駅路・駅・駅馬・伝馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 01:53 UTC 版)
詳細は「駅路」、「駅家」、および「駅馬」を参照 駅路は、重要な情報をいち早く中央 - 地方の間で伝達することを主目的としていたため、路線は直線的な形状を示し、旧来の集落・拠点とは無関係に路線が通り、道路幅も6メートルを超えていた。(中央に近くなるとさらに広い道幅となり数十メートルとなった。) 駅には駅舎があり、駅長が一定の戸数から成る駅戸(えきこ)から選ばれ、人馬の継ぎ立て、宿泊・給食を処理した。駅長の下に、駅戸から徴発された駅子があり、駅馬をひいた。また駅の維持のために駅田(えきでん)が大路四町、中路三町、小路二町(『養老田令』)給され、駅戸が耕作に当たり、収穫される駅稲が駅便食料や駅馬買替料などにあてられた。駅子は大体120 - 130人だったと考えられる。特に旧山陽道沿いの各郡には、駅家郷があり、駅家を維持するために郷を充てていたのがうかがえる。 なお伝馬は、中央から地方への使者を送迎することを目的に使うため、郡ごとに伝馬が5疋置かれる規定となっていた。このための伝路は各地域の拠点である郡家を結び、地方間の情報伝達も担っていたと考えられているが史料に伝路は見当たらず不詳である。おそらくは官道である駅路に倣い、伝馬とともに地方の国司に管理を任せていたと考えられる。道路幅は駅路よりやや狭い6メートル前後であったようである。
※この「駅路・駅・駅馬・伝馬」の解説は、「駅伝制」の解説の一部です。
「駅路・駅・駅馬・伝馬」を含む「駅伝制」の記事については、「駅伝制」の概要を参照ください。
- 駅路・駅・駅馬・伝馬のページへのリンク