開業とその効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 03:20 UTC 版)
鉄道開通によって岩井温泉は最盛期を迎えることになった。この頃、まだ鳥取県内にはほかに便のよい温泉地が乏しく、京阪神をはじめ各地から客が集まるようになった。鳥取県内の全宿泊客の半分を岩井温泉が占めるようになり、県の遊興飲食税の6割は岩井温泉からのあがりだった。島崎藤村が岩井温泉を訪れたのもこの頃である。荒金鉱山の労働者たちも盛んに温泉に遊びにやってきて、旅館は10数軒ならび、料亭ができ、30人あまりの芸者がいて、人力車や馬車が20台ほども集まった。 当時の内務省の統計に拠れば、1926年(大正15年)には18,223円余の旅客収入があり、これに加えて郵便・荷物・鉱石の輸送収入が5,727円あった。 鉱山では坑内からトロッコとインクラインによって鉱石を岩井温泉まで運び、そこから鉄道で岩美駅まで輸送するようになった。採掘量は最盛期を迎え、従業員600人から700人、月の産出量は200トンから250トンにも及んだ。 安保は、ここでも「申請」と「実情」に乖離があったことを指摘している。書類上はあくまでもこの路線は岩美駅から岩井温泉までであり、久原鉱業の貨物線の運ぶ鉱石は岩井温泉駅でいちど積み替えるということになっていた。しかし実際には岩美駅と久原鉱業の貨物線の終点(相山)まで貨物列車が直通運転をしていた。安保によれば、「町営」といいながらも、寄付金だけでなく、運行の実務や事務処理に至るまで実際には久原鉱業側の人員が担っており、久原鉱業の「専用軌道に近いもの」だったとしている。
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