開業から東ドイツ時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:07 UTC 版)
「ツヴィッカウ市電」の記事における「開業から東ドイツ時代まで」の解説
ツヴィッカウ市内の路面電車の歴史は1892年にニュルンベルクやマインツの企業によるコンソーシアムによる市内の軌道交通や発電所の建設がツヴィッカウ市によって認可された事に始まった。翌1893年に発電所の稼働が開始した後、1894年4月からは路面電車の試運転が始まり、翌月の5月6日、ツヴィッカウ市電は営業運転を開始した。以降は路線の延伸が続き、1926年に系統名が色から数字に変更された時点で4つの系統が存在した。また、その間の1916年にはツヴィッカウ市電や発電所の運営権がコンソーシアムからツヴィッカウ市に移管され、1927年からは路線バスの運行も開始された。 1936年にはツヴィッカウ中央駅(ドイツ語版)が開業した事に合わせて折り返し用ループ線を備えた路線の延伸が実施され、1938年に開設されたトロリーバスと共にツヴィッカウ市電は重要な市内の公共交通機関として活躍したが、第二次世界大戦中は一部の系統の運休を余儀なくされ、1945年4月には空襲により全区間の営業運転が停止した。ドイツの敗戦後の5月以降は運行が再開されたものの、アメリカ軍とソビエト連邦軍の占領区域の影響により、3号線については区間を縮小したうえで復旧工事が行われた。 戦後、東ドイツの路線となったツヴィッカウ市電を始めとするツヴィッカウ市の公共交通機関は、幾度かの再編を経て1951年以降人民公社であるツヴィッカウ市輸送会社(VEB Verkehrsbetrieb der Stadt Zwickau)によって運営される事となった。路線の再度の拡大は1962年から実施され、1965年からは乗客自身が乗車券に刻印を行う信用乗車方式に移行した。その一方で1975年には路線バス路線の拡張により旧市街に路線を有していた3号線が廃止されている。その後、1982年に運営組織が再編され、カール=マルクス=シュタット県が運営するツヴィッカウ都市交通輸送会社(VEB Städtischer Nahverkehr Zwickau)となった。 車両については開業時から長らく2軸車が使用されていたが、1987年に初の連接車となるKT4Dの導入が開始された。当初はプラウエン(プラウエン市電(ドイツ語版))からの転属車両が使用されたが、後にチェコスロバキア(現:チェコ)のČKDタトラ製の新造車両も導入された。KT4Dはその後のツヴィッカウ市電の主力車両となり、1989年に延伸された1号線の区間にもKT4Dが集中的に導入された。 1915年のツヴィッカウ市電 東ドイツ末期の2軸車(ゴータカー)(1989年撮影)
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