陸上への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:06 UTC 版)
陸上植物は、おそらく5億1000万年前ごろに、緑藻類から進化した。現生で最も陸上植物に近い緑藻類は車軸藻植物門、特に車軸藻類である。車軸藻類の生態が当時からあまり変わらないものと仮定すると、陸上植物の起源は以下のようなものになる。枝分かれをした糸状の藻で、半数体(haplontic)。棲息場所は浅い淡水の下で、おそらく、季節的に乾燥する小さな池の縁であった。また、菌類との共生が、初期植物の陸上進出を助けた可能性がある。 いわゆる陸上植物は、陸上での最初の光合成生物というわけではない。岩石の風化についての研究によれば、生物は既に12億年前に陸上に生存していた。また10億年前の淡水湖の堆積層から微生物の化石も見つかっている。しかし炭素同位体の地質記録の研究によれば、8億5000万年前までは、大気の構成に変化を与えるほどの影響は無かった。これらの生物はおそらく、小さく単純で、藻類皮膜(浮き緑藻、algal scum)に毛が生えた程度のものであった。 4億7000万年前の中期オルドビス紀から、陸上植物のものと比定される最古の記録である胞子四分子が見つかっている。四分子胞子とは、同種の4つの胞子が(立体的に)つながっているもので、1つの細胞が減数分裂をする過程で発生する。四分子胞子はすべての陸上植物と一部の藻類で生じる。最古の胞子の微細構造は、現生の苔類のものとよく似ており、同じ段階の生物だったことを示唆している。これ以前に真核生物の陸上進出がなかったのは、もしかすると大気の「毒性」が障害になっていたのかもしれない。もしくは単に、陸棲化に必要な構造の複雑さを獲得するまでの進化に、時間がかかっただけなのかもしれない。 三条型胞子というのは、四分子胞子が分かれたものである。これはすぐ後のオルドビス紀後期に現れる。四分子胞子が分かれるとき、それぞれの胞子に丫字型の「三条」が現れる。胞子が隣接する胞子と一点に押し込まれていた跡である。しかしながら、この現象が起きるためには、早い段階から胞子壁が、頑丈で堅牢性のあるものでなければならない。堅牢性があることから、耐乾燥性もあったことが示唆される。そして耐乾燥性は水中以外で生存する胞子にのみ固有な特性である。実際、有胚植物の中で水中生活に戻ったものは、堅牢な胞子壁を欠いており、そして三条を持っていない。藻類胞子の詳細な研究でも、三条を持つものは存在しない。これは、これらの胞子壁が十分に堅くないことと、また割合は高くないが、押しつけられて三条痕ができる前にバラバラになったか、もしくは正四面体の四分子にならなかったかである。 最初期の陸上植物の大型化石は、葉状体の生物であった。これは流れのある湿地に棲息しており、シルル紀の氾濫原を覆っていたことがわかっている。それは土地が水浸しのときのみ生き延びることができた。 植物が陸上へ上がった後、乾燥に対してはいくつかの対処法があった。コケ植物は乾燥に対し、忌避あるいは屈服する。つまり、棲息範囲を湿潤な環境に限定するか、または乾燥しきって次の水が得られるまで新陳代謝を「延期」状態にする。維管束植物は、乾燥に抵抗する。維管束植物のすべてが、外気に接触するところに防水性の外皮層を備えており(これはコケ植物の一部も同様)、水分のロスを節約している。しかし、すべての部分を覆ってしまうと、大気中のCO2も得られなくなってしまう。そこで、維管束植物はすみやかに気孔を進化させた。これは小さな穴で、呼吸を行うためのものである。また、維管束植物は体内の水の移動を助けるために、維管束組織を発達させた(下記参照)。また、配偶体主体の生活環を廃止した(下記参照)。 陸上植物相の確立によって、大気中の酸素濃度がそれまでにない値まで高まった。植物群落が代謝物として酸素を吐きだしたためである。酸素濃度が13%を超えた時点で、山火事が起きる可能性が出てきた。このことは、シルル紀前期の炭化した植物の化石によって記録されている。デボン紀末期の空白期間は問題になっているが、それを除けば炭化した植物はずっと存在している。 炭化は重要な化石生成過程の一つである。山火事は、変化しやすい内容を取り除いて、純粋に炭素でできた殻だけを残す場合がある。この殻は、草食動物や腐食生物にとって食料にならない、また頑丈であるので圧力にも耐えやすく、保存されやすい。外観的にも細胞以下の詳細な構造まで良く観察できる場合がある。
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