開業と運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 23:41 UTC 版)
当駅が建設されるきっかけとなったのは川越町駅(現・川越市駅)まで路線建設を進めていた東上鉄道が、入間川の砂利運搬線を求めたことによる。その結果として入間川に近い田面沢村方面に白羽の矢が立ち、1914年4月18日に砂利運搬の他に田面沢村の農作物輸送や地元民の交通を確保するという目的で軽便鉄道法に基づき川越町-田面沢間1マイル36チェーン(約2.3km)の免許を取得した。 本免許は東上本線の母体となった大塚辻町(現・東京都文京区大塚)-渋川間の私設鉄道法に基づく免許とは全く別個のものであり、路線自体も本線の終点にぶら下がった支線という別路線扱いである。また、「坂戸町駅(現・坂戸駅)まで路線が延長されると同時に川越町-田面沢間が路線ごと廃止されたこと」と「その直前に本駅への転換点にある分岐器が撤去されていること」から、本線ではないと考えられる。 東武鉄道の社史である『東武鉄道百年史』においても坂戸町開業の際に「方向を南西に変えた」と記載があり本線ではないことを示唆する一方で「一応川越に達したため仮の終点とした」と記載もある。したがって、東上鉄道開業時の暫定終着駅=本線の駅としての解釈もある。 なお軽便鉄道として開業する前に、東上鉄道建設用の入間川で採取した砂利の輸送工事用路線として先行開業している可能性が2017年頃より指摘されている。 同年4月24日に工事施行許可申請を済ませ翌日着工。5月1日の東上鉄道開通と同時に開業。 しかし池袋から直通列車はなく川越町-当駅間を切り離した1駅のみの往復運転であり、かなりローカル色の強い運行形態が取られた。実際に鉄道院(現・国土交通省)への提出書類に「貨物輸送かたがた旅客輸送を行っており」という記載があるなど貨物輸送優主体で旅客輸送は二次的なものであった。
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