開業に向けた急ピッチの工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:44 UTC 版)
「赤羽台トンネル」の記事における「開業に向けた急ピッチの工事」の解説
1982年(昭和57年)5月25日、赤羽台トンネルの起点方の一部を着工した。しかし反対運動や支障建物の移転の関係などもあり、場所によって着工日時はさまざまであった。星美学園内のトンネル工事起工式は1984年(昭和59年)6月18日であった。 星美学園内は前述の通り1984年(昭和59年)夏以降の着手となったが、それまでにできるだけの地中壁を構築しておくことを考え、PIP工法の柱列杭を採用することにし、杭径550ミリ、杭長16 - 18メートルを使用した。学園の正門付近では、覆工板を地面に敷設して地上の機能を生かしたまま、覆工板の下に地中壁を構築する工事を行った。中間杭を打ち込み覆工板を敷設して道路面下を約6.5メートルまで一次掘削した。その上で、覆工板の下で掘削を行い杭を打ち込んで地中壁を構築した。 開業までの工程を考えると、星美学園内の掘削作業に使える工期は2か月程度しかないと見積もられた。この間に搬出が必要な土砂の総量は約8万立方メートルに上るものと見込まれ、1日当たり約1,500立方メートル、ダンプトラックにして200台あまりとされた。これは先の大型車両通行制限に抵触してしまうことになる。そこで1984年(昭和59年)3月から、在来線側から星美学園のグラウンドの下をトンネルルートに向かって作業導坑を約400メートルに渡って掘削した。この作業導坑にベルトコンベアを設置し、作業導坑を出た後は在来線の線路の敷地を利用して北へベルトコンベアを伸ばし、新河岸川の河川敷にダンプトラックに積み替えるためのホッパーを設置した。ベルトコンベアは全長約950メートル、ベルト幅約900ミリ、速度120メートル/分、最大で1日約2,000立方メートルの土砂を搬送した。トンネルルート上の作業導坑に沿って約30メートルごとに立坑が設置され、掘削作業によって出た土砂をこの立坑から落とし込むことで土砂の搬出を行った。作業導坑は後で星美学園側が再利用できるように新オーストリアトンネル工法 (NATM) で掘削され、11月までに土砂の搬出を完了した。 星美学園中高特別教室棟は前述の通り、アンダーピニングにより既存の建物の下にトンネルを構築することになった。そのためにトンネルを跨ぐコンクリートスラブ方式の架台に校舎の荷重を受け替えてからその下を掘削することになった。まず地面を覆う覆工板を敷設する必要があったが、許された工期は1983年(昭和58年)7月21日から8月31日の約40日間のみであった。その上、埋蔵文化財の調査後に工事にかからなければならないという制約があったが、遺跡が少なく天候にも恵まれたため、無事工期内に覆工作業を完了した。この覆工の下で以降のアンダーピニング作業を進めることになったが、資材の搬入や掘削土の搬出のために覆工の一部を開けておくことは許されなかった。そこで、起点側の先に工事が行われていた部分からトンネル本坑断面内に約100メートルに渡って幅2.7メートル×高さ2.0メートルの作業用導坑を掘削した。アンダーピニング作業時に出る土砂は、作業用導坑内からベルトコンベアで起点側に搬出した。校舎を支える架台の基礎は場所打ち杭で径2.0メートル、長さ25.5メートルのものをTBH工法で施工した。作業場所の高さが制約されているため、鉄筋かごを3.0 - 4.0メートルごとに継ぎ手を設けてつなぎながら立て込んでいった。これにより架台を構築した後、油圧ジャッキを利用して校舎基礎の杭24基を受け替えた。受け替え完了後にトンネルの底面までの掘削を行った。受け替えた校舎のトンネルルート上の部分の重量は約6,000トンであった。 一方、トンネル工事終了後にトンネル直上部に短大校舎が建築されることになっており、この区間についてはトンネルのボックス構造を構築後にコンクリートスラブで建物基礎となる架台をトンネルを跨ぐように施工した。ここでは、架台の基礎となる連続地中壁が掘削時の土留壁を兼ねる構造とし、またトンネル上床版は架台を構築する際の型枠支保工基盤となる構造で建設された。 出口側の工事は、1984年(昭和59年)3月から着工され、BW工法で厚さ500ミリ、長さ17 - 20メートルの連続地中壁を構築する方法で建設が進められた。通常、開削工法で掘削する土砂はトンネル上部で積み込んで搬出するが、赤羽台トンネルでは付近の道路が狭く大型車両通行禁止であり、この方法は利用できなかった。そこで出口側でも同様にトンネル本坑断面内に導坑を掘削してここにベルトコンベアを設置し、この上に立坑を5か所に設置して、ブルドーザーやバックホーで立坑に土砂を落とし込む形で掘削を行った。土砂は出口側に設けた工事用車路からダンプカーで搬出した。 ボックスカルバートを構築する際には通常、下床版、側壁を構築後支保工を立てて型枠、鉄筋、上床版コンクリート打設という手順で造られる。しかしこの方法では、上床版の支保工を撤去するまでトンネル内での次の作業に着手することができないため、工期短縮の工夫が必要となった。そこで工期の厳しい約260メートルに渡って急速施工法を採用し、H形鋼を天井部分に1メートル間隔で並べて、その間に埋め殺しの鋼板を並べ、その上で鉄筋を組み立てて上床版の施工を行った。これによりフローティングスラブ設置作業と上床版構築作業を同時に進めることが可能となった。
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