小嶋光信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/01 06:06 UTC 版)
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こじま みつのぶ
小嶋 光信
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| 生誕 | 1945年4月4日(80歳) |
| 職業 | 実業家 |
小嶋 光信(こじま みつのぶ、1945年〈昭和20年〉4月4日 - )は、日本の実業家。両備グループ代表として地方における路線バスや鉄道の再建を積極的に手がけ、地方公共交通の「救世主[1][2] 」や「再生請負人」とも呼ばれている。
来歴
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2011年4月)
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東京都の麻布で実業家の家に生まれ、子供の頃から実業家を志していた。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。大学在学中はキャンパス内での貸しロッカーや家庭教師の派遣事業などを手がけていた。また所属していたグライダー部でトレーラーを牽引するための大型免許を取得した。
1968年(昭和43年)に三井銀行入行。入行1年半で与信担当となり、様々な会社の経営現場に立ち会う。
1973年(昭和48年)、義父から両備運輸の再建を依頼され入社、常務に就任。1975年(昭和50年)には岡山タクシー社長に就任するなど両備グループの経営を手がけ、1999年(平成11年)には両備バス社長に就任、同グループの代表となる。2004年(平成16年)には岡山大学理事に就任。
2006年(平成18年)、南海電気鉄道が運営を断念した貴志川線の経営を引き継ぐため和歌山電鐵を設立して社長に就任。各社員が一人三役をこなす徹底した合理化に加え、両備グループデザイン顧問の水戸岡鋭治がデザインしたユニークな改装電車(和歌山電鐵2270系電車参照)や、貴志駅の猫の駅長たまなどのアイデアで再建を進めている。和歌山電鐵の出発式当日には、伊太祈曽駅で小嶋の姿を見つけた老婦人達から手を合わせて感謝されたという逸話も残っている[3]。同年12月には経営が行き詰まった広島県福山市の中国バスを再建するために受け皿会社を設立し社長に就任するなど、公共交通の再建に積極的に乗り出している。2007年(平成19年)、両備ホールディングス(両備HD)社長に就任。2011年、両備HDと岡山県内のグループ会社の社長の座を松田久へ譲り、両備HD会長兼代表経営責任者となる(岡山県外のグループ会社の社長は引き続き小嶋が兼務)。
人物
たまを見て一目で駅長就任というアイデアを打ち出した小嶋ではあるが、小嶋自身は自宅に紀州犬を飼っていたこともあって猫よりも犬好きであるという[4]。
関係人物
テレビ出演
- テレビ東京『日経スペシャル カンブリア宮殿』「地方公共交通の救世主」(2010年9月6日放送)[5]
書籍
著書
- 『日本一のローカル線をつくる たま駅長に学ぶ公共交通再生』(学芸出版社、2012年2月15日)ISBN 9784761512996
- 『地方交通を救え! 再生請負人・小嶋光信の処方箋』共著者:森彰英(交通新聞社新書、2014年8月16日)ISBN 9784330489148
- 『ねこの駅長たま びんぼう電車をすくったねこ』挿絵:永地(角川つばさ文庫、2016年7月1日)ISBN 9784046315984
監修
- 『地域モビリティの再構築』監修:家田仁 小嶋光信、編著:三村聡 岡村敏之 伊藤昌毅(薫風社、2021年8月10日)ISBN 9784902055412
関連書籍
- 『猫のたま駅長 ローカル線を救った町の物語』著者:西松宏(ハート出版、2009年4月8日)ISBN 9784892956386
脚注
注釈・出典
- ^ a b 荻島[2009]
- ^ 日経スペシャル ガイアの夜明け:[第268回 町からバスが消える「~規制緩和で揺らぐ地域の足~」(テレビ東京、2007年6月19日放送)2025年11月1日閲覧
- ^ 西松[2009]、pp.87-88
- ^ 西松[2009]、p.84
- ^ 地方公共交通の救世主 テレビ東京(2010年9月6日放送)2025年11月1日閲覧
参考資料
- 【ひと劇場】小嶋光信氏[両備グループ代表] 鉄道再生で地方に息吹」『日経ビジネス』2006年8月21日号(日経BP)pp.110 – 113
- 荻島央江【FACE ザ・経営者】小嶋光信 両備グループ代表 日本一有名な駅長「たま」を生んだ赤字ローカル鉄道の救世主」『日経ベンチャー』2009年2月号(日経BP)pp.13 – 19
- 【不屈の路程】SERIES21小嶋光信 両備ホールディングス会長〔忠恕の経営を追い求めて〕全4回『日経ビジネス』2021年11月1日号 – 11月22日号(日経BP)
外部リンク
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固有名詞の分類
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