開発・採用の経緯
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「M249軽機関銃」の記事における「開発・採用の経緯」の解説
1965年の段階で、アメリカ陸軍およびアメリカ海兵隊の標準的な機関銃としてはM2重機関銃とM60機関銃の2種が運用されていた。M2重機関銃は大口径の大型重機関銃で、主に車載ないし陣地据付の機関銃として使用されていた。また、M60機関銃は重機関銃よりは軽量な中機関銃であり、兵員により携行され、前線での支援火器として使用されていた。しかし、これらの機関銃はいずれも重量があり、効率的に運用するためには最低2名の兵士が必要であった。第一次世界大戦期に採用されたM1918自動銃は兵士1名でも運用しうる機関銃だったが、1957年にフルオート射撃機能を有するM14小銃が採用されたことで段階的に廃止されていた。M14小銃は従来アメリカ軍で採用されていた4つの標準的な銃器、すなわちM1ガーランド(歩兵銃)、M1カービン(騎兵銃)、M3グリースガン(短機関銃)、M1918自動銃(軽機関銃)の役割全てを兼ねる小銃として開発されたものである。当時、各分隊では「指定小銃手」(Designated riflemen)に選ばれた兵士のみがフルオート射撃を行い、その他の兵士は弾薬を節約すると共に射撃精度を維持するべくセミオート射撃のみを行った。M14小銃やM16自動小銃は基本的に歩兵銃として設計されていたため、持続的なフルオート射撃によって運用される事を想定しておらず、こうした運用を行うとしばしば過熱や弾づまりなどの不良が発生した。また、給弾も弾帯ではなく20連発ないし30連発の箱型弾倉によって行われていたため、これらの小銃の持続射撃能力は大幅に限定されていた。 こうして、陸軍ではM60機関銃よりも軽量かつM16自動小銃よりも高火力であり、さらに単独の兵員によって運用しうる機関銃の調達を決定した。これにより、歩兵銃のフルオート射撃に依存しない分隊支援能力の獲得が期待されたのである。1960年代を通じて、分隊向け機関銃の研究については様々な試みが成された。一時はフレシェット弾を使用する汎用機関銃といった奇妙な設計も行われたが、最終的に軽機関銃に関する研究はストーナー63に集約された。ストーナー63は、海兵隊およびNavy SEALsによって限定的に使用された。 1968年、陸軍の新規小火器計画の一環として5.56mm口径の軽機関銃の開発が提案されるが、当時の軍部では5.56mm弾の威力不足を危惧する意見が一般的だったため、ほとんど資金が割り当てられなかった。こうして新型軽機関銃の研究は、まず5.56mm弾の弾道特性の改良から着手することとなる。1969年まではその他の口径の軽機関銃に関する研究は検討されなかった。1970年7月、陸軍は口径を指定せずに新規軽機関銃の開発計画を承認した。この時点では新規軽機関銃について、単に「分隊支援火器」(Squad Automatic Weapon, SAW)という名称が使用されていた。なお、威力不足とされた5.56mm弾に代わる軽機関銃用銃弾に関する研究は1971年7月まで着手されなかった。同年8月、フランクフォード兵器廠(英語版)では軽機関銃用の新型銃弾として2種類の銃弾を発表した。すなわち6mm SAW弾(英語版)と薬莢を延長した5.56mm弾である。1972年3月には陸軍が新型分隊支援火器の仕様書を発表し、これらの銃弾の名前が共に記載された。同年5月、6mm弾の設計が承認される。そして、同年7月までには開発契約がマレモント(Maremont)、フィルコ・フォード(英語版)、ロックアイランド兵器廠(英語版)内のロッドマン研究室と結ばれた。これらの企業による試作モデルは、陸軍によってそれぞれXM233、XM234、XM235という仮名称が与えられていた。陸軍による要求によれば、これらの機関銃は銃弾200発を装填した状態で重量が9.07kg(20lb)以下であること、また、最低でも800m(2,600ft)の射程を有することが必須とされていた。 その後、新型SAWの採用に向けた運用試験が始まった。この際、開発中だった6mm機関銃に加えて3つの5.56mm機関銃が候補となった。すなわち、コルト社製のM16 HBAR(英語版)(M16小銃の重銃身型)、FN社製のミニミ軽機関銃、H&K社のHK23A1である。最初のテストは1974年12月までに完了した。1976年2月、ミニミ軽機関銃とロッドマンXM235が有力な候補として選ばれ、これらに関する研究開発の継続が決定する。この時期には歩兵銃と異なる銃弾を使用することで補給上の問題が生じるとして、6mm弾に対する批判が高まっていた。同年6月、新型SAWの仕様書が修正され、5.56mm弾を使用することが必須とされた。同年10月、仕様書の変更が承認され、これと共にロッドマンXM235の口径変更に関連する入札が行われた。この入札では最終的にフォード・エアロスペース(英語版)が勝利し、同社によって設計変更が加えられたXM235はXM248と改称された。1978年、M16 HBARの改良型が発表されたほか、H&K社でもHK21A1の5.56mmモデルを新型SAWの候補として提出した。この時点でコルト社製がXM106、H&K社製がXM262、FN社製がXM249という仮名称で識別されていた。1979年、陸軍によりこれら4種の候補による比較試験が行われた。 1980年5月、XM249の採用が決定する。同年9月、FN社はXM249のさらなる改良に向けた契約を交わし、1981年6月から新型銃のテストが開始された。1982年2月1日、アメリカ軍による採用が公式に宣言される。 1984年、M249分隊支援火器(M249 Squad Automatic Weapon)として陸軍に対する配備が始まり、翌年には海兵隊での配備も始まった。オリジナルのミニミ軽機関銃とアメリカ製のモデルを比較すると、銃床の形状に差異が見られる。M249はサウスカロライナ州コロンビアのFN社工場にて製造されている。 こうして配備が始まったM249は、射撃精度と信頼性の高さを評価されたが、一方で高温になる銃身が露出していることや鋭利な箇所が多いことが使用者の負傷に繋がりうると指摘された。また、フロントサイトの調整に特殊な工具が必須とされる点も問題として指摘されていた。1985年8月23日、当時の陸軍次官(英語版)ジェームズ・R・アンブローズ(英語版)は、これらの問題の解決を試みるためにM249の製造を一時中止させると共に製品改良計画(product improvement program, PIP)に着手した。これを受けて連邦議会では1986年度の国防予算からM249に関するものを削除し、その他の様々な政策に流用した。アンブローズによる決定が成された時点で1,100丁以上のM249が運用され、また、7,000丁程度が倉庫に保管されていた。このうち運用されているものについては後ほど改良キット(PIP キット)の後付を行うこととされ、倉庫に保管されているものについては直接改修を行うこととされた。その後、改良キットの完成と共にM249の製造は再開された。1994年、M249の制式名称がM249軽機関銃(M249 light machine gun)に変更された。
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