開発・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:16 UTC 版)
「FMA IA 58 プカラ」の記事における「開発・戦歴」の解説
1960年代から1970年代にアルゼンチン軍用機製造工廠(FMA; Fabrica Militar de Aviones=Military Aircraft Factory)が開発・設計を行い、1969年8月20日に試作機AX-02が初飛行し、アルゼンチン空軍は60機を発注した。量産機はIA 58Aと命名され、量産初号機は1974年11月8日に初飛行した。 1976年にはアルゼンチン空軍第3航空旅団(スペイン語版)隷下の第3攻撃航空群(スペイン語版)へ配備され、同年末にはアルゼンチン北西部サン・ミゲル・デ・トゥクマンの反政府ゲリラ人民革命軍の鎮圧に投入され、最初の実戦を経験した。この作戦でCOIN機として申し分ない性能を発揮したことから、アルゼンチン空軍はさらに48機を追加発注している。ただ、この追加発注機は22機が後に輸出分へ回されている。 1982年のフォークランド紛争の際には、STOL性能を活かして第3攻撃航空群所属の25機がフォークランド諸島のポート・スタンリー、グースグリーン、ペブル島の前線飛行場に展開し、アルゼンチン軍地上部隊の近接航空支援や、イギリス艦隊への対艦攻撃を任務としたが、スティンガーミサイルで自衛する英地上部隊に対しては有効な戦果を挙げられなかった。また前線飛行場がイギリス軍のハリアー/シーハリアー戦闘機やアブロ バルカン戦略爆撃機による空爆、イギリス海軍による艦砲射撃、さらにはSASやSBSによる奇襲攻撃と破壊工作によって22機が撃墜または破壊され、飛行可能だった3機はイギリス軍が鹵獲して評価試験を行った後に博物館送りとなった。IA 58Aのフォークランド紛争における唯一の戦果は、イギリス陸軍のウェストランド スカウト1機撃墜である。 IA-58Aはウルグアイ、コロンビア、スリランカで採用されたが、スリランカにおいては少数派タミル人のテロリスト組織LTTE(2009年5月に殲滅)の保有する9K32などの携帯地対空ミサイルに対応できないことが判明していたため、少数の採用に留まった。イラクやモーリタニアからも発注があったが、資金不足や輸入規制などから実現しなかった。 ウルグアイ空軍の第2航空旅団第1飛行隊では国内事情により低空での監視任務が多い。老朽化と予算不足により共食い整備や他国が廃止した機体の部品を購入するなどしていたが、チュルボメカはアスタゾウ XVIが使われているのがIA-58のみで採算が取れず部品製造を中止したため、2016年時点で常時運用できるのは1機となった。このため第1飛行隊も規模が縮小されている。後継機としてピラタス PC-9をベースとした機体などが検討されているが、いずれもIA-58に比べ能力が劣るという。2017年には退役し、任務はA-37Bに引き継がれている。 2017年現在、IA-58Aが稼動しているのは、アルゼンチン空軍のみである。第3航空旅団第3攻撃航空群第1および第2攻撃飛行隊で使用されているが、老朽化により廃止が予定されている。後継機として練習機と兼用するAT-63 パンパへの移行が進んでいる。 アルゼンチン軍用機製造工廠の事業を引き継いだFAdeAでは、エンジンをPWC PT-6A-62に換装したIA-58Hを提案した。2016年にはAT-63と同クラスのアビオニクスを備えたIA-58H プカラ IIとして開発を継続している
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