開業から西鉄成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:09 UTC 版)
「西鉄福岡市内線」の記事における「開業から西鉄成立まで」の解説
詳細は「福博電気軌道」および「博多電気軌道」を参照 福岡市内線の母体は、中央資本の福澤桃介・松永安左エ門らによって設立された福博電気軌道と、地元資本家の渡辺与八郎らによって設立された博多電気軌道である。この2社は明治時代末期のほぼ同時期、福岡市内でそれぞれ別々に路面電車を開通させ、以後、要所で両社の路線を接続させつつも別々に路線網を拡大していった。なお福博電気軌道は合併や社名変更により博多電灯軌道→九州電灯鉄道→関西電気→東邦電力と名を変え、博多電気軌道は1912年(明治45年)に九州水力電気に吸収合併されたのち1929年(昭和4年)に分離され博多電気軌道(2代目)となっている。 東邦電力と九州水力電気は電力事業の事業区域が重複し競合関係であったため、両社の関係は険悪で、2社併存により乗客獲得競争が行われる一方、利用者の側にとっては運賃などで不便をきたしていた。しかし1934年(昭和9年)に東邦電力は電車事業を分離して新会社の福博電車を設立し、博多電気軌道は全事業を福博電車に譲渡することで合意し、福博電車による経営一元化が実現した。福博電車は資本金330万円、本社を福岡市天神町58番地に置いた。その後、戦時体制下の1941年(昭和16年)には電力国家管理政策に伴い、企業存続が出来なくなった東邦電力は福博電車の株式をすべて九州電気軌道に譲渡している。 1942年(昭和17年)に福博電車は九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道とともに九州電気軌道に吸収合併され、同社が商号を改めて西日本鉄道が成立した。旧福博電車線は同社の福岡市内線となった。
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