団HP
  36. ^ 稲葉ともか(いなば ともか)”. JUST TAP OUT 公式サイト (2021年7月7日). 2022年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月15日閲覧。
  37. ^ 都市ガス供給エリア東邦ガス






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