開業から終戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 14:53 UTC 版)
旭川市街軌道は1929年(昭和4年)11月3日に初の路線を開業させた。その後、昭和10年代にかけては路線の整備が行われ、それとともに乗客数も漸増して行き、昭和5年度の延べ約302万人が昭和19年度には約1083万人にまで膨らんだ。昭和20年度上半期までは年6分の株主配当を行うなど、経営は順調であった。 終戦によって第7師団が廃止されると昭和22年度には約617万人、昭和26年度には約458万人と輸送人員は激減した。加えて、インフレによる経営費の膨張により収支は悪化し、昭和22年度上半期には資本金(135万円)にほぼ匹敵する120万円もの損失金を計上した。一方、戦時中に疲弊した軌道施設の補修に500万円余りを要する見込みであったことから、戦時中から休止していた路線バス事業を復活の上で乗客減少の著しい一条線と四条線を廃止し、撤去した資材の売却代金を事業費と借入金返済に充てることになった。
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