開業と延伸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 08:51 UTC 版)
「名古屋市電清水口延長線」の記事における「開業と延伸」の解説
市電清水口延長線が実際に開通したのは太平洋戦争後のことで、名古屋市電にとって戦後の路線延伸第一号であった。1949年(昭和24年)7月15日に、まず清水口停留場から黒川停留場までの1.560キロメートルが開通した。開通当初、同年12月改正時点では、黒川から高岳線東新町経由で東郊線高辻へと至る運転系統が設定されていた。また並行する市営バスも引き続き設定されており、1952年(昭和27年)3月時点では栄町から市役所・清水口・黒川・城北学校前を経て中切町へ至るバス路線が存在していた。 市電開通後、黒川より北に位置する地域では、1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)にかけて日本住宅公団の志賀団地が、1960年(昭和35年)にはその北側に鳩岡団地が建設されて大規模団地が出現した。住宅建設に加えて沿線に工場も進出して交通機関の拡充が望まれたことから、市では清水口延長線を黒川以北、北区光音寺町地内まで1.64キロメートル延伸する計画を新たに立て、1957年12月4日付で軌道敷設特許を取得した。この区間はまず1958年(昭和33年)4月10日、黒川本通四丁目停留場までの0.5キロメートルが開業。次いで1960年2月1日にはさらに城北学校前停留場までの0.7キロメートルが開業した。しかし延伸は城北学校前までで終了し、さらに北の光音寺町地内まで0.43キロメートルの延伸は実現しなかった。
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