開業と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:49 UTC 版)
駅が開設された所在地は、豊橋町ではなく渥美郡花田村西宿だった。当時の町の中心から西南に約600メートル離れた場所 とはいえ、駅の開業は豊橋が発展する契機になった。駅前から市街地の上伝馬町まで停車場通り(後の常盤通)が建設された。そのころ駅や通りの周囲には田畑が広がり、駅前には旅館3軒・貨物を扱う運送屋1軒という状態だった。その後徐々に様相が変化し、駅周辺は新たな町の中心地として発展していった。ちなみに、1906年(明治39年)、豊橋町が花田村を合併して名実ともに豊橋駅になった(その後市制を施行し豊橋市になった)。 1897年(明治30年)7月15日、豊川駅まで、豊川鉄道という私鉄の路線が開通。これは現在の飯田線の一部にあたる。同社は元々、宝飯郡下地町(現・豊橋市、豊川(とよがわ)北側の地域)と豊川駅を結ぶ鉄道を計画していた が、豊川に架橋して豊橋駅に接続した。こうして豊橋駅を共用していたが、1899年(明治32年)に北側へ独立して「吉田駅」を開設した。この吉田駅は大正末期に改築、階上に食堂を併設する、三角形の側壁を特徴とする鉄筋コンクリート造の建物になった。 1908年(明治41年)、市に隣接する高師村(現・豊橋市)に陸軍の第15師団が設置された。これを契機に市の玄関口の豊橋駅にも影響を与え、「市制施行以来、豊橋市を最も大きく変容させた」 と記録されている。乗客や貨物が増加し、戦時における師団の移動の観点からも駅の拡張が希求された。1911年(明治44年)、駅拡張工事着工。1916年(大正5年)、新駅舎完成。開業時からの旧駅舎は建坪約45坪(150m2)の瓦葺き平屋建てだった が、新駅舎は約145坪(480m2)の石磐葺平屋建てで、入り口には車寄せを設けた近代的な建物になった。 1920年代には、豊橋駅周辺に相次いで私鉄路線が加わった。1925年(大正14年)、市内に豊橋電気軌道(現・豊橋鉄道東田本線)の路面電車が開通、駅前に北側から乗り入れる駅前停留場を設置した。1927年(昭和2年)、渥美半島の田原とを結ぶ渥美電鉄(現・豊橋鉄道渥美線)が豊橋駅の400mほど南に新豊橋駅(初代。現・花田信号所)を設置。同年、愛知電気鉄道豊橋線(現・名鉄名古屋本線)が豊川鉄道の吉田駅へ乗り入れて全通した(後述)。 同1927年(昭和2年)、鐵道省豊橋駅も再度の駅舎改築。1929年(昭和4年)、西口が新設された。
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