駅間距離の長い線区への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)
「国鉄103系電車」の記事における「駅間距離の長い線区への進出」の解説
国鉄の新製通勤形電車は、特殊用途の301系を除き全て103系で賄われることになったため、増備が進むと次第に本来の投入予定線区とは性格を異にする路線にも投入されるようになっていった。1962年(昭和37年)の新形通勤電車の投入候補線区には比較的駅間の長い常磐線(平均速度52.8 km/h)と京阪神緩行線(同56.7 km/h)も含まれていたが、本系列の仕様決定は、これらの路線を除いた対象4線区での平均駅間距離(1.34 km)や平均速度が参考にされた。比較的駅間距離が長い路線向けにはMT46A形主電動機の界磁を40 %からさらに弱めた35 %にするなどの措置が必要であり、MT55形が35 %まで界磁を弱めているのはこれに対応するためでもある。 当時の多くの路線の最高速度は95 km/hであり、80 km/hを超える高速域では101系より加速力が高いため大きな問題にはなっていない。しかし、快速列車から逃げ切るために高加速かつ最高速度の高い通勤電車を求めていた大阪鉄道管理局には、1964年(昭和39年)に京阪神緩行線を新性能化する際に、新形式を必要とするのか検討させている。大阪鉄道管理局では当時の線路使用方法(快速と緩行の内側線のみの集中)が改善されるなら、新形式ではなく既存形式(101系や本系列)でも使えるとの認識を示した(詳細は京阪神緩行線#新形通勤電車構想を参照)。 35 %まで界磁を弱めて高速特性を高めたが、定格速度は30 km/h台であることから、平均駅間距離が2 km台の京浜東北線に1965年(昭和40年)に投入する際には、以下の案も検討された。 ノッチオフの速度が上がったことから、本系列の歯車比を1:5.6にする。 MT54形主電動機により中速以上の特性を高めた通勤電車の可能性を模索。 しかし、いずれも本系列に比べて電力消費量が増加することのデメリットが大きく、高速運転区間も経済性が高く、高速タイプにする必要はないとの結論を得た。これらの調査結果を受け、1967年(昭和42年)末から常磐線に本系列が投入される際には、ブレーキ初速と使用頻度が高くなることもあり、新規開発されたメンテナンスフリーのディスクブレーキ付きTR212形付随台車を採用した。 京阪神緩行線への投入から3年後の1972年(昭和47年)3月15日のダイヤ改正後のスピードアップでは、ブレーキ初速が90 km/h台になると電気ブレーキを使用した際に主電動機に過電圧がかかることから、保護回路が頻繁に作動し、電気ブレーキが作動せずに故障と紛らわしいと苦情が多発。保護回路が作動する際に衝動が大きく、乗り心地にも影響を与えることなどが判明した。設計上95 km/h程度までは過電圧が発生しないため、101系に取り付けられていた減圧継電器を省略していたことも原因の1つではあるが、本来の性能に近づけるため一部の回路を改良し、1972年度中に過電圧を防止する対策が施工された。 JR西日本では1991年度からJR東西線の開業を見越し、乗り入れ予定の片町線では地下線対応の207系に置き換えを始めた。捻出された103系は100両を超えそのほとんどが冷房車であったことから、関西本線・阪和線の非冷房車置き換えに転用されたが一部は山陽本線下関運転所に冷房化率改善のため転出。103系は過去にも通勤区間で駅間の長い路線に投入されたことはあっても、近郊形電車の運用区間に直接転用されたことは無かった故に、鉄道雑誌ではその使用方法について疑問が投げかけられた。特に山陽本線岩国以西は105系トイレなし編成での運用実績は有ったが103系の投入により約半年で広島運転所に転配されている。
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