鬼畜ブームの背景─1995年
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「鬼畜系」の記事における「鬼畜ブームの背景─1995年」の解説
鬼畜・悪趣味ブームの背景および歴史変遷は後述のとおりである。 ばるぼらは鬼畜ブームについて「95年に創刊した『危ない1号』(データハウス)を中心に流行した、死体や畸形写真を見て楽しんだり、ドラッグを嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『完全自殺マニュアル』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『死体ブーム』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『悪趣味ブーム』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『鬼畜』だった。『危ない1号』の編集長、青山正明氏の出所記念イベント『鬼畜ナイト』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している。 雑誌『宝島30』で根本敬の連載『人生解毒波止場』を担当した町山智浩は、90年代の鬼畜系について「80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りがあった」「オシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化へのカウンターだった」という見解を示しており、根本敬と村崎百郎が「すかしきった日本の文化を下品のどん底に突き堕としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど、当時の日本文化は「健全で明るい抑圧的なオシャレ」ないし「偽善のファシズム」に支配されていたと述懐している。これに関して『SPA!』編集部も「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」と当時の鬼畜ブーム特集で指摘している。 石丸元章も鬼畜系の背景としてあるのは「バブル期に生まれた80年代のカルチャー」と指摘している。石丸いわく「バブルの恩恵を受けられず、貧しいまま80年代を過ごした若者たちの復讐のカルチャー」として、ゴミ漁りやドラッグなど公序良俗に反する「鬼畜系」が花開いたとしている。また彼らが復讐の対象としたのは、糸井重里の「おいしい生活」に代表されるような、80年代以来の軽薄きわまりない消費文化であったとしている。 ブームに耽溺していた雨宮処凛は、鬼畜系が「生き辛さを抱えている弱者やマイノリティへの救済」になっていたとして次のように自己分析した。 鬼畜系にハマる私たちは「幸せそうな」人々を勝手に敵視していて、世を呪う言葉を存分に交わすことができた。そうやって発散することで、自分という犯罪者予備軍を犯罪者にせず社会に軟着陸させているような感覚は確実にあった。当時、なぜあれほど鬼畜系カルチャーにハマっていたのかと言えば、「表」の健全できれいな社会には、自分の居場所なんてないと感じていたからだった。/あの時期、ある意味で私は鬼畜系カルチャーに命を救われていた。 村崎百郎がゴミを漁り、すかしきった人々の隠したい恥部を晒せば晒すほど、自分自身も一緒になってこの世に復讐している気がした。/(鬼畜ブームは)「実は私が思っているより多くの人が悪意に満ちたロクでもない人間なのかもしれない」と逆説的な勇気を与えてくれたのだった。/90年代、鬼畜ブームがあったからこそ、私は自殺せずに生き延びることができた。 一方でカルト的なサブカル雑誌『HEAVEN』でデビューした香山リカは、ポストモダンなサブカル文化について「すべての表象から文脈や歴史をはぎ取って相対化し、権威や規範にとらわれず、自分はどこにもコミットしないまま、“ひとつの主義主張と距離を置けなくなる人”には冷笑的な態度を取り、ひたすら心地よさやおもしろさを追い求め、それ以上、何かを問われそうになったら、『そんなの何もわからないよ』と未成熟な子どものように逃げ出すという性質を帯びたもの」と自己批判している。 またロマン優光はオウム真理教事件や阪神・淡路大震災などの影響で「たいした根はないけど変な終末『気分』になっていた人が増えていた」という状況にも触れ、「金銭や名誉、勉強やスポーツ、地道に文化を身につけるといったことから落ちこぼれたり、回避したりしながらも、他人との差異をつけたがるような自意識をこじらせた人たちが他人と違う自分を演出するためのアイテムとして、死体写真を使うようになった」と分析し、こうした潮流は自販機本に出自を持つアングラなサブカルチャーを踏まえた界隈にも流れこんでいったとしている。 前述したように『危ない1号』が創刊された1995年には阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などの重大事件が立て続けに発生しており、それらに起因する一連の社会現象が悪趣味ブームと深く関わっているとされる。特に1995年は「インターネット元年」 と呼ばれるように社会環境が大きく移り変わっていった激動の年でもあり、宮沢章夫はこれらの事象による社会の混乱や不安定な情勢が、ある種の世紀末的世界観や終末的空気感を醸し出している悪趣味ブームの土壌になったことを指摘している。また宮沢は自身が講師を務めるNHK教育テレビの教養番組『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』の最終回(2016年6月19日放送)において1995年を「サブカル」のターニングポイントと定義し、根本敬や村崎百郎をはじめとする90年代の鬼畜系サブカルを取り上げている。
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