開業と競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 05:56 UTC 版)
愛知電灯は会社成立後ただちに火力発電所建設に取り掛かる。場所は本社と同一構内である。1894年12月20日、第1期工事がまず竣工し、ただちに旭廓や旭廓までの配電線沿線への電灯供給が始まった。1年半後の1896年(明治29年)3月7日には第2期工事も竣工をみている。完成した発電所の設備概要は以下の通り。 ボイラー : 2台 蒸気機関 : 4台 直流発電機 : エジソン式30キロワット発電機2台、同25キロワット発電機2台 交流発電機 : ホプキンソン型600-800灯用発電機1台 これら発電設備のうち、交流発電機は当時名古屋電灯では採用していなかった設備である。 愛知電灯の供給区域については記録がないが、旭廓を中心に供給したほか、名古屋電灯がまだ配電線を架線していない道路があれば積極的に進出して供給していった。また名古屋電灯が架線済みの道路の場合、愛知電灯による電柱建設が認められないため、地主と交渉して私有地内に電柱を建てて対応した。1896年2月末時点における電灯数は1670灯。電灯料金についての資料を欠くが、旭廓とは取付数が多いほど割引になるという供給契約を結んでいた。契約によると、廓内の需要が2000灯を超えた場合、10燭終夜灯は月額70銭・年額8円25銭であった。 一方、名古屋電灯では愛知電灯との対抗上、1895年(明治28年)1月1日より電灯料金を引き下げた。日清戦争終戦に伴う第3師団各隊の凱旋や灯油価格高騰も重なってこの年の電灯の増加率は開業以来最大となり、1895年12月末には点灯数が5738灯に達した。
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