閔氏政権とは? わかりやすく解説

閔氏政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 20:10 UTC 版)

明成皇后 (テレビドラマ)」の記事における「閔氏政権」の解説

第33回 第34回 第35回 第36回 苦労の末、王妃4度目妊娠嫡子となる男児を、つまり後の純宗1874年 - 1926年)を出産するかねてから外戚豊壌趙氏出身である大王大妃(高宗即位するにあたり血統上の問題解決するため養子縁組をしたことから、形式上高宗の母にあたる。憲宗実母。)は、次代の王となる「世子」を自らの意に沿う人物とするために、後宮李尚宮(永保李氏)が産んだ和君世子候補推していたが、そうした動き牽制し自らの正室である閔妃産んだ嫡子世子にしたいと考え国王高宗は、左議政でもある伯父興寅君から祝詞伝達された際に突如として正室の子世子にする旨、宣言する他方閔妃実母である府夫人に、嫡子無事に世子となった暁には新しい家与えると伝えたところ、現在住んでいる家(「感古堂」)は閔妃から与えられたものだと閔妃の兄である閔升鎬から聞いていたがそうではなかったのか、と尋ねられ、ここで閔妃兄たちが、王家との繋がりを傘に着て賄賂受け取り蓄財していたことを知り激怒するその頃賄賂ふんだんに利用して清に手を回し、完和君世子任命するようにと清か圧力を掛けさせることに成功した大王大妃一派であったが、この問題解決するため閔家の次兄である閔謙鎬は、落ちぶれている安東金氏家長である金炳冀と取り引きする。閔謙鎬外戚の力を利用して金炳冀を領議政据え工作を行う代わりに閔妃嫡子世子とするよう清か圧力を掛けてもらうために使う清への賄賂資金を、金炳冀から出させることに成功する第37回 ようやくのことで誕生した嫡子が、生後百日あまりで突然の高熱により危篤陥る最終的な典医らの見立て水疱瘡であったが、当時民間療法しか存在しなかったため、ひたすら祈ることで解決しようとする。 このころ清から、日本国力伸長警戒し軍備万全にするよう伝達され高宗閔妃は、外交問題解決するため有用な人材集めるよう指示する。その流れの中で閔妃次兄閔謙鎬から、彼の2歳上のいとこにあたる同族閔奎鎬(ミン·ギュホ)を紹介される。彼は閔一族出であり、哲宗3年文科及第して吏曹参議経て吏曹参判となっていた官吏であったが、そのような人物同族にいることを閔妃初めて知る。外戚専横を嫌う閔妃彼の登用躊躇うが、次兄閔謙鎬から閔奎鎬事実上大院君治世下で行われた、洋夷撃退思い記した斥和碑全国的な建立事業反対していた外交通であることを聞かされると、閔妃思い改めとともに、彼と開国向けた検討進めることを約束するこの頃大院君が都から楊州追放されただけでなく、大王大妃一派によりその政策尽く否定されたことに怒り収まらない大院君従僕である張淳奎(チャン·スンギュ)や千喜然(チョン·ヒヨン)らは、大院君内緒何らかの計画進めていた。 第38回 大王大妃朝会利用して大王大妃派の領議政である李裕元に和君世子冊立進言させようとしていた。高宗領議政発言遮って興寅君嫡子抱いて来させたが、興寅君は「世子病気から回復した」と重臣たちに告げる。不意打ち食らった領議政は完和君の話を切り出すこともできなかったが、後にこの興寅君発言閔妃意図よるものであったことが判明する政事について高宗話し合いをしていた閔妃は、大院君からは良い顔をされない開化派であることを高宗告げた上で礼曹判書に閔奎鎬登用するよう進言し、高宗からは外交閔妃一任する旨と閔奎鎬の礼判への任命許される。 元領議政今は引退し、領敦寧府事(ヨンドンニョンブサ)となっていた金炳学による双方への説得もあり、大院君高宗との和解のため、都へ戻ることを決定する田舎官吏の姿をした者が、貴重品であるとして贈り物閔妃実家置いていく。帰宅した長兄閔升鎬は、自身の子や母の府夫人の前で贈り物の箱を開けたが、その瞬間に箱が爆発する第39回 宮中では、閔妃が再び懐妊したことを高宗伝えていたその頃閔升鎬その子ともども暗殺によって爆死するその場にいた閔妃の母である府夫人も、次兄閔謙鎬の家へ運び込まれる治療の甲斐なく落命する。 ちょうど時を同じくして、翌日には大院君が都へ向けて隠居先の楊州出発することとなっていたため、閔妃産んだ嫡子世子とするであろう大院君帰京阻みたい大王大妃らは、閔妃実家爆発事件大院君仕業であるとして犯人探し開始する拷問かけられそうになった閔家の下僕は、爆発物入った贈り物」を持ってきたのが、慶尚右兵使を務めた大院君一派申哲均抱え下僕であると証言する閔妃嫡子世子任命阻止したい大王大妃一派は、都へ戻ってしまった大院君雲峴宮軟禁するための勅命を、高宗から引き出すことに成功する閔妃死の床にある母を見舞うが、右手右足爆発失っているためボロボロになった左手差し出した母の姿に衝撃を受け、思わず部屋飛び出したところに見舞い訪れた大院君鉢合わせする。 第40回 第41回 第42回 第43回 第44回から第50回 1875年日本の軍艦朝鮮挑発し、いわゆる江華島事件になり、1876年江華島日朝会談し朝鮮開国することになる。日朝修好条規調印する第50回)。朝鮮不利な不平等条約だが、大院君以外は問題気づかない第51回 第52回 第53回 張(チャン尚宮義和君1877年 - 1955年)を出産する第54回 1880年李尚の子である完和君死去する第55回 1880年公使花房義質高宗謁見する第56回 1881年、安驥永(アン・ギヨン)の謀反計画発覚する第57回 1881年国王高宗異母兄である李載先謀反計画自首する第58回 第59回 世子である純宗の妃として閔台鎬(ミン・テホ)の娘が選ばれ、式が執り行われる

※この「閔氏政権」の解説は、「明成皇后 (テレビドラマ)」の解説の一部です。
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