開業とその後の経緯とは? わかりやすく解説

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開業とその後の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 02:11 UTC 版)

宮城電気鉄道」の記事における「開業とその後の経緯」の解説

宮城電気鉄道1925年大正14年6月4日仙台駅から西塩釜駅の間で開業した。この二つの駅のほかには東七番丁駅榴ケ岡駅陸前原ノ町駅福田町駅陸前高砂駅多賀城駅があった。仙台駅西塩釜駅の間の運賃について3等25銭で2等はその倍だった。回数券定期券存在し手荷物小荷物貨物の取り扱いがあった。仙台発の始発列車が5時35分発、最終列車23時24分発、西塩釜発の始発列車が5時20分発、最終列車23時12分発で、1日29往復というダイヤだった。車両については、電気機関車1両、旅客用電車5両、貨車10をもって開業迎えた西塩釜駅立地悪さがあったにもかかわらず多く旅客利用し開業初年度旅客数当初の予測に対して2倍近いものだったこの後宮城電気鉄道1926年大正15年4月14日本塩釜駅まで延びて、それにともなって旅客順調に増えた宮城電気鉄道1927年昭和2年4月18日松島公園駅現在の松島海岸駅)へと延伸した。この松島延伸あわせて宮城電気鉄道劇場食堂浴場人形の家からなる松島遊園建設計画していた。この施設松島公園内の県有1800坪を借りて建設され松島公園駅開業から約3箇月後の8月1日開園した宮城電気鉄道雑誌行楽広告載せて松島への観光客誘致図っていたが、松島遊園事業赤字でも黒字でもなくとんとんだったという。また、実業家高橋良作による松島水族館松島公園駅開業とほぼ同時期の4月開園している。 1928年昭和3年4月10日宮城電気鉄道陸前小野駅まで延び同年11月22日には石巻駅までの全線開通果たした仙台駅石巻駅の間の3等運賃1円50銭であり、1930年昭和5年時点ダイヤ仙台駅石巻駅の間を走る列車は6往復あって、その所要時間1時間40分だった。こうして全線開通した宮城電気鉄道だったが、全線乗り通す旅客想定より少なく旅客大部分仙台塩竈の間に集中した山本言葉によれば鳴瀬川を境に旅客移動分かれていると評される状態だったという。また、石巻には小牛田駅石巻駅を結ぶ仙北軽便鉄道大正時代初めに開通しており、これが国有化され石巻線となっていた。石巻における貨物輸送については石巻線主流のままだった。その後昭和恐慌影響1930年昭和5年)に宮城電気鉄道旅客数大きく減少しその後低調な状態が続いた1935年昭和10年)から業績が再び伸びるようになり、戦時体制下になるにつれ活況を呈するようになった1933年昭和8年)、松島観光のための展望車宮城電気鉄道導入された。列車にガイドガールが添乗し旅客紅茶をふるまうサービスが行われていたという。1939年昭和14年時点ダイヤでは、仙台から塩竈まで15分間隔1日60往復松島まで30分間隔で38往復石巻まで1時間間隔18往復列車運転されるようになっていた。また、東七番丁駅から陸前原ノ町駅までの区間1942年昭和17年)に複線となった1943年複線化とも)。山本東七番丁駅から西塩釜駅までの区間複線化した上で、7分間隔の列車運行考えていたという。

※この「開業とその後の経緯」の解説は、「宮城電気鉄道」の解説の一部です。
「開業とその後の経緯」を含む「宮城電気鉄道」の記事については、「宮城電気鉄道」の概要を参照ください。

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