駅逓の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:12 UTC 版)
このころになってもなお、大和地区は交通が不便な場所であり営林署・役場職員・行商人も日帰りが不可能であった。このため1931年(昭和6年)にはワッカウエンベツ駅逓所が設けられて1941年(昭和16年)ごろまで運営され、廃止後は払い下げられた個人が旅館として営業した。駅逓所の設置と同年には志文内(→共和)に志文内郵便取扱所(→天塩共和郵便局)が設置され、当地への郵便配達を担当するようになった。 1937年(昭和12年)12月1日には教授場が幸(さいわい)尋常小学校となり、1940年(昭和15年)4月1日には国民学校となり、1943年(昭和18年)には高等科を併置した。1941年(昭和16年)1月21日には字名改正が行われ、ワッカウエンベツは「大和」となった。 戦後は1947年(昭和22年)に幸国民学校を幸小学校、共和中学校幸分校とし、1952年(昭和27年)には共和中学校幸分校を幸中学校としている。
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