駅開業から終戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:53 UTC 版)
1914年(大正3年)5月1日に東上鉄道(現・東武東上本線)池袋駅 - 田面沢駅の開業から大幅に遅れて、1934年(昭和9年)2月1日に埼玉県新座郡新倉村ににいくら駅として開業したのが始まりである。開業直後の同年7月12日に新倉駅へ変更した。 開業当時の当駅近隣の集落は白子宿など川越街道沿いに存在しており、駅は畑の中に開設された。そのため、開業当初の一日平均の乗客は約94人で、1938年(昭和13年)には約160人であった。 大日本帝国陸軍が白子村と新倉村の全面積の約20%に相当する土地について1937年(昭和12年)から買収を進め、1941年(昭和16年)11月2日に陸軍予科士官学校が移転し、1940年(昭和15年)に大倉財閥系で機関銃を製造していた「中央工業新倉工場」や「芝浦工作機械」「日興航空工業」など多くの軍需工場も進出し、駅の南側を中心として人口も増加した。1945年(昭和20年)には、一日平均の乗客は開業時の20倍以上に増加した。
※この「駅開業から終戦まで」の解説は、「和光市駅」の解説の一部です。
「駅開業から終戦まで」を含む「和光市駅」の記事については、「和光市駅」の概要を参照ください。
- 駅開業から終戦までのページへのリンク