駅鈴と高坂王の去就
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 19:23 UTC 版)
配下の男子20数人しか持たない段階の大海人皇子が、挙兵発覚の危険を冒して駅鈴を求めさせたのは、高坂王の無為とともに多くの学者の不審を買う点である。2日遅れで急使を立てても、男依らはもう到着している頃合いであり、とうてい追いつくことはできない。歴史学界では、1950年代の壬申の乱計画・非計画論争を経て、大海人皇子が駅鈴を求めたのは高坂王の反応をうかがい、あわよくば自らの移動に役立てるためであったとする説が定着した。 さらに進んで1990年代には、高坂王は事前に大海人皇子と謀議を結んでおり、駅鈴を求めるというのは連絡の口実か、書紀編者の創作にすぎないとする説も現れた。この説では、後の大伴吹負の急襲においても、熊毛だけでなく高坂王まで内応していたとする。
※この「駅鈴と高坂王の去就」の解説は、「高坂王」の解説の一部です。
「駅鈴と高坂王の去就」を含む「高坂王」の記事については、「高坂王」の概要を参照ください。
- 駅鈴と高坂王の去就のページへのリンク