日本の染織工芸 平安・鎌倉時代の染織

日本の染織工芸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/19 04:10 UTC 版)

平安・鎌倉時代の染織

時代の概観

前述のように、飛鳥・奈良時代の染織遺品が法隆寺裂・正倉院裂という形で比較的豊富に残っているのに対し、平安時代から鎌倉時代の染織は現存する作品がきわめて乏しく、実物の遺品からその歴史を跡付けることは困難である。現存遺品が乏しい理由の一つには、10年以上続いた応仁の乱(1467 - 1477年)のため、京都の町の大半が焼け野原となり、蔵などに保管されていた染織品が焼失したということもある。[47][48]

平安時代、身分の高い男子の正装は束帯、女子の正装は十二単と通称される裳唐衣装束(もからぎぬしょうぞく)であったが、こうした装束の平安時代にさかのぼる実物遺品は残っていない。平安時代に属する実物遺品としては、甲冑に使用されている色糸や染韋(そめかわ)、平泉の中尊寺金色堂の須弥壇下の棺に納置されていた白平絹の衣類、厳島神社の古神宝のうちの錦半臂(にしきのはんぴ)、神護寺に伝わった経帙(きょうちつ)といった、やや特殊な遺品になる。このうち経帙は経巻を何巻かまとめて包んで収納するためのもので、細い竹ひごを絹の色糸で編み、錦の縁と綾の裏を付けたもので、神護寺に残るものだけで202枚あり(他に寺外に流出したものもある)、平安時代の染色を知るうえで貴重な遺品である[49]

束帯

この時代、男子の正装は前述した束帯姿である。体に近い方から単(ひとえ)、衵(あこめ)、下襲(したがさね)、半臂(はんぴ)、袍(ほう)を着し、下半身には大口の上に表袴(うえのはかま)を穿き、足には襪(しとうず)を穿き、石帯(せきたい)を付け、頭には冠を被り、腰に太刀を佩き、手には笏を持つのが正装であった。袍は位階や年齢によって使用する色に細かい決まりがあった。半臂は袖なしの衣で、省略される場合もあった、下襲は背後に長く裾(きょ)を引くのが特色で、歩くときは供の者に裾を持たせることもあった。石帯は革製のベルト、襪は足指のない足袋である。束帯の大口と表袴を指貫(さしぬき)に代えたものを布袴姿(ほうこすがた)、さらに袍を直衣(のうし)に代えたものを直衣布袴姿といった。指貫は、裾を括り緒で括った、ゆったりとした袴である。束帯はあらたまった礼装であり、通常は衣冠や直衣が用いられることが多かった。衣冠は束帯の半臂、下襲、衵、襪、石帯を略したもので、長く裾を引く下襲を用いず、石帯の代わりに共布の紐を用い、大口と表袴の代わりに指貫を用いた。衣冠の袍を直衣に代えたものが直衣姿である。普段着としては狩衣があった。[50][51]

裳唐衣装束

源氏物語絵巻のうち「竹河」徳川美術館蔵 12世紀 右手の2人の女房は裳唐衣装束の正装。室内で碁を打つ大君と中の君はそれより略装に描かれている。身分の高い者ほど略装が許容された。

女子の正装は十二単と通称される裳唐衣装束で、唐衣、裳、表着(うわぎ)、打衣(うちぎぬ)、袿(うちき)、単、緋袴(ひのはかま)を着した。裳はスカートの後半分だけが残ったような形の装飾的な衣装である。袿は5枚ほどを重ね着し、五衣(いつつぎぬ)ともいった。略装では唐衣と裳を略し、代わりに小袿や細長を着た[52]。このような重ね着では、一番上に着るもの以外の衣服は、袖口、襟元、裾などのごく一部が見えるだけであった。重ねて着たときに、内側の着衣の色が裾などから見えるようにするため、体に近い内側に着る衣服をもっとも長く仕立て、その上に重ねる衣服は少しずつ仕立てを短くし、こうして、それぞれの着衣の色の重なり合いを見せるようにした[53]。以上のような衣装の平安時代の実物は残っておらず、『源氏物語』などの文学作品や、『源氏物語絵巻』、『扇面法華経冊子』の下絵などの絵画資料から窺うほかない[54]

平安時代の高貴な女性は、みだりに人前に素顔をさらすことはなく、男性は御簾の裾などからわずかに覗く女性の着衣の色から、女性の趣味や人柄を推し量った。このような状況であったから、この時代の染織は織物が主体となり、前代にみられたような華麗な文様染めは衰退した。三纈のうちの臈纈と夾纈の技法は全く廃れて、纐纈(絞り染)技法がわずかに存続するのみとなった。

有職織物

衾 黄地浮線綾丸文唐織物 京都国立博物館蔵(旧阿須賀神社古神宝類のうち)室町時代

この時代に作られた染織品に有職織物がある。有職織物とは、和様化、定型化した文様を表す公家様式の織物を指す用語として後世に名付けられたものである[55]。こうした織物の技法としては浮織、固地綾(かたじあや)、二陪織(ふたえおり)などがある。浮織とは文様部分の糸を浮かせた織物のことだが、有職織物の浮織とは、地を経三枚綾[注釈 1]、文様を地と異なる色の緯糸(絵緯、紋緯)で表したものを指す[56]。これに対し固地綾とは、地、文様ともに綾組織で表したもので、地を経の三枚綾、文様を緯の六枚綾とする[57]。二陪織は、二重織とも書き、綾組織で地文を表した布に縫取織(文様を表す緯糸が織幅一杯に渡らず、文様部分のみを往復するもので、文様が刺繡のように立体的にみえる。[58])で主文となる別の文様を表したものである。これらの織物の平安・鎌倉時代の実物はほとんど残っておらず、わずかに残っているのは神社の神宝として伝えられたもの、すなわち実用品ではなく神服として作られたものである。鶴岡八幡宮に古神宝として伝わる5領の袿は鎌倉時代の作で、この種の遺品として最古のものである。こうした公家の装束や調度品に付けられた、定型化した文様を有職文様といい、桐竹鳳凰文、窠に霰文(かにあられもん)、小葵文、浮線綾文(ふせんりょうもん)などがある[59]

律令制の形骸化とともに官営の織物工房であった織部司の業務独占が崩れていった。13世紀半ばの寛元4年(1246年)には織部町が火災に遭い、織部司は衰退して、織物生産は官業から民業へ大きく方向転換した。[60]


注釈

  1. ^ 経三枚綾とは、経糸が緯糸2越分浮いて、1越分沈む形を繰り返す。
  2. ^ 金襴は文緯に金糸を用い、金糸で文様を表した織物。中国では織金という。金糸は金箔を貼った紙を細く裁断して糸としたもの。日本の金襴が金糸のみで文様を表したものを指すのに対し、織金は金糸を用いた織物全般を指す点で意味に相違がある。
  3. ^ 緞子とは、地を繻子織とし、文様をその裏組織の繻子織で表した織物で、経糸と緯糸に異なる色の糸を用いたものを指す。ただし、名物裂で緞子と称されるものは、必ずしも前述のような組織でなく、経糸と緯糸に異なる色糸を用いたものを指している。
  4. ^ 印金は、帛面に糊や漆などで金箔を貼って型文様を表したもの。地には羅、紗、綾などが用いられる。
  5. ^ 武士などが羽織って着たコートのような衣服。
  6. ^ 練貫とは、経糸に生糸、緯糸に練糸(精錬した絹糸)を用いて織ったもの。

出典

  1. ^ 長崎 1998, pp. 162–163.
  2. ^ 小笠原 1998, p. 7.
  3. ^ 小笠原 1998, p. 47.
  4. ^ 小笠原 1998, p. 58.
  5. ^ 高田 1996, pp. 140–141.
  6. ^ 小笠原 1998, pp. 224, 237.
  7. ^ a b 小笠原 1998, pp. 49–50.
  8. ^ 小笠原 1998, pp. 73–74.
  9. ^ 山崎 1996, p. 179.
  10. ^ 小笠原 1998, pp. 75–76.
  11. ^ 小笠原 1998, pp. 77–78.
  12. ^ 吉岡 1994.
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  14. ^ 小笠原 1998, pp. 78–79.
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