開業から終戦まで
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11月3日に、まず本社所在地でもあった桃山御陵前駅から西大寺駅の間で営業が開始された。全線の営業開始は、儀式がすべて完了した直後の11月15日となった。当初より大軌の保有する奈良線・畝傍線(現:橿原線)と直通運転を行い、国鉄奈良線で京都 - 奈良間の所要時間が1時間10分であった所を、急行が45分、普通が58分で結んだ。しかし営業成績は当初芳しいものでなく、大軌と提携して京都駅-上本町駅(上六)間の割引乗車券を販売するなど、集客に苦心した。
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開業から終戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:13 UTC 版)
「小田急電鉄のダイヤ改正」の記事における「開業から終戦まで」の解説
1927年4月1日、新宿駅と小田原駅の間が一部単線で小田原線として開業し、37駅が開設された。列車種別は各駅停車と直通の2種類が設定された。各駅停車は近郊区間にあたる新宿駅から稲田登戸駅までの間のみの運行であったのに対し、直通は新宿駅と稲田登戸駅の間では経堂駅にのみ停車をし、稲田登戸駅以西は各駅に停車した。開業当時は直通が45分間隔、各駅停車は経堂駅までが5分間隔で、稲田登戸駅までは10分間隔となっていた が、実際にはそれだけの需要はなく、同年6月には直通が60分間隔、稲田登戸駅までは8分から15分間隔に減便されている。 1927年10月15日、新宿駅と小田原駅の間の全線複線化が完成したことから、新たに急行が設定された。当初は急行・直通とも60分間隔で、両者あわせて30分間隔であった が、これもそこまでの需要がなく、翌年3月には急行は1日3往復に減便されている。 1929年4月1日、大野信号所(現在の相模大野駅)と片瀬江ノ島駅の間に江ノ島線が開業した。江ノ島線は直通が60分間隔での運行で、このほかに不定期急行が1日3往復設定された。 1935年6月1日、「週末温泉列車」と称する新宿駅と小田原駅を無停車で運行する列車の運行が開始され、箱根方面への観光客輸送にも力を入れるようになるが、戦争の影響により1942年1月、運行を取りやめている。 戦争の影響により、1944年11月の改正では急行も廃止され、各駅停車と直通のみの運行となり、1945年6月には、直通も廃止され、全線各駅停車のみの運行となり、終戦を迎えた。 なお、戦時中の1941年11月25日 - 1943年4月1日には神中鉄道(現在の相模鉄道)の海老名駅から本厚木駅までの直通運転が行われた。
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