市内線の開業と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 14:18 UTC 版)
「名古屋電気鉄道」の記事における「市内線の開業と発展」の解説
名古屋電気鉄道は、名古屋市笹島町 - 愛知県庁門前間、栄町 - 第三師団門前間、栄町 - 愛知郡熱田町(現・名古屋市熱田区)間、笹島町 - 西春日井郡西枇杷島町(現・清須市)間の4区間で電気鉄道の敷設特許を取得していたが、まず最初に笹島町 - 愛知県庁門前間の建設に着手した。建設工事は1898年(明治31年)3月に終了、その後の諸検査も無事合格し、同年5月6日の午前9時から営業を開始した。区間は名古屋駅前の笹島停留場から、当時久屋町にあった愛知県庁舎 の前の県庁前停留場までであった。開業時の電車は合計7両で、26人乗りの小さなものであった。成績は良好で、5月末までの26日間に16万6283人 が乗車している。 笹島 - 県庁前間の栄町線に次ぐ2番目の路線として、特許区間の笹島町 - 枇杷島間を変更した柳橋 - 押切町間(押切線)が1901年(明治34年)2月に開業した。1903年(明治36年)1月には、千種駅開設に伴って東に延伸された広小路通を使用し、栄町線が千種まで延伸された。 栄町から熱田町へ向かう熱田線は、馬車鉄道時代から本町通を通るように計画されていたが、本町通沿いの住民の賛同が得られず着工が遅れ、1908年(明治41年)5月に大津通経由でようやく開業した。これによって、名古屋市内の国有鉄道の3駅(名古屋駅・千種駅・熱田駅)を結ぶ路線網が形成された。また、この年の6月に名古屋市との間で報償契約が結ばれている。名古屋電気鉄道は純利益の3/100を名古屋市に支払うことになったが、その代わりに市内電気軌道の独占を約束された。この契約によって、その後登場する瀬戸電気鉄道の市内線計画などが阻止されている。 1910年(明治43年)3月から6月までの90日間に鶴舞公園で第10回関西府県連合共進会が開催された。これにあわせ、観覧者輸送を行うための軌道整備・拡張が行われ、公園線や築港線、枇杷島線が新たに開業した。このうち枇杷島線は他線とは異なり、全線が専用軌道であった。 1911年(明治44年)6月には江川線が開業し、同年8月には覚王山電気軌道から事業を引き継いだ覚王山線が開業した。その後は市の北東部に路線を伸ばし、1913年(大正2年)11月に御幸線、1914年(大正3年)11月に大曽根線が開業している。1919年(大正8年)4月には市南部で電気鉄道を運営する熱田電気軌道を合併。そして1921年(大正10年)12月に堀内線が開業して営業キロの合計が42.5kmとなったが、堀内線の開業後の新規開業は存在しない。
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