駅長就任の経緯
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2003年、貴志川線を運営していた南海電鉄が赤字解消が困難なことを理由に路線廃止を表明したが、岡山県を中心に公共交通事業を行っている両備グループが経営を引き継ぐこととなり、同グループの岡山電気軌道の子会社として「和歌山電鐵」が設立された。 この経営移管に際して、路線や駅の敷地は南海の社有地から貴志川町(現在の紀の川市)の公有地となり、倉庫は取り壊して駐輪場に、倉庫と駅舎の間はホームへの公道として整備されることになったため、そこに置かれていたたま達の猫小屋は立ち退きを迫られることとなった。困った飼い主が2006年4月1日に和歌山電鐵の開業記念式典を終えた後の小嶋光信社長(両備グループ代表と兼務)に「猫たちを駅の中に住まわせてもらえないか」と相談した。小嶋自身は自宅では長い間紀州犬を飼っていたこともあって猫よりもむしろ犬好きであったが、このとき「たまちゃんと目があった瞬間、ピカッとたまちゃんの駅長姿が頭にひらめきました」「実に立派で、キラキラしていました。今の日本人にもない目だと」「神様から使わされた鉄道の救世主」と、たまにほれ込んだ小嶋の発案によって、「招き猫」になって欲しいとの願いを込めて、それ以前から駅の利用者に親しまれていたたま達を駅長などに任命することになった。これは和歌山電鐵移管後に合理化のために貴志駅を無人駅化したことも背景にある。猫に駅長を嘱託した例は日本の民営鉄道では初である。 さらに2014年1月5日には、たまは「ウルトラ駅長」に昇進、全ての駅長を統括する職となった。
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駅長就任の経緯
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2002年春ごろ、吉ヶ原駅周辺で産まれた野良猫5匹のうちの1匹。これをもらい受けた片上鉄道保存会の会員が旧片上鉄道車両の展示運転中、吉ヶ原駅で手作りの帽子をかぶせて「駅長が仕事の猫」としたもの。名前の由来は柵原鉱山から産出される硫化鉄鉱石運搬用主力貨車「トラ」と毛並みがサバトラであったことから。 飼い主が2005年4月12日にコトラのブログを開設するにあたり、当時「猫の駅長」「駅猫」という言葉は検索で見つかったためそこにはない名前をと『駅長猫コトラの独り言』と名付けたのが「駅長猫」と呼ばれるようになった始まりである。
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