気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 04:08 UTC 版)
液体式(流体式)
液体を動力伝達に用いる方式で、本来は押し出し式(後述の「静油圧式」)と羽根車式を含んだ名称だったが、戦前の時点ですでに前者が廃れてしまい[2]、現在は羽根車式の事を指し、これは車輌の動力伝達にトルクコンバータ(日本では俗にトルコンと呼ばれる。以後トルコンと略)を用いている。
トルコンとは、密封されたケースの中で比較的低粘度の変速機油を満して、入力軸に油の流れを生むポンプインペラーと、出力軸に油の流れを受けるタービンランナーの二つの羽根車を向き合わせ、それぞれの中間に置かれたステーター(案内羽根)と呼ばれる固定子が装備されており、入力軸により、ポンプインペラーを回転させると、油がエネルギーを受けて、遠心力により中心部から外周部に向かって流れ、ステーターで油の流れを整流後、タービンランナーに流れ、エネルギーを伝えながらタービンランナーを回転させ、その後、中心部に戻った油を、ポンプインペラー側に還元して再び油がエネルギーを受けて循環することにより、出力軸のトルク(回転力)を増幅する装置である。
このトルク増幅作用が流体クラッチ・フルードカップリングと異なる点である。
リスホルム・スミス式の液体式変速機であるTC2形とDF115形で使用されている6要素3段形のトルクコンバータの構造を右側の見取り図で説明すると、左側にあるポンプインペラーが入力軸により回転すると、エネルギーを受けた変速機油が、第1タービンランナー→第1ステーター→第2タービンランナー→第2ステーター→第3タービンランナーの順に経由して流れ、その後、ポンプインペラーに戻って循環することにより、出力側のトルクを入力側の4-5倍にして取出すことができる。
構造上、入力側と出力側の回転数の差が少なくなるとトルク増幅効果は薄れていき、固定されているステーターが流速の上がった戻り油に対して逆に抵抗となり始め、損失が増えていく[注釈 13]。
また、トルコンのみでは大きな変速比を得られないため、中・高速域での加速力と低燃費の両立を求められる近年の気動車では、トルコンに頼る領域(変速段)またはトルコンに頼らない領域(直結段)において、1 - 4段の変速ギアと各ギア段に組込まれた湿式多板クラッチの組合わせとエンジンからの動力を機械的に直結させるロックアップ機構が装備されている。これらは、自動車の「オートマチックトランスミッション」と同様の構造と働きであり、カウンターシャフトを用いたギア機構や遊星歯車機構を電子制御することにより、日本の機械式では果たせなかった多段変速機の総括制御を実現した。
1950年代に日本国有鉄道(国鉄)に採用され、2010年時点でも一部で使われている液体式変速機であるリスホルム・スミス式のTC-2とDF115は、ともに戦前に設計された国外の製品を国産化したものである。運転席には変速切替レバー(中立・変速・直結の3段切替)があり、発進時にレバーを「中立」から「変速」に切り替えると、電気指令により、入力軸側にある変直クラッチ部[注釈 14]の変速クラッチが作動して、エンジンからの動力が直結軸(内軸)の外側(外軸)にあるトルコンの入力軸を介してトルコンに伝達され、その後、トルコンの出力軸(外軸)とフリーホイール(外軸と内軸の間にコロまたはスチールボールを挿入したもので外軸の回転がコロのくさび効果で内軸に伝達される機構)を介して直結軸(内軸)に伝達され、その後、出力軸に伝達される。この状態が発進から中速までの速度域を受け持ち、中速から最高速まではレバーを「変速」から「直結」に切り替えると、電気指令により直変クラッチ部の直結クラッチが作動して、エンジンからの動力を直結軸を介して出力軸に伝達を行っていたため、上記のような変速ギアを備えていなかった。両者の切り替え速度は共に45 km/hであるが、その操作は運転士の判断による手動である。また、惰行時や制動から停止までは「中立」に切り替え、動力の伝達は行わない。そのため、特に入出力の回転差を吸収する機構が無く衝動が発生しやすい直結段での再力行時には、その時々の速度に応じ、中立位置であらかじめエンジンを適切な回転数に合わせる「空吹かし」(自動車における「ブリッピング」に相当)が必要となる。国鉄形気動車はコストダウンの必要からエンジン回転計は備わっておらず、スムーズな操作には相応の技量が求められる。
当時、機械式、電気式との比較で論じられていたこの方式の長所短所は、次のとおりである。
- 長所
- 短所
初期の液体変速機は回転数が一定の範囲だけ電気式並みの効率があり、それより上がっても下がっても能率が低下してきたが、1930年代ごろから改良されてこの範囲が広がったので、ドイツでは国鉄が1936年にMTMの高速ディーゼル列車(600H.P.×2)や1400H.P.の機関車にこれらを使用した[2]。日本では南満洲鉄道で1938年から輸入品の液体変速機を使用した車両が営業運行に使用され、鉄道省で1936年から試験が行われていたが、戦時体制下での燃料統制もあって本格採用は遅れ、1953年の国鉄キハ44500形気動車から正式に採用となった。以来、在来車の換装も含め、国私鉄を問わず日本のディーゼル鉄道車両のほとんどが液体式変速機を用いるほどの普及を示している。
なお、この駆動システムは気動車での使用が一般的であるが、交流電源の整流技術が未発達の頃、クモヤ790形試作交流電車において、回転数の連続可変制御が難しい交流電動機の段付き(トルク変動)を吸収するために用いられたこともあった。
世界的に、気動車や小型ディーゼル機関車に多く用いられるが、一時のドイツや日本では、大型ディーゼル機関車にも好んで使われた。多彩な方式があるが、日本で広く用いられているものは以下の2方式いずれかの系統に属する。
リスホルム・スミス型
トルコンは1個で、これに直結・変速クラッチが内蔵された変直クラッチ部、カウンターシャフト式変速ギア、遊星歯車式変速ギア、それに組込まれた湿式多板クラッチを組み合わせたタイプであり、構造的には自動車用自動変速機に類似している。変速の制御はトルコンとギアの切り替えで行う。比較的コンパクトで、日本の鉄道においては、ほとんどの気動車に採用されているが、直結段に変速する際にはクラッチによる切替が必要であり、変速の際のショックが大きいため、大出力の機関の組合わせには無理があり、機関車では、500psクラスのDMF31S形エンジンを装備するDD13形、DD14形、DD15形に使用するのが限界点であった。
フォイト型
フォイト型はホイト式とも称される。非常に複雑な方式であるが、原理的にはトルコンを2個以上並列で使用し、それぞれのトルコンに専用のギアを備えたタイプ。変速の制御は、使用するギア段のトルコンのみにオイルを満たして動力伝達させ、使用しないギア段のトルコンはオイルを抜いて空回りさせるため、充排油式とも呼ばれる。直結段を有する場合には流体継手を使用するため、リスホルム・スミス型と比べて機械式クラッチがなく、大出力、大トルクの機関にも適するが、その反面スペースを取る。日本の鉄道においては、DML61Z形エンジンを装備したDD51形以降の機関車に変速3段のものが用いられるほか、南満洲鉄道ケハ7型やJR東日本キハ110形試作車には変速1段、直結1段のフォイト製の輸入品が用いられている。
メキドロ式変速機
旧西ドイツなどで採用され、日本ではDD91形とDD54形に用いられた、1個のトルコンに多段式の歯車変速機を組み合わせたものである。歯車変速機が自動で変速を行うことから全領域で効率が高く、起動時のトルクも大きいが、変速に際して一度トルコンの出力軸を歯車変速機から外し、歯車の切替を行った後に再度出力軸を接続するため、変速機本体や機関に加わる衝撃を緩和する装置を必要とし、歯車変速機も自動変速の複雑な構造のものとなる。構造的には自動車用の平行軸歯車式変速機(ホンダマチックなど)に類似する。
アメリカ合衆国での流体式変速機
アメリカ合衆国では電気式が主流であったが、1960年代に西ドイツのクラウス=マッファイ社から導入した流体式変速機を搭載した機関車、ML-4000形がサザン・パシフィック鉄道 (SP) とリオグランデ・ウェスタン鉄道 (RGW) に存在した。
SPは1950年代からより強力な機関車を欲していた。SPとRGWは当初3両ずつ発注した。初期の成績が良かったのでSPは15両追加発注した。山岳地帯の運用には適していなかったので平坦地で運用された。最初の3両はキャブ・ユニットで2次車はフード・ユニットの形態であった。より強力なEMDSD40形等の導入により1960年代末には使用が停止され、1970年代に解体された。その後、1両はカメラカーとして乗員の訓練に使用され、2010年時点では復元のうえで保存され、将来的には動態保存が予定されている。
近年の液体式変速機搭載機関車
2010年現在、各国で生産されているディーゼル機関車は電気式が主流であるが、液体式も生産されている(en:Voith Maxima,de:Voith Gravita,de:Vossloh G 2000 BB)。
注釈
- ^ 一般的には、排気量が大きくなるに従いトルク曲線は平らになって行く。
- ^ 一応、クラッチを工夫すれば1926年時点で1,260馬力の機関車(ドイツ製、ソ連向け輸出機)に歯車変速機が使用された例もあるが、1937年時点でも「大馬力になると設計が難しくなるので、特にかみ合いクラッチの場合は現在は200馬力付近を限度。」とされていた。(山下善太郎「内燃電氣車」p.290)
- ^ 特急用のATR100や要人輸送用のATS1は294 kWの機関を1編成あたり2基搭載していた
- ^ 日本での機械式変速機を搭載した営業用気動車としては、1997年(平成9年)に営業休止(2002年〈平成14年〉廃止)した南部縦貫鉄道のレールバスであるキハ101・102が最後。同路線の廃止後もこの2両は展示運転のため稼働状態を維持している。
- ^ 最高速度180 km/hを可能としており、実用化に向けて200 km/h運転も視野に入れた試験運転が行われている。
- ^ モータアシスト方式ハイブリッド(パラレルハイブリッド)気動車を除く。モータアシスト方式ハイブリッド気動車は、エンジンの出力も直接動力として用いるため、少なくとも変速機、逆転機、推進軸は必要である。
- ^ 世界的にはアメリカ合衆国などで、大都市や地下線区間に乗り入れる場合での採用が見られ、例えばニュージャージー・トランジットのALP-45DP型は定格出力4,400 kWの電気機関車であるほか、出力1,567 kWのディーゼルエンジン2基による走行も可能である。また、ヨーロッパにおける例としてはスイスのレーティッシュ鉄道Gem4/4形機関車などがあり、スイスでは他にも入換用機関車などに例がある。
- ^ 1937年(昭和12年)に発表された山下善太郎の「内燃電氣車」では、「全体として成績が芳しくなく参考になるところもない」と言い切られている。
- ^ 満鉄向けの物では750 HPのジキイ型が日本における電気式ディーゼル機関車の始まりで、一応列車も引けたが速度が低く(単行70 km/h・平坦線での540 t列車牽引時は45 km/h)、停車時電源用に使えるなど工事用を考慮したものであった。その後気動車ではあるが動力集中式の500 H.P.で平坦線なら時速100 km/hほど出せる物が製造されている(満鉄ジテ編成)。
- ^ 民間向けでは、1953年(昭和28年)に富士製鐵室蘭製鉄所構内鉄道D-301として、DMH17Aを2基搭載し37 kW級電動機4基を駆動する35 t級D型電気式ディーゼル機関車が日立製作所によって製造されるにとどまった。
- ^ 例外的な存在として、釧路臨港鉄道(現・太平洋石炭販売輸送)が1970年に1両を購入した、ゼネラル・エレクトリック社のU10B形を日本車輌製造でノックダウン生産する形で製造したDE600形がある。国鉄DF50形引退後は10年程度、本機が日本唯一の電気式内燃車両であった時期がある。
- ^ 当初はドイツ・MTU社製の1,700 PS級エンジン、後の増備車では保守上の理由から、既存の液体式ディーゼル機関車であるDD51形の機関換装工事の際に採用したのと同型のコマツ製1,800 PS級エンジンを搭載。
- ^ 損失増大を防ぐため、国鉄末期からJR化以降に設計されたものでは、ステーターが一方の方向だけに自由に回転できるよう、ワンウェイ・クラッチ(爪クラッチ)が組み込まれ、さらに負荷や車速の変化に合わせ、トルコンのロック、アンロックをきめ細かく電子制御されるものが主流となっている。
- ^ 湿式多板型式で複動式になっており、直結用または変速用のクラッチ板に油圧作動のクラッチピストンを押付けることにより、動力が伝達される。
- ^ トルコン以外に直結クラッチを用いる「ロックアップ機構」の多用で、ある程度改善を図れる。
- ^ 1937年時点のデータで同規模程度のもので重量が電気式の35%、価格が電気式を100%とした場合歯車式(機械式)82%、空気式63%。
出典
- ^ 山下善太郎「内燃電氣車」p.289
- ^ a b c d e f g 山下善太郎「内燃電氣車」p.290
- ^ 世界初の環境に優しい『モータ・アシスト式ハイブリッド車両』の開発に成功! - JR北海道プレスリリース 2007-10-23
- ^ 山下善太郎「内燃電氣車」p.295-296
- ^ 山下善太郎「内燃電氣車」p.296
- ^ a b 山下善太郎「内燃電氣車」p.296第6表「本邦における内燃電氣車」・297-302「VIII本邦における内燃電氣車の實例」
- ^ [1]
- ^ 『新型特急車両の開発中止について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2014年9月10日 。2017年9月2日閲覧。
- ^ “開発費25億円の夢、鉄くずに JR北海道、新型特急試作車を解体”. 北海道新聞(どうしんウェブ) (北海道新聞社). (2017年3月3日). オリジナルの2017年3月3日時点におけるアーカイブ。 2017年9月2日閲覧。
- ^ 山下善太郎「内燃電氣車」p.290-291
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