駅跡地の再開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:00 UTC 版)
廃止後も駅本屋ではJR紋別トラベルセンターが引き続き窓口営業を行ったほか、夏季の観光シーズンには駅周辺の中心市街地商業者でつくる紋別朝市運営協議会が駅駐車場やホームを会場にした観光朝市「ガリンコ朝市」を開催した。また1990年に紋別市は、中心市街地活性化をにらんだ大型ショッピングセンターやバスターミナル建設構想を盛り込んだ再開発計画を策定。翌1991年には通商産業省の商業集積整備プロジェクト道内第1号に指定され、事業主体の第三セクター「紋別ニューシティ開発公社」が発足した。 紋別市は駅跡地から南方の鉄道跡地を市道「メモリアル通り線」として再整備し、1995年には機関車の動輪を模した記念碑を建立。同年7月には、バスターミナルなどが入る紋別市交流センターがオープンした。しかし駅跡地の大半を占めるショッピングセンター計画については、バブル崩壊後の景気低迷と見通しの甘さから方針が二転三転するなど迷走した揚げ句、市は1998年に建設断念を正式に決定した。 のちショッピングセンターの代替施設として2003年、観光商業施設と温浴施設を併設したオホーツク氷紋の駅が開業。施設正面には鴻紋軌道の記念碑が設置され、同軌道をモチーフにヒット曲「銀色の道」を作曲した作曲家、宮川泰を招いて除幕式が行われた。
※この「駅跡地の再開発」の解説は、「紋別駅」の解説の一部です。
「駅跡地の再開発」を含む「紋別駅」の記事については、「紋別駅」の概要を参照ください。
駅跡地の再開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 08:14 UTC 版)
名寄本線が廃止となった後、当駅の旧駅本屋はバスの待合所として活用された。この他、旧駅構内は渚滑パークゴルフ協会が管理するパークゴルフコースとなり、1991年12月からは市民有志によって冬季間、旧機関庫を「旧渚滑駅機関庫跡室内パークゴルフ場」として利用するようになった。機関庫内の室内パークゴルフ場は現在も地元住民の同好会が管理し、毎年12月から翌年4月まで開放されている。 当駅の跡地は渚滑地区の中心部にあることから跡地利用が課題となっていたが、紋別市は1997年度から再開発に着手した。駅本屋は同年解体され、1999年までに市食品加工センター(うまいっしょ工房)、渚滑高齢者ふれあいセンター、バス待合所が入る紋別市渚滑総合交流促進施設とオホーツク農業共済組合紋別家畜診療所が建設されたほか、パークゴルフコースが「渚滑ふれあいパークゴルフ場」として再整備された。 紋別市は2004年度、渚滑ふれあいパークゴルフ場などの周辺再整備を行い、この際、市が紋別市運動公園(紋別市南が丘町7丁目)で静態保存していた9600形蒸気機関車(69644)が移設された。同機は国鉄から1975年に無償貸与されたもので、老朽化が進んだため、所管する紋別市教育委員会は機関車を解体して車体の一部のみを保存することにしていたが、全国のSLファンから完全保存を求める声があがり、市教委が方針を転換して補修の上、渚滑駅跡地に移して保存した。 渚滑線跡は、現在も一部が築堤として残存している。1985年の同線廃止後、レールなどの設備はいったんすべて撤去されたが、駅から数百メートル西方の渚滑小学校地内の校門と運動場の間を横切っていたことから、地元の渚滑小・中学校PTAが「全国で唯一鉄道が走っていた学校」を後世に伝えようと国鉄からレールや踏切遮断機、信号機、駅名標などを譲り受け、校地内の渚滑線跡地に1989年、線路(約30メートル)を復元して保存している。
※この「駅跡地の再開発」の解説は、「渚滑駅」の解説の一部です。
「駅跡地の再開発」を含む「渚滑駅」の記事については、「渚滑駅」の概要を参照ください。
- 駅跡地の再開発のページへのリンク